OSメイドの行動定義、
一つは、雇い主の『命令』であること。
一つは、しなければいけない『義務』であること。
この二つの定義から逸脱した行為は決して行わないこと。
これが守られなかった場合、自動的にメイドとしての資格、権利は剥奪され、自動的に組合との契約も解雇、登録情報は削除されます。
戻レナイ
俺は、人間としてあまりに欠落しているし、偏った思考、あるいは性質を持っているという自覚はある。
生まれた時から、不幸ではなかったが、おおよそ幸福とも言えない人生だった。酷い暴力を受けた事もない。傷に残るような哀しみを、心に刻まれたわけでもない。
けれども、愛情を感じたことはなかった。幼い頃は期待もしたし葛藤もあった。反抗もした。けれども、程なくして全てが無意味だった事を悟り、それを手に入れる事を諦めた。
どこに属しても圧倒的に孤独だった。家族ですら、俺にとっては「組織」の一つの形だったし、そんな両親も今はどうしているかはわからない。まだそう老けてはいないだろうから元気に暮らしているだろう。どちらにしても、もう二度と会う事はない。
痛みはなくともひっそりと俺の傍に寄りそい続ける孤独に息がつまりそうになって、俺は家を出た。いつ死んでもいいと思っていたが、思い通りにいかないのが人生なので、俺はこうして生きている。
それからあちこち転々とし、今の家に落ちつく事となった。
今の仕事を始め、金に余裕ができると俺はメイドを雇った。人間ではない、OSメイドだ。初めに来たメイドは98さんという名前で、中々体格の良い人だったが、仕事は出来る人だった。
彼女は、物静かで素朴で、穏やかな性質の人だった。とても、優しくしてくれたのを憶えている。そして、仕事で関わる人間やごくごく限られた友人以外とは誰とも付き合おうとしない俺の事を、とても心配してくれていた。
『ひとりだって、平気だよ』
『いいえ、そういうわけにはいきません』
貴方は人間なのですから。と、98さんは言った。
『別に、人間とかそんなのは関係ねぇだろ。アンタだって、人間と変わらないじゃないか』
『私はメイドですよ』
ただ、貴方の言う事を聞くOSでしかありません。98さんは何故か哀しそうに、けれども笑ってそう言った。
それから程なくして、98さんは俺には何も告げず、出て行った。人間どころか、OSメイドにさえ逃げられた。大抵の事は笑い飛ばせる俺も、さすがにこの時は傷付いたような気持ちになった。
そして、その98さんの代わりに来たのが。
「ご主人さま、ご主人さまぁ!」
「なんだ、うるせぇ!でかい声で呼ぶんじゃねぇよ。お前の声は頭に響く」
バタバタと騒々しく部屋に入ってきた「びすた」は、98さんを斡旋してくれた組合の一押し、ということですぐに決めたメイドだった。胸元まである長いツインテールが、今日もくるんと揺れている。
びすたは当時組合の切り札的存在だったが、実は「使いづらい」という噂が出回り(それは実際そうだったわけだが)世の中の事情など何一つ知らない俺は、こいつを組合から押し付けられたようなものだった。だが、俺はこいつを返すつもりはなく、メンテにもかなり気を使っている。俺の仕事の報酬の半分ほどはこいつのメンテナンスにつぎ込んでいるといっていい。
「ふえぇ、ごめんなさいぃ!」
「それで、何だ。用もないのに大声あげたっつうならぶっ飛ばすぞ」
「ちち、違いますぅ!びすた、今日は組合の健康診断なのです」
「健康診断?…あぁ、今日だったか」
OSメイドは定期的に健康診断を組合で受け、その結果異常が見つかれば組合がメンテをしてくれる。俺のように自費でメンテをするのは珍しい。現に98さんの時には組合に任せきりだった。
びすたはびしっと背筋を伸ばして俺を見上げていた。大きな、くるんとした目。
「…お前、余計なことはしゃべるなよ」
「は、はいっ!わかってますっ、夜のオシゴトは内緒…もがもがっ」
「う、る、せ、ぇ!!言うなって言ったそばから口にしてんじゃねぇよ!!言ったらここには戻ってこれないものと思っておけ!」
「ひぃん!ぜ、ぜったい内緒ですっ!だって、びすたはご主人さま以外のところには行くところがありませんもん…」
「わかってんなら、いい。…おら、さっさと行ってこい」
びすたは、自分がどうしようもない低能なメイドであり、そんなびすたを俺が「慈悲」でここに置いてやっているのだと思いこんでいる。正確に言えばびすたにそう思い込むように丸めこんだのは俺だ。
あいつは、確かに時間はかかるが仕事内容は丁寧で落ち度はない。優秀なメイドと言えるし、現に俺の半ば強引な『命令』の話を組合に話せば、あいつはこの凶悪な主人からさっさと離れる事ができるだろう。
だが、そうはさせない。俺は絶対に、あいつを手放すつもりはない。元より「わかりあう」ことなんて、求めていない。俺がどんなにびすたを求めても、あいつにとっては単に『命令』であり『仕事』だ。どこまでいっても平行線のように交わることはない。
それでも、そこにいてくれるだけでいい。
「………ちっ」
柄にもない事を考えてしまった。煙草でも吸おう。俺一人だと、この家は静かすぎる。静かすぎて、頭痛がしそうだ。あいつがいなきゃ、この家の広さも全く無駄だ。むしろあの忌まわしい孤独がどこからか這い出てきそうで憂鬱にしかならない。
(…我ながら思うが、狂ってる)
そう、狂っている。人間といるよりOSメイドの方が安らげるだなんて。しかも、それに執着するなんて。
けれど、それこそもう今更だ。どうせ俺は、人間としてはどうしようもない欠陥を抱えた不良品なのだから。
「帰レナイ」へ