「涙の夜」
 
 
 
 
  
それは、本当に偶然だった。
 
 
  
12月24日。今日は学校主催のクリスマスパーティがある日。普段はごく普通の体育館も、今日はパーティ仕様に飾り付けられていて、ちょっとしたホールのように見える。 
参加している皆もそれぞれにドレスアップして華やかだし、出されている料理も、まるでレストランかホテルかで出てくるような豪華なもので、何だか少し大人になったような気がしてうきうきした。
  
あかりは、取り皿片手に早速料理をあれこれ食べていたのだが、そこへ「メリクリ〜!」と明るい声が後ろからかかる。
  
「はるひちゃん!メリークリスマス!」 
「うわぁ〜あんたはぁ、早速お皿の上、山盛りやん」 
「うん。どれも美味しいよ」 
「そっかー。って!今日のドレス、めちゃめちゃかわいいっ!それ去年のと違うやんな?どうした〜ん?」 
「…あ、これは、瑛くんに選んでもらって買ったんだ」
  
別に、買い替えなくても良かったんだけどね、と眉を下げて笑うと「もう!ラブラブなんやからぁ!」と、はるひのテンションは高い。
  
「えぇなぁ〜…それに、それめっちゃ似合ってる!さっすがサエテルはセンスもいいわぁ」 
「そ、そう?ありがと。うん、ドレスはかわいいけどね」
  
控え目に笑うあかりに、はるひは肩をすくめる。あかりが着ているドレスはハイウェストのワンピースドレス。形はシンプルだが、ふんわりしたシフォン生地の上にレース刺しゅうが入っていたり、胸元がリボンで絞ってあったりと、さりげないこだわりがかわいい。
そして、ドレスの淡い水色が色の白いあかりにはよく似合っていた。こんなドレスを選べる高校生男子はそうおらへんよな、と、はるひは思う。同時にそれは彼女の事をそれだけ見ているという事だと思うのだが、当の本人はいまいちピンと来ていないらしい。
 まぁ、それがあかりのええとこでもあるけど、と、はるひはそれ以上は何も言わずに、別の話題に移った。
  
「そういえば、あかり、今、一人なん?」 
「うん。一応一通り会った気がするけど…こういう所って意外にゆっくり話できないよね」 
「んー…まぁ言われてみればそうかもなぁ…」
  
こういう場所に来ると、何となくいつも会う友達よりも普段会えなかった方へ気が向くものだ。それでなくてもばったり会ったりして、懐かしさに話が弾む。現に、あかりに会う前の自分だってそうだった。
  
「でも、サエテ…佐伯くんとは会うやろ?」 
「うん。後でゆっくり会えると思う」
  
今、彼は、彼を取り巻く女の子達の相手の真っ最中だ。数が減ったとはいえ、その人気は相変わらずで、彼はげんなりした顔をしながらも「行ってくる」と彼女たちの元へ行った。
  
「あ、あそこにいるのハリーかな?」 
「え、ほんまに…?ご、ごめん、あかり。あたしもちょっと行ってくる!」
  
そう言い残して行くはるひを見送って、あかりはまた一人になる。料理もあらかた試したし(まだ食べれるけれど)、何となく手持無沙汰になって、誰か知り合いはいないかときょろきょろしていたのだが、ふと、見覚えのある後姿を見つけ、それを追いかけた。
 
 
 
 
  
「志波くん!」
  
掛けられた声に、志波は思わず振り返る。見れば、水色のドレスを着た海野あかりだった。と言っても、声を聞いた時から、彼女だというのはわかっていたけれど。 
彼女は自分の顔を見ると嬉しそうに笑って駆け寄ってきた。水色のドレスが、ふわふわと羽のように揺れている。
  
「やっぱり志波くんだった。メリークリスマス!」 
「ああ…」
  
何か言わなければ、と思うが、普段の制服とは違う彼女の姿にやたら緊張してうまく言葉が出ない。肩紐が掛かる華奢な肩も、そこからすんなりと伸びている細い腕も、やけに白くてドキドキする。じっくり見たいが、そうすると色々と考えてしまいそうで、あまり直視はできない。
  
「……?どうかした?」 
「いや…似合ってる、な。それ」
  
やっとそれだけを口にすると、ありがとうと、彼女は嬉しそうに笑った。
  
「今日の料理、食べた?どれも美味しかったー」 
「あぁ…だいたいな」 
「後で出るデザートも楽しみ!去年みたいに色んな種類のケーキあるかなぁ…」 
「そうだな。去年…あのチョコのやつ、うまかった」 
「あ!憶えてる!あれ凄い人気で、最後の一個をはるひちゃんと半分こしたな、そういえば…」 
「確か、そうだったな」 
「…あれ?志波くん知ってた?」 
「まぁ、あれだけ大騒ぎしてればな」
  
くくっと、笑う志波に、あかりは「は、はずかしい…」とほっぺた赤くさせる。その姿がかわいくてついからかいたくなり、「お前は食いものの事になると必死だよな」と言ってやると「もう!」と頬を膨らませて怒るので、ますます笑ってしまった。
  
「…それにしても…ちょっと寒いね、やっぱり。中にいる時は暑いくらいだって思ってたけど」
  
そう言って、あかりはしきりに両腕をこすっている。確かに会場内は暖房が効いているし、人がたくさんいて熱気があるが、自分たちがいる場所は少しはずれた、ほとんど外と言える場所だ。今は十二月で冬なのだから、あかりのような格好では寒くないはずないだろう。
 少し考え、それから志波はおもむろに自分の着ていたスーツの上着を脱いだ。
  
「ど、どうしたの?志波くん」 
「着てろ」
  
そう言うと、ええっと、彼女は目を丸くして驚く。
  
「だ、だめだよ!志波くんが寒いでしょ!?」 
「お前よりはマシだ。そのままだと、風邪ひくぞ」 
「で、でも……っくしゅ!」 
「ほら…。いいから」
  
受け取ろうとしない彼女に、志波は半ば強引に自分の上着を彼女に着せる。すっぽりとそれに包まれた彼女を見ていると、自分とは随分体格差があることを、今さらのように知った。
  
(きっと、腕の中に収まるんだろうな)
  
「ありがとう…えへへ、あったかい」 
「…いや。別にいい」
  
照れたように笑う彼女から、志波は慌てて目を逸らし、さっきまで頭に思い描いていた光景を慌てて追い出した。彼女に上着を渡したお陰で体に触れる空気は随分冷たいが、今の自分にはそれくらいが丁度いいと、彼女にはバレないようにゆっくり深呼吸をする。
  
「静かだね…」 
「まぁ、な。俺にはこれくらいが丁度いい」 
「そう?中だって楽しいよ?ご馳走だっていっぱいあるし」 
「……俺はここでいい」
  
お前がいるから、とは心の中だけで呟く。ここに、こうして二人でいる方が、ずっとずっといい。今この時だけは、彼女が見るのは自分だけだろうから。 
隣に立つ彼女は、自分の上着を胸元に引き寄せながら、外を見ている。お陰で、自分が彼女を見ている事には気付かれないでいた。そういえば、彼女が自分を見つけてここまで来てくれた事を思い出す。
 たぶん、そこには大した理由もないのだろう。それでも、避けられるよりマシだ、と志波は苦く笑う。
  
「このあいだ、ね。図書室で、いつも志波くんが寝てるトコで私も寝てみたんだ」 
「………そうか」 
「あの場所、日が当ってあったかいんだね。つい熟睡しちゃって、気付いたら一時間くらい寝ちゃってて。あとから密さんに心配したって怒られちゃった」 
「……夏は、暑いけどな。あの場所」 
「あ、やっぱり?それ私も思った!」
  
はしゃいだように答える彼女の声は、けれど、すぐに静けさに呑まれて消える。志波は、知らずのうちに拳を握り締めていた。
  
思い出すと、胸が疼く。
 
 
  
――「前のように、ちゃんと仲良く」
 
 
  
いつかの彼女の言葉が、頭に響いた。今の感じだと、彼女はそれを着実に実行しているのだろう。元に「戻る」ために、自分が怪我をしてしまった前の頃に。
  
(でも…俺は)
  
一度外れてしまった蓋は、もう元には戻りそうにない。以前のような苛立ちや嫉妬もあるが、それ以上に、好きだという気持ちが止められそうにない。 
あかりが自分以外の男と付き合っているとか、好きだとか、そういう事はどうでもいいと、時々思ってしまう。 
そうして気持ちをぶつけてしまえば、彼女は傷ついて、そしてまた自分を拒絶するだろう。今度こそ、決定的に嫌われることになるだろう。それでも。
  
そんなことはどうでもいいから、離したくない。
 
 
  
「ん。痛…」 
「…どうした?」
  
思考に沈みかけていた意識が、あかりの声に呼び戻される。彼女は俯いて、目元に手を当てていた。
  
「なんか、目、痛い…何か入ったかな…?」
  
鏡、持ってないんだよねと、そのまま目元を擦ろうとする彼女の手を、志波は掴んで止める。
  
「やめとけ、傷がつくかもしれないだろ?」 
「ん…でも……」 
「俺が見てやる、上向け」
  
彼女の顔に手を添えて上を向かせたところで、志波は、自分がしてしまった行動に初めて気付いた。
  
(しまった、これじゃまるで…)
  
思わず、固まってしまったが今さらどうしようもない。そもそも、目に何か入ったか見てやろうという気持ちは嘘ではないのだ。断じて他意は、ない。しかし、この状況は、そういう事をしようとしている思われても言い訳できそうにない。 
見上げるあかりの目は涙に濡れて潤んでいた。おまけに半開きになっている口唇は、何か付けているのか普段よりもつやつやとしてて妙に色っぽい。思わず、惹きつけられそうになるのを志波は慌てて押し止めた。
  
(…違う!目だろ、目!)
  
一瞬ぐらつきかけた理性を必死に働かせ、志波は彼女の目元だけに集中する。自分はこんなにも葛藤しているというのに、彼女はまるきり無防備な表情で自分を見上げていた。 
そのことに何となく複雑な気持ちになりながらも、志波は彼女の目元を流れる涙をそっと指で拭ってやる。見てわかるような異物は特に見つからなかった。
  
「まだ痛いか?」 
「ううん…さっきほどじゃない、かな」 
「じゃあ、涙で流れたのかもな。特にこれっていうのはない」 
「ありがと……、あの、もう大丈夫だよ?」 
「ん?」
  
あかりの言葉の意味を取り損ねて、志波は彼女の顔を覗き込む。彼女は、言いにくそうに自分から視線を逸らした。心なしか、顔が赤い気がする。
  
「あ、あの…顔…近くて」 
「………っ!あ、悪い」
  
思わず近づけていた顔を、あかりの顔に添えていた手と同時に彼女から遠ざけた。思い出したかのように鼓動が速くなるのが自分でもわかる。 
とりあえず何か言わなければと、彼女に向き合った、その時。
  
がたん、と音がした。と、同時に人の気配。志波もあかりも、思わずそっちを振り返った。
  
「…何、してんだよ」
  
そう言った彼の声は、いまだ驚きの表情のままだった。気持ちに、体がうまく付いて行っていないような、そんなチグハグな感じがした。 
それは余りにも突然で、志波はただそこに突っ立ってるだけで何も出来なかった。ただ、何か言わなければいけないという思いはどこかにあり、けれども何を言えばいいのかわからず、やはり彼をぼんやりと見つめることしか出来ない。
  「瑛、くん…」
  
彼女の口から零れおちた声は、かすかに震えていた。そのあかりを見て、彼は一瞬苦しそうに顔を歪め、しかし、くるりと踵を返した。
  
「………帰る」 
「…っ、瑛くん待って!」
  
どんどん歩いて行く彼を、あかりは追いかけようとして、走りだす。けれど、そこからは動けなかった。
 
 
  
何故なら、自分が、彼女の腕を掴んだから。
 
 
  
「な!?志波くん、離して!」
  
彼女は信じられないといった表情で、志波を見上げる。自分でも、どうしてこんな事をしているのかわからない。ただ、考えるより勝手に体が動いた。 
行かせたくない。ただその想いだけが自分を動かしている。
  
「私、追いかけないと!絶対、誤解して…っ、志波くんってば!!」
  
(行くな)
  
「お願い、離して…っ」
  
(離さない)
 
 
 
 
  
――――もう、どうだっていい。
 
 
 
 
  
「……離して!!」
 
 
  
瞬間、思いのほか強い力で、腕を振り払われる。それでももう一度、その手を掴もうと手を伸ばした、けれど、もうそれは届かない。
 
 
  
彼女は、自分が貸した上着を脱ぎ捨てて走り出していた。振り返りもしないで。
 
 
 
 
  
(瑛くん、瑛くん……っ!)
  
あかりは慌てて瑛の後を追いかけるが、彼の姿はどこにも見当たらない。そのままパーティ会場の中を走りぬけて外に出てみる。途端、冷たい空気が全身に刺さって痛いくらいだ。おまけに今日履いてきたパンプスはヒールが華奢で走りにくい。
 けれど、そんな事にかまってられなかった。あかりはただ、走って、彼を探す。誤解を解きたかった。いや、その前に謝りたかった。
 
 
  
いつも優しい彼。自分を、好きだと言ってくれる人。大丈夫だからと、笑って、守ってくれる人。
 
 
  
「…っふ、…ごめ、なさ…」
  
体はすっかり冷え切って感覚もない。それなのに足先だけは燃えるように熱かった。足の痛みと呼吸が辛いのとで、あかりは足を止める。立ち止まった地面に、ぼたぼたと丸い染みがいくつも出来る。
  (また、傷つけたんだ)
  
心が痛い。あかりは自分のために泣きたくはなかった。けれど、瑛はきっともっと痛いのだと思うと涙が止まらない。
 
 
  
「…ごめ、んなさい」
 
 
 
 
  
風もなく音もなく、痛いくらい静かな夜空に、ちらちらと雪が降る。あかりはどこにも動けないまま、ただじっとその雪を見ていた。
 
 
  
 
 
  
 
 
 
 
 
 
  
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