「あたたかく降り注ぐもの」





あかりは次の日、学校を休んだ。
どうしても行く気になれなくて、「具合が悪い」と母親に伝えて部屋に引き籠っていた。ベッドに寝転がり、ぼんやりと携帯電話のディスプレイを眺める。何件かあかりの体調を心配するメールが入ったが、メールを開ける気にもならなくて「未読メール受信」のアイコンが出たままになっている。
あの図書室での「出来事」の後、どう学校で過ごし、どう家に帰りついたのかよくわからない。自分の中にある様々な思い――悲しみや切なさや、そして恐怖――が、飽和して、自分ではどうしようもなかった。

体は、鉛を呑み込んだように重い。腕一つ動かすのも億劫で、波のように繰り返し押し寄せる眠気に身を任せて目を閉じる。ずっと、それの繰り返しだった。



どれくらい眠っていただろうか。あかりは、部屋の空気の動きで目を醒ます。母親が入ってきたのだろうかと、閉じていた目を開いて部屋の様子を確認しようとした。
目に飛び込んできたのは、母の姿ではない、見慣れた制服、色素の薄い髪。

「お、起きたか」
「………え。さえ、き、くん?」

あまりにも予想外の人物の姿に、あかりはぱちぱちと瞬きをする事しか出来なかった。驚きすぎて、頭がまだ理解出来ないでいる。そして、たっぷり彼を見詰めたあと、沁み込んでくるように状況を理解した。
その途端、自分でもびっくりするくらい大声を出した。

「なっ…さ、さささささえきくん!!!どうして!?どうして部屋っ!!私の部屋にいるのっ!!!?」
「おーおー、驚いてる驚いてる。つうか、元気じゃねーか」

「落ち着け」とぽこんとチョップをされ、あかりは我に返る。佐伯はいつもの笑顔であかりを見下ろしていた。

「どうしてって、見舞いだろ?お前、学校休んでるし、じいちゃんに話したら見舞いに行けっていうから、来た」
「……あ、今日、お店…」

ぽこんと、また頭にチョップが見舞われる。

「そーだぞ。もう休まないって言ったくせに」
「ご、ごめんなさい!あの、私…」
「いいって、今日は。お陰で俺もお前の部屋、来れたし。…お前ってさ、母親似なのな。さっき玄関先で挨拶した時思った。…で、ついでにちょっと出掛けるからあかりの事よろしくって。さすがお前の母親だよな」
「…お母さんってば」

さすが、と言われた意味はよくわからなかったが、それにしても仮にも訪問客に娘の看病(本当はどこも悪くないが)を任せるとは確かに呆れられても仕方がない気がした。

「…なぁ、起きたんならさ、コレ食べようぜ。店から持ってきた」

見れば、部屋にある小さなテーブルの上に、温かそうな紅茶と、ケーキが乗った皿がティーセットよろしく置いてある。そのケーキは、いつだったか佐伯が試食だと言って食べさせてくれたイチゴのケーキで、あかりは思わず歓声をあげた。
その姿を見て、佐伯は可笑しそうに吹き出す。

「お前っ、ケーキでそんな喜んで、ほんっとガキだな」
「…い、いいでしょ!だって、コレ好きなんだもん!…でも、紅茶って?まさかこれもお店から?」
「あ、これはお前ん家のキッチン借りた。まぁお湯沸かしただけだけど…あ、言っとくけど!許可はちゃんとお前のおばさんにもらったから」
「……お母さんってば」

ケーキは美味しかった。一口食べるごとに、その甘さが自分を癒して元気にしてくれる気がした。それは、ケーキの甘さと、彼の優しさだと、あかりは思う。
紅茶を飲んで一息ついて、あかりは「ありがとう」と彼に言った。どういたしましてと、彼は慇懃に微笑み、それから、真面目な顔つきになって「なぁ」と呼びかける。

「…俺には、話せないか。…何があったか」

あかりはただ目を伏せることしか出来なかった。話したくないわけではないが、とても自分の口からあの出来事を説明する気にはなれなかった。

「なぁ、あかり…」
「ごめんなさい」

心配ばかりかけて。優しさに甘えて。精一杯気持ちを込めたけれど、聞こえてきたそれは弱々しくて情けない。

「私…私、どうしていいか、わからなくて。色んな事がいっぺんに起きて…。でも、ちゃんと考えなきゃいけないって、どうにかしなきゃいけないって、わかってるんだけど、わかって、るんだけど…っ」

言いながら、目が熱くなってくるのがわかって、あかりは自分が嫌になる。泣くなと自分を叱咤するけれど、涙は止まりそうになかった。

「それ、なのに…佐伯くんに、甘えっぱなしで…でも、私はこんな、こんな風に優しくなんてされちゃいけな」

突然、体が暖かなものに包まれる。コーヒーと、海の匂い。

「何も、考えなくていい」
「……え?」
「そんなに頑張らなくても、答えなんてそのうち見つかる。それまで、俺に甘えてればいいよ」
「…っダメだよ。だって、だって私は……志波くんのことが、好きだから」

言葉にして、あかりは自分でもああそうかと、初めてわかった気がした。


私は、志波くんが好きなんだ。だから、こんなに、こんなにも。


佐伯の腕は、けれど、ますます強くあかりの体を抱きしめる。

「…知ってる。でも、辛いんだろ?こんなに目、真っ赤にするくらい。学校休むくらい」
「……つらい、よ」

だって、きっともう叶わない想いだから。

「自分の気持ちに向き合えなくて、逃げてるだけだとしても、俺はかまわない。お前がそれで楽になれるなら、笑えるなら。逃げ場所だって何だってなってやるさ。言ったろ?守るって」

抱きしめられながら、あかりは彼がかすかに震えていることに気付いた。腕も、声も。

「甘えでもいい。俺のこと、利用すればいい。だから、そんな風に一人で耐えるみたいに泣くなよ」

降り注ぐ優しい言葉達は、あかりの涙腺をまたゆるませる。
そして、腕を伸ばして、その背に回した。ぎゅっと目をつぶって、彼の胸に顔を押し付けた。

「佐伯くん、ごめんね…」
「いいから、もう泣きやめ」
「…っ、ごめ、んね…っ」




そのまま、あかりは子供みたいに泣きじゃくった。
初めて、声を上げて泣いた気がした。










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