さわさわ、と、風で木々の揺れる音が気持ち良い。
先日までの雨がすっかり止んで、今日は雲ひとつなく晴れ渡っている。

まったくの昼寝日和だと、今日も今日とて志波は中庭でサボりを決め込んでいたのだが、その穏やかな時間は「あっ、居た!!」という一声によりやぶられてしまった。





「まるで魔法のよう」





しばらくそれが自分に向けられた声だとは気付かなかったのだが、跳ねるような足音が自分に向かってくるのを聞いて、志波は重い瞼をゆっくりと開いた。

「はぁっ、はぁっ…はぁーーーっ、やっと、志波くん発見!!」

芝生に寝転ぶ自分の傍に、ぽすん、と誰かが座り込んだ。否、誰かはさっきの声で解っている。

あかるい、呑気そうな声。

「……何か用か」
「志波くんってば、昼寝してるのは図書室だけじゃなかったんだね。教室も何回か覗いたけどやっぱり会えないし、さっきちらっと姿が見えて…でも途中で見失ったりして、結構大変だった」

でも見つけたもんね、とピースサインをするその姿は、子供が自慢げにするそれに似ている。
俺はアレか、宝探しの宝か、それともお前とかくれんぼでもしてたかと色々言いたい事はあったのだが、それはどうでもいいことなので、とりあえず初めの疑問をもう一度彼女に尋ねた。

「俺に、何か用か」
「あっ、そう、あのね、えっと、まずはごめんなさい!」

突然ぺこりと頭を下げられ、志波は、その展開の速さに付いていけずにいた。嬉しそうに寄って来たと思ったら次は勢いよく謝られるなんて、一体何がどういう事なのだろうか。

「…別に、海野に謝られることはないと思うが」
「ううん。だってね、この間私、お礼も言わずに行っちゃって」
「この間?」
「図書室で」

言われて、あぁ、と思いだす。そういえば、そうだったのだろうか。正直、志波はよく憶えていなかった。

「だから、今になっちゃったけど、あの時はどうもありがとう、助かりました」

そう言って、彼女はもう一度ぺこりと頭を下げる。
ありがとう。それが自分に対して言われているのだと思うと、志波は不思議だった。ありがとう、なんて言葉があったこと自体、今まで忘れていた気がする。
そしてそれを、思いのほか嬉しいと感じている自分に少し驚いた。
自分のした行動を、彼女は感謝してくれている。
そのまま忘れてしまっても仕方がないような小さな出来事なのに。
志波は、自分の口元が緩くほころぶのを自覚していた。けれど止めようとは思わなかった。

今だけは、彼女の気持ちを素直に受け止めてもいい気がした。

「わざわざそれだけ言いにきたのか。…お前、変なやつだって言われないか?」
「言われないよ!だって、やっぱり気になってたから。でもここまで来るの、大変だった〜。中々見つからないんだもん」
「そりゃ悪かったな」
「ううん。…それにしてもココ、気持ち良いね」
「まぁな。桜はもう終わっちまったけど…森林公園も今丁度こんな感じだ」
「そうなの?よく知ってるね」
「毎日走ってるからな」
「そうなんだ…あっ、ねぇ!」

突然、海野あかりに顔を覗きこまれ、志波はぎょっとなる。
それは、かなりお互いの距離が近くて、傍からみればどんなくだらない想像もされかねないような位置だったのだが、彼女はまるで気付いていないようだった。

「行こうよ、森林公園!」
「……は?」
「…ダメかな?」
「いや、ダメってわけじゃねぇけど…」

どうして俺とお前で行くんだよ、という至極自然な疑問が浮かんだのだが、まぁいいかとそれは心の中に留めておくことにする。 「晴れるといいね」と単純に楽しそうな彼女の表情を、曇らせるのは気が引けた。

(……付き合ってやるか)



君の「ありがとう」に、ありがとうと言いたい代わりに。







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photo by Abundant Shine