「ゆびきり」
観覧車に乗りこんだ途端、大きく息をはいて、胸に手を当てて座りこまれたものだから、あかりはびっくりして、水島密に駆け寄った。
「だ、大丈夫!?気分悪いの?」
丸まった背中を擦ってやると、密は手をあげて「大丈夫だから」とあかりに笑いかける。
それでもあかりは心配で、彼女の横に座り込んだ。ふわりと、密から漂うフレグランスの香りが鼻をくすぐる。
「はぁーーっ…うん、ちょっと、気が抜けたっていうか…。緊張してたから、今まで」
「…きんちょう?」
「……ずっと、クリスくんと一緒だったから」
そう言った彼女の頬はほんのり赤い。それが何を意味するか、さすがのあかりにも理解できた。
「も、もしかして、…密さん、クリスくんのこと」
「あら、やっぱり気付いてなかった?」
うふふ、と笑う密に、けれど、あかりはただ驚いて言葉も出ない。
「…そ、そう、だった、んだ…密さん、クリスくんが…。い、いつから?」
「…そんなに最近のことではないわね」
「そ、そっか…」
「ふふ、あかりさんってば、顔真っ赤よ?」
ちょん、と頬を突ついて、けれど、ほんの少し密は表情を曇らせ「ごめんね」と呟いた。
「内緒にするつもりはなかったの。ただ、中々言い出せなくて…今日になっちゃった」
「そ、そんなの気にしてないよ!そっか…ありがとう話してくれて。私、もちろん応援するからね!」
胸の前でガッツポーズを作ってみせると、密は本当に嬉しそうに「ありがとう」と笑った。
「でも、それならもっと早く言ってくれれば良かったのに…そしたら私、佐伯くんと観覧車、乗ったよ?」
「それはいいの。今までたくさんクリスくんと遊べたし…でも、あかりさんともゆっくりお話したかったから」
「ならいいけど…」
「クリスくんの事は好きだけれど、私はあかりさんだって大好きだから」
整った顔立ちをした彼女に真顔でそう言われると何だかドギマギしてしまう。何だか照れくさくて誤魔化すように笑っていると、彼女はもう一度「本当よ」と強く言った。
「だから…だから、もし、あかりさんもクリスくんの事好きだったらって…そう言われたらどうしようって、少し怖かったの。あかりさんと、そんな風になりたくなかったから」
「密さん…」
「何だかね、気持ちばっかり焦って、傷つけてしまいそうで…些細なことですごく嬉しかったり、悲しかったり。
…こんなの、自分の問題だから、誰かに話してもどうしようもないって、わかってるわ。でもね、何だか、言わずにいられなくて。…あかりさんに、言ってしまいたくて」
そう告白する彼女は、普段あかりの知っている密とはまるで違う人のようだった。いつも落ち着いていて、しっかり者で、大人な密さん。
それなのに、今日は何だか小さくて、頼りない。こんなにも悩んでいたんだ、と思うと胸が痛くなった。たまらなくなって、密の手をぎゅうっと両手で包みこむ。
「私こそ、ごめんなさい…。言われなくたって、察してあげなきゃいけなかったのに…私、子供で。いつも頼ってばっかりで」
「ううん。いいの。そんなあかりさんだから、好きなんだもの。察しのいいあかりさんなんて、かわいくないじゃない?」
「そ、そういうものかなぁ…?誉められてる気、しないけど」
頭にハテナマークを飛ばしているあかりに、「あ、そうそう」と、密はあかりを見る。
「美しい友情が深まったついでに聞きたいんだけれど、あかりさん、佐伯くんのことはどう思ってるの?」
「…は?え、佐伯くん?」
どうしてここで彼の名前が出てくるのだろうか。わけがわからず密の顔を見返した。目の前には相変わらず綺麗に整った顔が自分を覗き込んでいる。
「だって、あかりさん、佐伯くんのこと、よく話してくれるでしょう?今日だって、佐伯くんと一緒に来るって言うし…」
「そんなに話してたっけ?」
「話すじゃない。佐伯くんに怒られた、佐伯くんに怒鳴られた、チョップされた、お子様って言われた…」
「何だか酷い話ばっかりだね…あぁそっか。密さんにはバイトの事、話してたから…つい愚痴っちゃって」
「おかげで、私、彼のことがすっかり嫌いになっちゃったんだけど」
「えええ!?ど、どうして!?」
「だってそうじゃない」と、密は形のいい眉を盛大に寄せる。
「私の大切な親友のあかりさんにそんな酷いことばっかり…いくらバイト先でお世話になってるからって許せないじゃない」
「ま、まぁでも、それは私もドジして、悪かったんだよ?」
「そうやって、あかりさんが一生懸命だから、余計に許せないの。普段は人の良さそうな顔してるのに、あかりさんにだけそんな態度取るの、やっぱり嫌いよ」
「た、確かに学校にいる時みたいな感じじゃないけど、でも、あれでも優しいところもあるんだよ?おじいさんの事とか店の事とか…。学校で猫かぶってるのも、
佐伯くんなりの考えで、努力もしてて…。ちょっと不器用で、ひねくれてるだけなんだと思う」
必死で彼を弁護するあかりを見ながら、密は目を細める。
わかってる、そんな事は。彼が本当にどうしようもない酷い人間なら、あかりがここまで関わるはずないのだ。
いや、もしかしたらそれでも彼女は見捨てはしないかもしれないが、自分がそれをさせはしない。
あかりは優しい。親切だとか、人当たりが良いとか、そういうレベルの話ではない。彼女は否定しないのだ。誰に対しても悪いようには取らない、拒まず、受け入れてしまう。
その優しさはあまりにも居心地が良すぎて、履き違えてしまうことだってある。…自分以外のものを拒んできた者にとっては、特に。
そのことを、彼女は知らない。気付いていない。
(だから、心配なの)
だって、いつも一番傷つくのは、一番優しいひとだから。
「…あかりさん」
「え、何?」
「あかりさんは、じゃあ、今そういう「好き」な人はいないのね」
「…う、うん。今は、そうだね。考えたこともないよ」
やっぱオコサマなんだね、私、と、困ったようにあかりは笑う。
「あのね、あかりさん。もし…、もしも、あかりさんにも好きなひとが出来たら、その時は、あかりさんの心を一番大事にしてね?」
「……ど、どうしたの、急に」
「約束…ね?…あ、それと、もちろん私に報告すること!忘れないでね?」
「う、うん。約束!」
小指同士で指きりをすると、嬉しいのかおかしいのかはわからないが、どちらからともなく笑い出してしまった。外を見れば、地上がどんどん近付いてくる。
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