「その道の先」





(…どうして、こんな事になってるんだ)

目の前に、にこにこと自分を見つめる金色の髪の男。ゆっくりと上へとのぼるゴンドラ。厭味なほどに晴れ渡る青い空。密室。

自分を取り巻く状況を今一度確認し、瑛は不機嫌さを隠すこともなく大きくため息をついた。

話は二日ほど前に遡る。

「珊瑚礁」での仕事の後、片付けも終えていつものように海野あかりにコーヒー(もちろんミルク入りだ)を淹れてやっていた。 その時はマスターである祖父も一緒だった。祖父はどういうわけか彼女を随分かわいがっており、二人で楽しそうに話しているのを見る度、嬉しいような寂しいような複雑な気分になる。
そんな時、あかりの携帯に電話がかかってきたのだ。相手は水島密。あかりと同じ吹奏楽部で「とっても仲良し」な彼女の親友だ(というのも、あかりからの情報でしか知らないのだが)。

あかりは「ごめんなさい」と一言断ってから電話を取り話をしていたのだが、突然、携帯から顔を離し、こちらを振り返った。

「ねぇ、佐伯くん今度の日曜日ヒマ?」

いきなり何だよ、と零しつつも空いている事を伝えると、彼女はにっこり笑って「じゃあ遊園地に行こう!」と言った。

「え、ちょ…っ、お前、いきなり何言ってんだ!」
「だって予定無いんでしょう?…あ、もしもし密さん?うん大丈夫みたい」
「コラ、勝手に話を進めるなって!……て、え?」

彼女は「それじゃあ日曜日にね」と、実ににこやかに会話を終え、そのままの笑顔で「楽しみだね」と瑛を見る。

「おい、ヒソカさん、って…」
「うん。遊園地のチケット4枚あって、一緒に行ける人、探してたんだって」
「…それでどうして俺も行くんだよ」
「え?佐伯くん、遊園地嫌い?」

きょとんと首を傾げる彼女に、もはや掛ける言葉が見つからなかった。がっくりと項垂れる瑛の横で、マスターは穏やかに「良かったじゃないか、瑛」と微笑む。

「いいねぇ、皆で遊園地。青春だなぁ」
「……っ、じいちゃん!!」


…そんな出来事があり、今日。日曜日。瑛は、あかりと、水島密、クリス・ウェザーフィールドの4人で遊園地に来ていた。
水島に会った瞬間、何だか冷たい視線を感じた気がしたがたぶん気のせいだろう。 女の子二人は手を取り合ってはしゃぎ、クリスも横で同じようにはしゃぎ、自分は何とか学校と同じように猫をかぶりながら、これまで順調にアトラクションを回ってきた。

そして、今はクリスと観覧車に乗っている。
それまでの乗り物は、全部あかりと一緒に回った。彼女と二人でいる間だけは猫をかぶらずにすむからだ。
後は、単純に彼女と回りたいと気持ちも少なからずはあったように思う。第一、男二人でというのも変な気がしたし、水島密からは何か全身で否定されている気がして声の掛けようもなかった。
だから、てっきり観覧車もあかりと乗るものかと思っていたら、水島密があかりの腕を取り、さっさと二人で乗り込んだのだ。 それならここで待っているかと思ったのだが、「僕も乗りたい〜」というクリスにせがまれ、渋々乗り込んだというわけだ。
クリスは「うわ〜めっちゃいい景色〜」とか「今日は良い天気でホンマ良かった〜」とかひとしきり騒いだあと、思い出したかのように瑛の方を振り返る。

「佐伯クンも見てみたら?今日は海までよう見えるで?」
「…いや、僕は別に」

いつもしているように答えると、クリスは、ふふっと笑って「そない無理せんでええよ?」と笑った。

「ここには僕しかおらんのやし、気ぃ遣わんとって?」
「……何で。そんなこと」
「ん〜…なんて言うかなぁ。空気がそういう感じするっていうかなぁ。まぁ普段の王子サマのキミも、僕はかっこええなぁって思うけども」
「…からかわれるのはごめん。そういう風に言われるの、嫌いだ」

思わず低い声を出すと、クリスは慌てて「カンニンしたって〜」と、胸の前で手を合わせた。その姿に、何だか取り繕うのも馬鹿らしくなってきて、大きく息を吐いて相好を崩した。

「……あーあ、何か調子狂うよ。休みの日に遊園地なんか来て、しかも観覧車を男と乗るなんて」
「せやなぁ。それは僕も女の子と乗りたかったわ。でもしゃあないやん?あかりちゃん、密ちゃんのご指名やもんね?」
「まぁ、な」
「あれ?もしかしてコレもあかりちゃんと乗りたかったん?佐伯クンて、あかりちゃんの事好き?」
「なっ……どうしてそうなるんだよ!?あいつはただっ……ただ、その何かと、会う機会が多くて。でも別にそういうんじゃない」

同じ店で働いてることまではさすがに言えず、何とか誤魔化す。ちょっと苦しかったかと、内心ひやひやしたが、クリスは全く気にする様子はなかった。

「ふぅ〜ん…でも、佐伯クン、あかりちゃんの前では気楽そうやん?今みたいな感じで」
「そ、それは。成り行き上、あいつには色々バレてて、仕方なく」
「みんなの前でもそうしたらええのに」
「嫌だよ。面倒だろ」
「今みたいなほうが、よっぽど面倒くさいと思うけどなぁ」
「…ほっとけよ」

苛立ちを隠そうともせず、瑛はそう言い捨てて窓の外に視線を移す。
面倒?何がだ。素の自分を晒して、周りと衝突する事のほうがよっぽど面倒だし、問題だ。 それで何が原因になって店をやめなければならないか、わかったもんじゃない。そんなのは絶対にごめんだ。だから、その為には、今のまま優等生でいることが一番なのだ。
優等生で、みんなの王子様で。

(みんなの…)

ほんの一瞬、あかりの笑顔が浮かんだが、しかし、瑛は大慌てでそれを頭からかき消す。
違う、そういうのじゃない。そんな風になったらダメなんだ。
まるで、行ってはダメだと言われた道の先を、うっかり垣間見てしまったような気持ちになり、すごく焦る。そして、焦る自分に苛立つ。

……今のままが一番いいのに。

「なぁ…」
「なに?」

お互いに、窓の外を向いたままだった。返事をするクリスの声は波の無い海みたいに穏やかなのに、どこか緊張している自分が情けない。

「俺ってさ……あいつの前だと、そんなに素、かな。そんなに違うかな」
「…うん。めっちゃイイ顔してた」

そう言って、クリスはにっこりと目を細める。

「あんな、僕、絵、描くやん?それで、絵描く時って、その対象をすごぉく見るねん。 人でも物でも。写真撮る時でもそう。自然で、なおかつココ!て瞬間をとらえようって思ってみてるから…それでかな。何となくイイって感じ、わかるねん」

だから、あかりちゃんといる時の佐伯クン、そういう感じやった、というクリスの言葉は、じわじわと体に沁み込んでくるようで、すごく嫌だった。
まるで、誰かにそう言って欲しかったと、自分が望んているような気がして、苛々した。





「……俺、やっぱお前キライだ」と、言ったその言葉の弱々しさが、自分でも信じられない。







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