(あー緊張したぁ…)
二人三脚は、見事に一等賞だった。最後、志波くんがほとんど一人で走っちゃったんだけどそれについてはお咎め無しだった。
ゴールしてからは志波くんはさっさと足の紐を解いてどこかへ行ってしまって、結局、一番になったのを喜ぶこともなく、それどころか特に言葉を交わす事もなく別れてしまった。
それでも、何だかまだふわふわしている。すごく近かった体温とか、足を踏み出した時の地面で鳴っていたグラウンドの土の音だとか、そういうものをゆっくり思い出してはどきどきしていた。
声掛けるからって、右左言ってやるからって、言ってくれた。
本当に、少しだけの会話だったけど(会話っていうか私は何も話せてないんだけど)一つ一つ思い出しては口元が緩みそうになるのを必死で抑えてた。
どうしてそんな事するのかって、したくてするわけじゃなくて、うまく言えないけどどうしてもそればかり考えてしまうという方がぴったりくると思う。
さっきからもう何回目だろうっていうくらい頭の中で二人三脚をしている。
「…さよ。ちょっと、さよってば!」
「んふふ……」
「…って、こらー!人の話聞き!」
「はわっ!な、なに!?」
もうたぶん5回くらいゴールした二人三脚から何とか頭を切り替えると、目の前には呆れ顔のはるひちゃんがいた。
「アンタなぁ…さっきから何一人でにやにやしてんの?」
「べ、別ににやにやなんて…」
「あやしーなー…あっ!もしかして!」
「なっ!何っ!?」
「もしかして、パン食い競争のパン!こっそりもらえたりした?アレなー実は結構なレアものらしくてな?気になってんやけど」
「……そ、そうなんだ」
甘いもの大好きなはるひちゃんがレアものパンについて語っている間、私はほうっと胸を撫で下ろした。
…隠してるわけじゃないけど、自分から言うのは、恥ずかしいし…。何より既に嫌われているのに好きだなんて、呆れられちゃうだろうし。
思い出すと、やっぱり胸がしゅわしゅわとしぼむような気持ちになる。さっきまでほわほわ浮きあがっちゃうくらいだったのに。
(う…ダメダメ!諦めちゃだめなんだもん。大切なのは気持ち!作戦B!)
少し前に先輩たちが励ましてくれた事を思い出す。それにしても私みたいな後輩の恋を応援してくれるなんてイイ先輩たちだなぁ。やっぱり野球部に入って良かった!
「…なぁ、そういえば。大活躍やったやん?二人三脚」
「えっ…。あ、うん。でも、志波くんのお陰なんだけど」
「そうそう!志波やんなぁ、ビックリしたわー!…アンタ最後、志波やんの手荷物みたいになっとったで?」
「…はるひちゃん、笑いすぎです」
「ご、ごめ、だって思いだしたら…ぶはっ」
思い出し笑いを堪えるはるひちゃんに、私はほんの少しだけ頬を膨らませた。
途中まで私だって結構頑張ってたと思うんだけど、ゴール手前での志波くんの予想外の行動で、皆の記憶は上書きされてしまったらしい。
クラスの皆がいる場所へ戻れば口ぐちに「手荷物、お疲れさま!」と言われた。こればかりはあんまりな言われようだ。
「そりゃ、私はちっさいけど…」
「まぁまぁ悪気は無いから気にせんとき。…そういえば次、志波やん出るやんな?」
「え?…あ、ホントだ。凄いなぁ、たくさん競技出るんだ…」
次の種目は400M走。近くで見ようというはるひちゃんに付いて、応援席のギリギリ前まで移動する。周りにも人はいっぱいで、声援も色んなところから聞こえてきてた。
「あっ、次やで!さよ、ちゃんと見えてるー?」
「う、うん。何とか…」
パン!とスタートの合図が空中に響く。その一瞬後から動き出す走者は、けれどいつも大きくゆったりと感じるのは何故なんだろう。
私はあんまり運動が得意じゃないし、だからフォームとか、そういうのは全然わからないんだけれど。
ゆったりと感じる、と言っても、志波くんは違った。すごく早かった。悠々と走っているような感じとは全然違う。もっと、ただひたすらに走る。
まっすぐ、無駄なく。体だけじゃなくて、神経や感覚や、志波くんに関係しているもの全てがゴールに向かっていく。
あの人と、ついさっき一緒に二人三脚を走っただなんて、とても信じられない。
全然本気じゃなかったんだ。私に、合わせてくれてたんだ。
それくらい、今、走っている志波くんは別人だった。
一歩踏み込む度に、周りとの差が開いていく。何もかもどんどん置き去りにして、振り切るようにして志波くんは走っていた。
彼がゴールテープを切った瞬間、歓声も一際大きくなる。私はずっと、目が離せないでいた。
「あっ、志波やんこっち来るで!声掛けに行こ!」
「…え、えっ!ちょ、ちょっとはるひちゃん…っ!」
言われて見てみれば、確かに志波くんはこっちの方に歩いて来ていた。あれだけ走った後なのに疲れている様子もないし、いつも通りの淡々とした表情をしてる。
「い、いいよ、私は。はるひちゃんだけ行って来てよ!」
「何言うてんの!おんなじクラスで頑張ったんやから声くらい掛けな悪いやろ?ほら、もうそこにいるし!」
「ででで、でも…」
そうしてる間にも志波くんとの距離はどんどん無くなって、しかもよせばいいのにはるひちゃんがわざわざ「志波やーん!」とおっきな声で呼んだものだから志波くんは間違いなくこっちに向かってきた。
目の前に(正確にははるひちゃんの前に、だけど)立った志波くんは、はるひちゃんにおめでとうと言われるのに「サンキュ」と返していた。
どうしよう、私も「おめでとう」って言っていいのかな?さっき一緒に走ったし、それくらいは言っても別に気にしないかな?
(でも)
ふと志波くんの頭が動いて、こっちに気が付いたような気がした。気がした、っていうのは、私はまともに志波くんの方を見れなかったから、だけど。
さっきまで二人三脚の時の事ばかりを思い出していたはずなのに、何もかも消え失せて、本を投げられた時の事が頭の中に再現される。唐突に、鮮やかに。
「ご、ごめん、はるひちゃん!私、先に行ってるから!」
「え!?ちょ、さよ!?」
どうしても、どうしてもその場には居られなくて私はその場から走って逃げた。はるひちゃんの驚いたような声が聞こえたけれど、それも人混みの向こう側に消えていく。
心臓が、どくどくいってるのは走ったからだけじゃない。涙は出ないけど、泣きたいような気持ちにはなって目をぎゅっとつぶった。
本当は、「一位おめでとう」って言いたかった。それだけじゃなくて、いっぱい話したかった。
突然逃げたりして、また嫌な奴だって思われたかな。それとも清々してるだろうか。私と話したくないって、言ってたもんね。
「…べつに、いいもん」
400M走を走っている志波くんはかっこよかった。何を置いても一番かっこよかった。二人三脚だって一緒に走れた。
それだけで充分だよね。今は、それだけでも。
見上げた空は高く澄んで青かった。歓声は、ひどく遠い。
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