先日の野球部内の会議にて、「作戦B」(つまり、一回印象悪かったからって諦めるなよという作戦)を決行することになったわけだけど。
正直、物凄く気が重い。
だって、先輩たちは知らないからあんな事が言えるんだよ?あの時の志波くんは本当に怖くて怒ってて…。
それと、どうしてか苦しそうだった。気がする、だけだけど。
「はぁ…」
ため息をつきつつ、お弁当を詰める。外は、私の気持ちとは裏腹にすっきりした快晴だった。日差しがきらきら眩しくて、もう夏みたい。
うん。とりあえず気持ちを切り替えていこう。
何と言っても、今日は体育祭だしね!
体育祭は楽しみにしてた。こういうお祭り騒ぎは何だかうきうきする。いつもと違う雰囲気が楽しい。
私が出る種目は二人三脚。体育の時間でもいっぱい練習したし、コケたりしなかったら結構イイセンいくと思うんだ。
なんて、気楽に構えていた私は、甘かった。
二人三脚の種目が始まる直前、はるひちゃんが慌てて私の方に走ってくる。
「あっ、おったおった!さよーっ!」
「どしたの、はるひちゃん。はるひちゃんは借り物競走でしょ?」
「実はアンタと一緒に走るって言うてた子、前の種目で怪我したらしくてな?…本人は走れるって言うてるけど、交代するかもしれんて」
「そうなんだぁ…」
「で、ホラ。いきなり代わってたらアンタびっくりするやろ?まだわからんけど念のため知らせとこうと思って…」
確かに、全然知らない人がいたらびっくりしちゃうよね。走れなくはないけど。
「わざわざありがとう。それで、誰が走ってくれるの?」
「志波勝己、やってさ。…ほら、いっつも授業サボってる、あのでっかい奴!」
「……………え」
一瞬、時間が、というより、心臓が止まったかと思った。体中の血がざぁっと引いていくのがわかる。
二人三脚、私と、志波くんが。
「…り」
「は?なに?」
「無理だよ、そんなの!」
私の声に、はるひちゃんはびっくりして目を丸くして私を見る。
「え?なんで?どうしたん、急に」
「だって…」
不思議そうに私を見るはるひちゃんに、一瞬言葉が詰まる。
でもとにかく、無理なものは無理だ。私、嫌われてるんだよ?「もう話しかけるな」って言われたんだよ?
その人と二人三脚なんて、どんな顔してすればいいのかわからないよ!
でも、そんな事言えない。でも、何とか志波くんとの二人三脚は避けたい。しどろもどろになりつつ、一生懸命理由を探してみる。
「う…えと、ほら!わ、私と志波くんじゃ、身長が合わないし…」
「身長?あー言われてみればそうやけど…でも、体育祭の二人三脚でそんなこだわらんでもええんとちゃう?」
「で、でも!やっぱり勝つためには…わ、私は別に、いいけど。志波くんはイヤだと思うよ!」
「そんなん気にしすぎやって!別に何とも思ってなさそうやったで?リレーの代わりも頼まれとったし」
「でも…私と、走るのなんて。…バランス、悪いもん」
言いながら、何だか悲しくなってきた。本当は、志波くんと一緒に走れるのは嬉しいはずなのに、どうしてこんな事になっちゃうんだろう。
この間先輩たちに励まされたばかりだけれど、こんなのイキナリすぎるよ。それに、相手が私だってわかったらきっと嫌な顔されちゃう。
そんなの嫌だ。またあんな風に言われたら、もう立ち直れない。
はるひちゃんはもごもご言い訳する私をどう思ったのか「だーいじょうぶやって!」と背中をポンと叩いた。
「見た目は確かにコワイけど、話したらそうでもなかったで?それに、こんな所でいきなり暴れたりせぇへんて!」
「……それは、そうかもしれないけど…」
「ほな、がんばっといでや!応援してるから!」
「え!ちょ、ちょっと待って!」
手を振って走っていくはるひちゃんと入れ替わるようにして近づいてきたのは、一際背の高い男の子。姿を見つけただけで、心臓が跳ねた。
嬉しいのか恥ずかしいのか怖いのか、もう何だかわからない。
志波くんは私を見ると、少しだけ驚いたような顔になって…それからまたすぐに不機嫌そうな顔に戻った。
「一ノ瀬って、お前だったのか」
「う…は、はぃ…」
…やっぱり、迷惑がられてる。ふいっと目を逸らされて、泣きそうになった。
そんなに嫌なら、断ってくれればよかったのに。(でも名前を憶えてなかったらしく、どうやら私だとは気付かなかったみたいだけど)
今からでも、言ってみようか。無理しなくてもいいよって。元々一緒に走る子は怪我したんだから、私が欠場したって先生に怒られたりはしないだろう。
だって、私と一緒に走ったって、志波くん楽しくないよね?
「……あ、あの」
「おい」
「はいぃっ!」
志波くんは振り返って私を見ると「あしかせ」と言った。…は?あし?
意味が分からなくてぽかんとなる私を、志波くんは苛立たしげに息を吐いて見つめ、それからおもむろに私の腕をぐいっと掴む。
「にゃあああっ!な、な、何す」
「うるさい。足、固定しないと二人三脚にならないだろ」
「……あ、そうか」
「だから、足貸せって言ってる」
そういえば周りはもう皆、足を紐で結んで準備してる。何もしていないのは私たちだけだ。
…でも、今気が付いたんだけど、あれって何だか。
「早くしろ」
「う、うん…」
「…お前、二人三脚の意味わかってるか?それともやる気ねぇのか?」
「はわわっ、ご、ごめんなさい…っ!」
意味もわかるし、やる気もあるけど。だけど。
(ち、近い…)
志波くんが、私の右足と志波くんの左足を紐で結んで固定する。だから、普通に立っていると志波くんのすぐ隣にぴったり立っている事になるわけで。
(うわ…うわわぁ〜…っ!)
どうしよう、やる気はあるけど二人三脚どころじゃない。だってすぐ傍で。体温とかが、何だかあったかい感じがして。
…やっぱり無理だ。色々無理だ。走る前からこんなにドキドキするのに、このままじゃ心臓がもたない。
ううん、落ち着かなきゃ。これは体育祭で、はるひちゃんもクラスの皆も応援してくれてるわけだから頑張らなきゃ!
そぉっと、こっそり志波くんの方を見上げる。それだけなのに何だかふわふわした気持ちになって、今が体育祭だって事を忘れそうになる。
入学前の、森林公園で出会った時の事を思い出した。たくさんの優しいさくら色。
「…おい」
「へ?…えっ、な、何!?」
「何か用か?」
「べ、別に何にもっ!」
頑張ろうねとか、迷惑かけないようにするねとか、言おうかなと思ったんだけど、結局なにも言えなかった。
『話しかけるな』の言葉が、頭の片隅でずっと響いている。
迷惑をかけないように、とは思ったものの、中々うまくいかないのが現実だった。何せ急に決まったパートナーだから。
でも、決定的にうまく出来ないのは私の方だった。それでなくても緊張するのに、息を合わせて足を揃えるだなんて至難の業だ。
ただ歩いているだけでもうまくいかない私に、志波くんはため息をつく。
「…大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい…っ。練習の時は、もうちょっとうまくいったんだけど…」
相手が志波くんだから、というのは心の中だけの言い訳だ。けれど、それにしてもこんなにうまく出来ないのは申し訳なかった。
出番が、どんどん近付いてくる。不安と緊張で、もう志波くんの事も考えている余裕はなかった。どうしてこんなに緊張してるかってそれは志波くんが隣にいるからなんだけど。
すぐ前の組がスタートして、いよいよ次は私たちの番となったところで「一ノ瀬」と上から声が降ってきた。
「緊張しすぎだ、お前」
「う、ご、ごめ」
「声、掛けるから」
「…え?」
「右左、言ってやるから。それだけ聞いてろ」
思わず志波くんの方を見たけれど、志波くんは前を向いたままだった。お礼を言った方が、言ってもいいのかなと迷っている間にスタートラインにつくように言われる。
志波くんに引きずられるみたいにして歩いて、私はスタートラインに着いた。
歓声とか、応援とか、色々な音が遠ざかる。心臓の音ばっかり聴こえて、すごく緊張しているのが自分でもわかる。
(でも)
でも、大丈夫。私、志波くんの声だけ聞いて走るから。
スタートしてすぐは、ゆっくり。すぐ横(というか上)から聞こえてくる「右、左」の声に全部の神経を集中させて足を動かしてた。周りの事は全然わからない。足もとだけを見て、必死だった。
それでもだんだん調子が出てきて速くなってくる。普通に走るくらいの速さ。掛け声もそれに合わせてテンポが上がってくる。
(…え?あれ?あれ?右?左?どっちだっけ?)
体の感覚と、頭の回転がうまく噛み合わなくて混乱する。今、出してる足が右だか左だかわからなくなってきた。
がくん、と足を取られる。流れが止まってしまう。
「わわっ…!」
「…っ」
志波くんが支えてくれて、こけるのは何とか踏みとどまる。けれど、完全に立ち止まってしまった。
その一瞬に、周りの音がわぁっと聞こえてくる。ゴールは目前。あれ?結構、進んできてたんだ…ていうか、あれ?もしかして、私たち先頭走ってた?
うわぁ、かけっこで一番なんて初めてだーと思って後ろを見ると、二番手の組がどんどん近付いてくる。
「あわわっ、ど、どうしよう…!」
「…行くぞ」
「うん…て、ほぇ…っ!?」
また声掛けてくれるのかと思ったら、違った。志波くんは肩を組んでいた腕を解いて、腰の辺りをがっしり掴んだ。
掴む、というより、抱えられてる。そして、そのまま走りだした。
ゴールテープを切った瞬間、歓声が上がった。…若干、笑い声も混じっていたけれど。
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