「うーん…」
「あれ?どうしたの藤枝くん」
「あぁ、一ノ瀬か。なぁ、俺のジャージ知らねぇ?」

藤枝くんは2年生だけど、新しい野球部のキャプテン、つまり部長さんだ。
6月の試合に負けてから、3年生の先輩たちは事実上引退となった。もちろん本当の引退は夏合宿が終わってからなのだけど、立川先輩なんかは、さっさとキャプテンの座を藤枝くんに譲ってしまい、今では練習だけ参加している。柏木先輩や倉田先輩も、今では専ら私達後輩への引き継ぎ作業が中心だった。
藤枝くんは一年の入部当初からレギュラ―入りしていたし、何よりも野球や、周囲の人たちへの態度に関してとても真面目で、立川先輩の次は彼が部長だろうと言われていた。

藤枝くんは今は志波くんと同じクラスだ。志波くんが入部したのをたぶん一番喜んでいたのは彼じゃないだろうか。キャプテンだから、という気持ちもあるんだろうけど、途中入部の志波くんを何かある度に目を掛けてくれて、入ったばかりの志波くんはとても助かっているらしい。本人がそう言っていた。

「いや、こないだっから俺ジャージなくてさ…ジャージの上」
「え?お家に忘れてきたとかじゃなくて?」

そう言うと、「絶対に違う」と藤枝くんは眉を潜めた。それからまた部室のあちこちを見て回る。

「…家でもあっちこっち探したんだけどやっぱりなくて。で、思い返してみると部室に一度着てきたんだよな…そういえばそれから見ないなーって」
「そうなんだ。…でも、あれば気付くと思うんだけどなぁ…洗濯物の中には無かった気がするけど」
「あれさー、実はちょっと破けてるトコあってさ。だから家で直してもらおうと思ってんだけど…困ったな」
「それはアレだな、恋する妖精さんの仕業だな。『あっ、藤枝クンのジャージが破けてる!直してあげなきゃー!』ってヤツだな!」
「……立川先輩」

何言ってんですかバカバカしい、と藤枝くんに睨まれても、どこ吹く風で立川先輩は続ける。

「ところでさよすけ!先日はお楽しみだったそうじゃないか!聞いたぞ、日曜日のすいぞく…」
「わーっ!わーっ!どっから聞いてきたんですかっ!?黙ってくださいっ!」
「ふふん、俺の情報網をナメるなよ?ったくなぁ、黙って行くとは水臭いじゃないかっ!先輩サマへの報告はナシか?んん?」
「べ、別にっ、先輩に報告しなきゃいけない義務はないですもんっ」
「なっまいきな!ちょっと前までは何かっていうとメソメソしてたくせにっ!俺に泣きついてきてたくせにっ!」
「もう〜っ!先輩はあっち行っててくださいよぉっ!今は、藤枝くんのジャージを探してるんですからっ!」

にやにやと迫ってくる先輩をぐいぐい押しながら言うと、横で藤枝くんが憮然とした顔で「そうですよ」とため息混じりに零した。

「それから先輩、前から言おうと思ってたんですけど、練習の邪魔するなら帰ってください、マジで」
「な、何だよぉっ、新しく部長の座に収まったら俺は用無しかっ!?過ぎ去った夏の思い出かっ!?」
「いや…後輩たちが立川先輩に恋バナをふっかけられて迷惑してるって報告があったんです。アンタ、自分が暇だからって何してんですか」
「いーじゃんか!ちょっとだけだもん!ちょっとだけだけど恋バナしたいんだもん、俺は!」
「だもん、とかって別にかわいくないですから。今度邪魔したら先輩でも叩きだしますからね」

顔色一つ変えずに藤枝くんは先輩にそう言い放ち、私には「悪いけど、時間あったらちょっと探しといて」と言って部室を出て行った。
残された立川先輩はしばらくフリーズしていたが、そろそろと私の方を見る。

「…藤枝くんは相変わらずだなぁ。真面目でイイ子なんだけど、ちょっと固いんだよなぁ」
「ていうか、先輩がゆるいんですよ?藤枝くんは間違った事、言ってませんもん」
「そうだな、確かに。…あいつ、ちょっと祥子ちゃんに似てる」

だから俺は彼のこと好きなんだけれどね、と、立川先輩は怒られたくせに嬉しそうだった。相変わらずよくわからない人だ。
部室はそれでなくても熱気が籠る。窓を開けながら、立川先輩はそこから立ち去りそうにないので、仕方なく麦茶を出した。今朝作って、ちゃんと冷えてるやつだ。
先輩は備え付けのベンチに座り込み、部室のあちこちを見回していた。ふざけてばかりだけど、やっぱり先輩は野球部にまだ気持ちがあるんだろうな。

「さよすけも休憩しなよ、お茶、美味しいし」
「でも、私、まだやる事あって…」
「いーからいーから、先輩命令だ。こっち座んなさい」

そう言われてしまってはどうしようもない。自分の分もお茶をコップについで、立川先輩の向かいに座った。何だか変な感じだ。

「先輩、みんなに恋バナしてるって本当なんですか?」
「あぁ、本当。ちなみに志波ともしたぜ?」
「えっ……」
「聞きたいだろ?」
「ベ、別に…」

にやりと笑う先輩に、私はどういう返事をしていいか迷う。そりゃあ、知りたいけど…でも、何か聞きたくないような気持ちもあるし…。

「でも残念!どんな話をしたかはナイショです!」
「な、何ですかそれー!」
「あったりまえだろ!デリケートな話題だぞ、これは!」

そうだけど、だったら期待させるような言い方しないでほしい。むうぅ、と膨れていると、立川先輩はとても満足そうにお茶を一口飲んだ。
悔しいから「柏木先輩に怒られちゃいますよ」と言ったけれど、それでもやっぱり満足そうに「そうだな」と言っただけだった。

「…志波とうまくいくといいな、さよすけ」
「げぇっほ!」

突然の言葉にびっくりしてむせてしまった。本当にいつも唐突すぎる。

「だってさ、言ってみりゃその為にここまで頑張ってきたんだもんな」
「そ、そんなこと…そんなことないです!」

私が野球部に入ったのは本当に偶然だ。それこそ、立川先輩が誘ってくれたから。志波くんの事を知ったのはその後だったし、結局、私は何も出来なかった。
それに、志波くんの事を抜きにしても私は私で野球部の事がすごく大事だ。すごく、大事な場所。
その事を話すと、けれど立川先輩は「バッカだなぁ」と笑った。とても優しい顔で。

「いいじゃんか。志波が好きだから、志波と一緒に頑張る、で。それって立派な理由だと思うぜ?」
「で、でも…」

確かに立川先輩の言う事は当たっている。私は志波くんが好きで、その志波くんと一緒に野球部にいられる事が嬉しくて、だからこそ、頑張りたいって思ってる。
でもそれは、他の、つまりは藤枝くんのような純粋に野球が好きで頑張っている人には申し訳ないような気がしていた。
そんな気持ちでマネージャーなんて務まるんだろうか。そんな、好きな人がいるから頑張るだなんて理由、軽々しいような気がして。

「誰かの為に、って思えることは大事だよ。…辛くても、その人の為に頑張れる」

立川先輩は少し遠くを見た。窓の向こうだ。向こうはこっちと違ってひどく眩しい。

「もちろんそれだけじゃダメな事もある。この間の志波みたいにな。でも、自分以外の人を好きになって、その人の為に頑張れるっていうのも、これはこれで良い事だって思うわけ」
「…先輩」
「だからさ、部内恋愛とか皆じゃんじゃんすりゃいいと思うわけよ、俺は。なのに藤枝くんがさー!レンアイなんてメンドくさい、なんつーもんだからさー!」
「それは、まぁ…考え方は人それぞれですよ」
「ありゃ相当のカタブツだね!『オンナなんてメンドくさい』とも言ったぞ、あいつは!何もわかってないね!」
「はぁ…」
「でもアレだぞ。ああいう奴の方がかえって、クる時はクるんだよ。妖精さんに心奪われちゃうんだよ」






結局、何だかいつもの感じになっちゃった。途中まで真剣に聞いていたのに。
でも、そうか。変に心配することなんて、ないんだ。

私は志波くんの事が好きで、だから、志波くんと一緒に頑張りたいって、思っていてもいいんだ。

「…えへへ」
「お、何だ?急にどうした?」
「立川先輩って、いっつも変な事ばっかり言ってるし変な事ばっかりされたけど、でもやっぱり私にとっては先輩だなぁって思ったんです」

一番初めにここに連れてきてくれたのは先輩だった。そのお陰で、私はこんなに近くで志波くんを見る事が出来るし、一緒に出来ることがある。
それだけじゃない。ここに来て、私はたくさんの人たちに出会えた。何もなかった私の世界が変わったんだ。そして、たぶんこれからもそれは続いて行くんだと思う。

「…先輩、ありがとうございました」

そう言うと、少し泣きそうになった。今までの事が急にいっぺんに胸によみがえってきて。
無理やり連れて来られてマネージャーになったり、志波くんの事で作戦を立てたり、文化祭ではうささんになったり、鈴原さんとの仲直りを盗み聞きされたり。
色々あったけど、全部全部、忘れられない大切な思い出。

「何言ってんだ!俺は確かに野球部は卒業だけど、ずうっと皆の先輩だからな!だから、迷惑だと言われても毎日来るぞー!俺は」
「…また怒られますよ、藤枝くんに」

そう言って先輩はにっかりと笑う。ダメだ、全然懲りてないや。
でも、それが立川先輩なんだから仕方ない。
だから私も、同じように笑って返した。






「…さてと、そろそろ仕事しなきゃ。あ、先輩も暇だったら藤枝くんのジャージ探してくださいね?」
「だからぁ、あれは妖精さんが持ってったって言っただろうが。藤枝くんに恋する妖精さんが持ってっちゃったの!俺、見たもんね」
「またそんな事ばっかり言って…、柏木先輩に言いますよ?」
「ちょっ…、やめてよ、そういう脅しはやめようよ、さよすけ!またボコボコに怒られるでしょうが!」
「だったら真面目に探してください。藤枝くん、本当に困ってたんですからね」
「だーから、俺は真面目に言ってるんだってばー!本当なんだってばー!」





















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