私は私。
鈴原さんは鈴原さん。
彼女が志波くんに何を言おうと、それは私には関係が…ない。気にはなるけど、それを言わないでとか、何を言ったのとか、問い詰める権利はない。
私は私で、鈴原さんにも志波くんにも、他の周りの人たちと変わらずに話す事ができるはず。

頭では、わかっているのだけど。

(今日もまともに話せなかった…)

部室で一人、ため息をついた。
話どころか、顔も見れない。こんなあからさまな態度、良くない。わかっているけど、いざ目が合うと何も言えなくなってしまう。
もちろん、挨拶くらいはするし一緒に作業することだってあるから全く話さないというわけではないけど。
鈴原さんは、時々何か言いたそうな顔をする。私はそれに気付いて慌てて話を逸らしたり、その場から離れたりする。
そんな事の繰り返しだ。

「さよちゃん、ちょっといい?」
「…倉田先輩」

倉田先輩はいつもにこにこしてる。先輩は3年生だから、この夏で引退だ。すごく寂しい。
先輩は何でもないような顔をして、けれども私をまっすぐに見て、言った。

「鈴原さんと、何かあった?」
「えっ……」

作業をしていた手が、ぎくりと強張る。
どうしてというよりも、やっぱりという気持ちの方が強かった。ただ、こんな風に前触れなく聞かれるとは思っていなかったけれど。

「それ、私が代わるから、さよちゃん、話して来たら?何かあるならきちんと話した方がいいよ」
「で、でも…!」
「あのね」

やんわりとした倉田先輩の声は、私の言葉を簡単に止めてしまった。

「鈴原さんがね、さよちゃんに嫌われちゃったかもしれないって言ってたの。私はそんな事ないよって彼女に言ったけど、さよちゃんは鈴原さんが嫌いなの?」
「ち、違います!」

それは違う、絶対に違う。
そういうのじゃ、なくて。
先輩はおどおどする私とは違って、淡々と話を進めていく。

「じゃあ、問題ないよね?今回のはさよちゃんが悪いと思うよ。鈴原さんが何度も話そうとしたのに、いつもはぐらかしてた」
「は、はい…」
「…さよちゃんは、話をするの嫌かもしれないけれど…、でも、このままでも良くないとも思っているでしょう?鈴原さんと、ちゃんとお話しなきゃって思ってるでしょう?違う?」

倉田先輩は、私の心の中が見えるみたいにすらすらと言葉を並べていく。私は黙って頷くしかなかった。
そんな私を見て、先輩はまた少し笑みを深くした。

「じゃあ、頑張ろうね。さよちゃんは鈴原さんよりちょっとお姉さんなんだから、こういう時は頑張らなきゃ」
「お、おねえさん…」
「そうだよー。…それにね、意外と思っているより大した事ないの、こういうのって。だから、大丈夫」

行ってらっしゃい。笑ってそう言われて、私は部室を出た。

グラウンドの隅の方に、細く長い影が見える。私より、ずっと背が高い。ふと思いついて辺りを見回してもう一人の人影を探したのだけど、見えない。今日は、彼がいない事にほっとした。
鈴原さん、と声をかけると背の高い影がびくりと揺れる。

「あの…」

もう既に泣きそうな顔に、胸が痛くなる。
鈴原さんは、胸の前でぎゅっと手を握っていた。

「先輩…怒ってるんですよね」
「ち、違うの。…怒ってるとか、そんなんじゃなくて…」
「いいえ。だって、勝手な事をしたのは私ですから。でも、でも私、その時はそうするしかないって思ってしまって…」
「そんな…!鈴原さんは悪くないよ!」

思わず大きな声で言うと、鈴原さんはびくりとまた体を震わせた。
がんばらなきゃ…私は、鈴原さんよりちょっとおねえさんなんだから。
そう、彼女は何も悪くない。自分に出来ない事をした鈴原さんを勝手に妬んでいたのは私。すらっとしてて綺麗な鈴原さんに、劣等感を持って。
かなわないって、勝手にいじけていたのは私。

「か、勝手って…。だって、人を、す、好きになるのは自由だもん…。私は何も言えないのに。それなのに、ごめんね」

言ってしまった。私も少し泣きそう。
だって、志波くんが好きな気持ちはそのままだもの。志波くんが鈴原さんを好きになっても、私も志波くんの事を好きなままだもの。
そういう時は、どうしたらいいんだろう。

「先輩…?」

鈴原さんの不思議そうな声がぽつりと零れる。きっと、私が先に謝ったから不思議に思っているんだ。
何だかたまらなくなってぎゅっと目をつぶった。こんなに綺麗でいい子だったら志波くんが好きになっちゃっても仕方ないよね。私なんて全然ダメだよね。あぁでも、友達くらいにはなれてるのかな、一番初めの頃に比べればずっと仲良くなれたんだからそれでいいかな。
そんな思いが、体中をぐるぐる駆けまわった。

「あの、先輩、何を言ってるんですか…?」
「な、何って、だ、だから…え?志波くんに、この間、会いに来てたよね?その話、だよね?」
「はい、そうです。でも、先輩の言ってる事が…その、よくわかりません」
「………え?」

え?ヨクワカラナイってどういう事?
予想外の返答に溢れそうになっていた涙も一気に引っ込んでしまった。
鈴原さんは、少し困ったような顔をしてこっちを見ていた。

「…先輩、私が志波先輩に、勝手に入部してくださいってお願いしに行ったことを怒っているんじゃ、ない、んですか…?」
「……にゅう、ぶ?」

…初めて聞いた。
え?にゅうぶって、入部?鈴原さんが志波くんに…お願い?勝手に?

「って…えっ…ええっ、えええええ!そっ、そうなの!?そうだったの!?」
「ご、ごめんなさいっ!や、やっぱり軽率でした、私…!!」
「や、野球部の話、だったの…?わ、私はてっきり…。で、でも、どうしてそんな事を鈴原さんが?」
「そ、それは…」

鈴原さんは肩をすぼめてもごもごと口籠った。背が高いのに何だか小さく見える。

「せ、先輩が…」
「え?私?」
「一ノ瀬先輩が、志波先輩が入ったら楽しいだろうなって言ってたから、それで…」
「…え?」

わたし?
思わず聞き返すと、違うんです!と慌てた声が返ってきた。

「他の先輩たちだって、志波先輩の事はいつも話に出ていたし、でも、誰も直接はお話していないみたいだったし…だ、だから、私…」

鈴原さんの声が段々小さくなる。

「あの、少しでも、力になれたらって思ったんです。志波先輩が入ってくれればうちの野球部は強くなるし、それに…一ノ瀬先輩も、喜んでくれるって、思って…」
「………〜〜っ、す、すずはらさぁんっ!!」
「きゃあぁっ!ど、どうしたんですかっ…!?きゅ、急には危ないです…!」
「ごめんね!本当に本当にごめんねっ、ごめんなさいっ…!!」

バカだ、私。何てバカだったんだろう。
鈴原さんは、男の子と話すのが凄く苦手で、部員とだって中々話せないのに。きっと、志波くんと話すのは凄く勇気がいる事だったのに。
野球部と、私の事を思ってしてくれた事だったのに。頑張ってくれたのに、勝手に勘違いして妬んで避けたりして、最低だ。本当にバカだ。
思わず抱きついてしまった私の肩に、そっと手が触れた。

「でも…後から聞いたんです。志波先輩にはそういう勧誘はしないって立川部長が決めてたんだって、…一ノ瀬先輩と話して決めた事らしいって」
「…それは」
「何も知らないで、勝手な事して、だから先輩はきっと怒ってるんだって…私、嫌われちゃったかなって、おもって…」
「そ、そんなので嫌いになったりしないよ!私の方こそ…私こそ、ひどい事して…わ、私、鈴原さんと仲良くしたいもん…っ、だから、ごめんね。許してねっ…」
「…私もです。先輩と、仲良くしたいから…だから、先輩が許してくれるなら嬉しいです」

す、すずはらさん…!と、胸一杯に感動している私の後ろで、ごそごそと何かが動く音が、した。
振り返ると、見知った人のこそこそする姿。

「…立川先輩、何してるんですか?」
「…えっ?あ、あれぇ?キグウだなぁ、こんな所で会うなんて。ごきげんよう、お嬢さん方!」
「もしかして、覗いてました?」
「人聞きの悪い事を!さよすけはいつから俺をそんな人間だと疑うようになったんだろうねっ!…まぁ、あれだよ?すこーし前からいたけども」
「…盗み聞きしてたんですか?どこから?」
「…………『さよちゃん、ちょっといい?』あたりから」
「そ、それ、ほとんど全部っていうか、始まる前からじゃないですか!」
「仕方ないだろうが!こんなオイシイ話を見逃せるわけないだろうが!…と、いうわけでまるっと全てイタダキました。いやぁ、麗しかった…!!」
「か、柏木せんぱーーーいっ!!柏木先輩助けてーーーっ!!!」
「ばっ、よせ!!俺を地獄へ送るつもりか!?今度こそ、送られる!黄泉の世界に叩き送られる!!」





その後、皆で部室に戻った。さっき部室にいた時よりも入ってくる光のオレンジが濃くなっている気がする。

「まぁ、良かったじゃない。二人がギクシャクしていると作業もうまく捗らないものね」

相変わらずのポーカーフェイスで、柏木先輩は眼鏡のフレームをかちりと直す。その横で倉田先輩は「ね?大丈夫だったでしょ?」と私に笑いかけた。
…もしかして、先輩は知っていたのかな?

「ちょっと…祥子ちゃん。俺は君からの愛でぶっ壊れそうなんだけど。ていうかもう練習でボロボロなのか折檻でボロボロなのかわからん…」
「…志波くんの事はね。ちょっと…そうね、有体に言ってしまえば彼の意志を尊重しているってところかしらね。あなたは入ったばかりだからちゃんと話してなかったわ」
「あ…無視ですか。空気扱いですか…」
「…私、結局は何もできませんでした」

鈴原さんはしょぼんと肩を落とした。美人な人は落ち込んでも美人だなぁ、なんて、今では暢気に思ってしまう。

「でも…どうしてですか?私、思うんですけど、志波先輩は野球を…やりたくないわけじゃないんですよね?そうでなかったらあんなに練習を見に来たりしないもの。
みんな…一ノ瀬先輩だって待ってるんですって言ってみたんですけれど…答えられないって」
「ったく、こんな美少女に誘われても動かないとはね。…困ったやつだよ。…それとも、誘ってほしい奴が別にいるのかね」

部室の床にへばり付いていた立川先輩が体の埃を払いながら立ち上がる。ほんの一瞬だけ目線があった気がしたけれど、先輩はすぐに全然違う方向を見てしまった。
オレンジ色の光が窓から差し込む。陽射しの中に立つ先輩の表情は良く見えなかった。

「…まぁ、あれだ。あいつの事はとりあえず保留。今度の試合に向けて気合いいれなきゃいけないし」
「…保留?」
「俺もね、色々考えたわけ。…で、ここはさよすけ方式で行こうと決めたわけです」
「わ、私?ですか?」
「さっき、ほのたんが言ったとおり、結局、俺たちに出来る事はないんだよ。これは、あいつの問題。そう、俺も気付いた」

この時の私達はまだ誰も知らなかったと思う。私は、ただ頑張らなきゃって思ってた。野球部の事も、…志波くんの事も。
いきなり何かが出来るわけじゃないけど、ただ、じっとしているだけじゃなくて、もう少し動いてみようって、そう思っていた。

「あいつが決めなきゃ、どうしようもない」

今度の第3日曜日にある試合。そこで、羽学野球部にとっても志波くんにとっても大きな動きがあるのだけれど。





その時、部室に集まっていた私達はまだ何も知らなかった。





















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