入学して数日。学校の中も少しずつわかってきて、友達も少しずつ出来始めた。
一番に声掛けてくれたのは西本はるひちゃん。すごく元気な関西弁の女の子。担任の若王子先生のことも「若ちゃん」と呼ぶ。
あとは水島密さん。星占いで、私と友達になるって書いてあったんだって。すごく綺麗で大人っぽくて女の子なのにちょっとドキドキしちゃうくらい。
そして、重要な事。あの人の名前。志波勝己くん。
本人から聞けたわけじゃないけど、知ることが出来た。(たぶん、提出するプリントを集めていた時とか、そんなだったと思う)
志波くん。志波勝己くん。最近この名前を呪文みたいに心の中で唱えている。しばかつみくん。(でも、周りに人がいる時はあまりしない。変な子だって思われちゃいそうで)
それだけでも嬉しくて、毎日が楽しい。名前だけでこんなにシアワセになれるって志波くんって凄いなぁって思う。
でも、お話はしたことがない。というか、私だけじゃなくて志波くんと仲良く話してる人を見た事がない。
志波くんは、朝のホームルームが終わったらふらりとどこかに行ってしまって、それきり帰ってこない事が多い。いたとしても寝てる事が多いし。
それに、席だって私とはうんと離れてるし。
そんなだから、クラスの中では志波くんを怖がるっていうか、敬遠してる子もいて(大体は女の子だ)。でも志波くんは全然気にしていないみたい。
今度、話しかけてみようかな。…考えただけで緊張しちゃうけど。
そんな事を考えながら廊下を歩いていると、掲示板にクラブ勧誘の張り紙があるのが目に入る。色々あって、思わず立ち止まった。
生徒会、手芸部、応援部…あ、水島さんは吹奏楽部って言ってたっけ。ラクロス部とか、かわいいなぁ。特に何も考えていなかったけど、何か入ってみようかな。
「……あ」
ふと、目に留まる一枚の張り紙。野球部。女子マネージャー急募!だって。部員よりもマネージャーの方が大きく書いてある。
それが面白くて、つい笑ってしまったら、ぽん、と、後ろから肩を叩かれた。
「…野球部…それは青春の象徴、高校生の憧れの部活……」
「え、あの、どちらさまですか?」
「そして!そんな野球部の張り紙を見て微笑む君も、立派なドリーマー!物語の主人公だ!さぁ、一緒に青春しようじゃないかっ!」
「ぎゃああ!変な人ーーー!!」
私の肩を掴んでそう熱く語る人は、青いネクタイをしている。とりあえず先輩みたいだけど、いきなり何なんだろう。
驚いている私に、その人はからりと笑った。何となく、悪い人ではなさそうだけど。
「申し訳ない。自己紹介が遅れてしまった。…俺は羽学の愛の狩人、新入生ハンターです」
「……………」
「…ってのは半分冗談で、俺は2年の立川直人、野球部所属ですヨロシク。好きなタイプはツンデレ眼鏡っ子です。と、いうわけで、さぁ行くぞっ!いざ、青春の日々へ共に!!」
「ちょ、ちょっと待ってくださ…!!いやぁーーー!!ユウカイーーーー!!」
そんなわけで、無理やり連れて来られたのは、本当に野球部の部室だった。立川先輩(一応、先輩と呼ぶ)は、慣れた手つきで扉を開けて、私を押し込む。
「はぁ〜い!新入部員一名、ごあんな〜い!」
「えええっ!そ、そんないきなり…!」
中には洗濯物をたたんでいる人と、何やらノートに書き込みをしている人がいた。どちらも女子で、たぶん、野球部のマネージャーさんなんだろう。
「うわぁ〜女の子だぁ〜!立川くんすごーい!本当に新入生を勧誘してきてくれたんだぁ」
そう言って嬉しそうに私に駆け寄ってきたのは、洗濯物をたたんでいた人。何だかふんわりした感じの優しそうな人。
私に向って「よろしくね」とにっこり笑いかけてくれた。うわ、何だかこっちまで「ほわぁん」てなる笑顔。
もう一人、書きこみをしていた人は顔を上げて細い指でカチリと眼鏡を直して私を見つめる。たぶん、長いのだろう黒髪は、後ろできれいにまとめられてた。
「一体、どう言って連れてきたか知らないけど…まぁ、猫よりは役に立ちそうね、よろしく」
「は?ねこ?」
「猫の手も借りたい、という意味」
…それって、誉められてるのかな?
何だかいきなりの事でどうしていいのか全然わからない。まぁとりあえず座ってねと勧められたパイプ椅子に座って…今までの事を考えてみた。
ええっと、廊下を歩いていて、掲示板を見てて、立川先輩に声を掛けられて連れて来られて…野球部に入部?
「でも嬉しいなぁ、女の子が入ってきてくれて。さすが立川くん」
「まぁ俺はラブハンターだからね。これくらい朝飯前だって。あっ、でも俺の心はもうとっくにハントされてるんだけどネ!」
「どうでもいいから入部希望届けもらってきて、即刻。…それからあなた。新入部員さん?」
「へ?は、はい!」
黒髪の先輩が、紙とペンを目の前に差し出す。
「そこに名前と、すぐに連絡の出来る…そうね、ケイタイの番号でいいわ。連絡網を新しく作るから」
「え、あ、あの…っ、ちょ、ちょっと待って下さい!」
思わず大きな声を出してしまったら、3人は目を丸くして私を見る。色々考えてみたけど、やっぱりこれはおかしい。この流れで入部なんて。
「あ、あの、私、入部なんて……できません」
「えーー!!そんなぁ!!もしかして俺の事がキライとか!?」
「…立川くん、凄い目で睨まれてるからやめた方が」
「……何故なの?」
黒髪の先輩は一しきり立川先輩を睨んだ後、私を見据えた。怒っているわけでもない、静かな問いかけ。
でも、だからこそ張りつめたような緊張感が、空気に満ちる。
「だ、だって、私…特別野球が好きなわけじゃないし、ルールだって、全然知らないし…」
そう。それなのに、野球部のマネージャーなんて、出来るとは思えない。そんな位の気持ちでやっちゃいけないって事くらい、いくら私がぼんやりでもわかっているつもりだ。
そういう気持ちを精一杯込めて言ったのだけれど、3人は何だか腑に落ちないというか、不思議そうな顔をして私を見ていた。
え?私、おかしな事言ってないよね?
黒髪の先輩は眼鏡を直しつつ、まっすぐに私を見ていた目線を、立川先輩の方に移した。
「…立川くん、あなたは何故彼女を連れてきたの?」
「野球部のチラシ見てたから。そして微笑んでいたから!」
「…なるほどね」
「何か問題でも?」
「いいえ、無いわ。少なくとも私には」
そう言ってから、また私の方を見る。さっきより、少し柔らかい目で。
「一つ話をすると、私だって野球に興味なんて無かったわ。好きでもないし、むしろ無駄だと思ってた、部活動なんて」
「え……でも」
「そう。私は今、野球部のマネージャーをしてる。動機は…そうね、ノリね」
「の、ノリ!?」
ノリ。そんな言葉とは無縁そうなこの人が。
そして、それまで黙っていた優しそうな先輩が、にこりと微笑んだ。白くて柔らかな手が、私の手をきゅっと握った。
「あのね、私達と野球部、やらない?」
「え…」
「私は、あなたが入ってきてくれたら楽しくなるなぁって思うんだけど…ダメかな?」
「野球部はたっのしいぞー!大変は大変だろうけど、その分、絶対充実してる!これも縁だと思ってさ!」
立川先輩も、一緒になって言ったところへ「つまりは、そういう事なの」と黒髪の先輩が言った。
「もちろん、ダメならダメでその時の事だけど。あなたが考えてるほど、難しくないんだってこと。……さぁ、どうする?」
「い、いいんですか?本当に…」
恐る恐るそう言うと、「大歓迎!」と、すぐさま返事が返ってきた。
と、いうわけで、一ノ瀬さよは野球部マネージャーになりました!
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