「うーんと…どっちがいいかなぁ…」

柄にもなく、姿見の前で考え込んでしまった。
一つはパーカーにTシャツにデニムにスカート。
もう一つはシンプルだけど、ちょっとふんわりしたワンピース。

パーカーにデニムだとあまりに普通っぽいし気もするし、かといってワンピースは妙に気合いが入っている気がするし。
どっちが似合っているかといえば、どっちも…ビミョーな気がするし。

「んー…んーあー!いいや!こっち!遅れちゃう!」

結局、パーカーを着込んで慌ただしく家を出た。待ち合わせ場所は公園入り口。日曜日でのんびり歩く人達の間を縫って、ひたすら走った。
遅れちゃうのは困るけど、走るのはちょっといいかもしれない。のんびり歩いていたら頭で色々考えてしまうから。
今日は、雲ひとつない青空だった。きっと桜も綺麗だろうな。

「ご、ごめ…んなさい。ちょっと遅れちゃって」
「いや、俺も今来たところだ」
「よ、よかっ…!」
「…大丈夫か?」

走ったのはいいけれど、必死で走ったせいで息が上がりっぱなしだ。志波くんは心配というよりはむしろ不思議そうに私を見下ろす。

「そんなに急がなくても桜は逃げやしねぇのに」
「さ、桜、じゃなくて志波くんが」
「俺?」
「…え、えぇっと」

志波くんに待ってもらうのは悪いなと思って走ったんだけど、志波くんは何を勘違いしたのか「俺だってどこにも行かない」とおかしそうに笑った。
また、志波くんの笑った顔が見れた。

森林公園の桜は満開だった。お天気も良いし、家族連れやデート中のカップルや、グループで来てる子たちとか、とにかく人はたくさんいた。
去年、桜が咲いたこの場所で、私は志波くんに出会った。引っ越して来たばかりで、買い物の途中で。

「考えてみたら、すごい偶然だなぁ…」

ここで犬に追いかけられる事がなかったら、そのまますれ違っていたのかもしれない。それより、この公園に来ていなければそもそも会えない。
……はばたき市に、来ることがなかったら。

「何が?」
「はぇっ?」
「何が偶然だって?」
「あ、あのね、ここで志波くんに会ったことだよ。…憶えてないと思うけど」
「いや、憶えてる」
「…ほんと?」

あの辺だったな、と、志波くんは少し向こうの方を指さす。志波くんは喉を鳴らすように笑った。

「デカイ荷物が、犬に追いかけられてた」
「あ、あれは!仕方なかったの!引っ越してきたばっかりだったから…!」
「確かに、偶然だな。…まさか同じ高校生だとは思わなかった」
「うぅ…」

それってきっと年下に見えたって事だよね。…確かに、私と志波くんじゃあ同じ学年に見ろっていう方が難しいのかもしれない。
志波くんのおばさんにも「初めは中学生くらいかと思っちゃった」って言われたもの。

「もし会わなかったら…どうなってたんだろうな」
「…え?何か言った?」
「…何でもない」

ふい、と顔をそらすようにして、志波くんはそのまま先を歩いた。





もしも会わなかったら、今日私は誰と桜を見に来ていたんだろう。はるひちゃん?それともひーちゃん?
不思議な事に、男の子の顔は誰も思い浮かばなかった。くーちゃんもハリーも仲良し(ハリーも一応そういう事にしておく)なのに、志波くん以外の男の子と遊びに行くなんて全然想像がつかない。
志波くんと一緒に出掛けるのだって、すごい事なのに。何故だかそれが一番しっくりくる。
会わなかったらどうなってたか、なんて、考えるのはきっと無意味な事なんだろうな。

「何、考えてる?」
「へ!?えーっと…あ!桜、いっぱい咲いてるなぁって。満開だね、志波くんの言うとおりだった」
「あぁ…そうだな」

いくらなんでも「志波くん以外の男の子と遊びに行くのなんて想像もつかない」なんて、そんな話、出来っこない。
志波くんは、それ以上は何も聞かずに黙って桜を見ている。私も、一緒にたくさんの桜を見る。
時々風が吹いて、その度にはらはらと花びらが落ちてきて本当にきれい。もしかして捕まえられるかなと思って手を出してみるけど、中々思うようにいかない。

「うーん…やっぱりダメかぁ…」
「…何してるんだ?」
「えと、花びら取れるかなぁって…」
「花びら…?」
「こういうの、取れるようで取れないねぇ…」

つかまえたと思ったらするりと落ちていってしまう。

「…さわりたいのか?」
「触りたいっていうか…捕まえられたらいいなぁって…」
「そういうもんか…?」

初めはベンチに座っていたけれど、それも立ち上がって桜の花を追いかける。でも、やっぱり取れない。
こういう時、もう少し背が高かったらって思う。それか、もう少し手が長ければ良かったのに。
ひーちゃんみたいに手足がすらっとしてるの羨ましいんだけどなぁ…。

「んー…やっぱりダメかぁ…」
「…そんなに触りたいなら手伝ってやってもいいぜ?」
「へ…っ?」

瞬間、ふわりと体が宙に浮いた。

ううん、勝手に浮いたわけじゃなくて。

「えぇっ…ぅわっ…わーっ!わーっ!ししし志波くんっ!?」
「おい…っ、こら、暴れるな…っ」
「だってだって…っ!」
「とりあえずじっとしろ。落としちまう」

志波くんの声にとにかく体の動きを止める。でも、まだ心臓がどきどきしている。手が、志波くんの手が触っている。(当たり前だけど)
私の体を持ち上げたまま、志波くんはため息をついた。

「お前が花びら取りたいって言うから…」
「そ、そうだけど…っ」
「この方が近いだろ。手、伸ばせば枝に届く、お前でも」
「…ぁ」

確かに、言われてみれば。
落ちてくる花びらどころか、桜の枝そのものがすぐ上に見えた。
手を伸ばすと薄いピンク色のそれに手が触れた。何だかしっとりしてる。

「…どうだ?」
「うん、触れた!…志波くん、重くない?」
「いや、全然」
「そ、そう…よかった」
「これくらい大丈夫だ。…鍛えてるからな」
「あ、そうか…ジョギングもしてたもんね」

言ってしまってから、しまったと思った。
だって、そうやって志波くんが走ったり鍛えたりしているのはちゃんと目的があるからなのに。
やりたいけど、やれない事。

――あいつが野球したくないわけがないだろ。

いつか立川先輩に言われた言葉が、くっきりと頭に浮かぶ。

「…桜、もういいか?」
「…あ、うん!ありがとう」

ここで戻れなかったら、あいつはもう戻れなくなる。
先輩の言葉が、心のどこかでずっとずっと引っ掛かっていた。
志波くんには志波くんの気持ちがあるって、あの時私は言ったけれど。本当は自信がなかった。何も出来ないのだと、決めつけていた。
余計な事を言って、嫌われたくないっていうのも正直あった。

『愚かな選択だとしても、それしか選べない時もある』

だから、待つしかない。私達に出来ることは何もない。
志波くんの気持ちを変えることなんて、出来るはずない。ずっとそう思っていたし、今でもそれは変わらずにある。
でも、それでいいのかな。
志波くんが本当は野球をしたいってこと、私はもう知っている。それなのに、ただ待っているだけで本当にいいのかな。
それがたとえ無駄な足掻きでも、…嫌われてしまっても。先輩のように動くことの方がずっと良いんじゃないかな。

ただ見ているだけの志波くんに、もう一歩近づくきっかけがもしかしたら出来るんじゃないかな。

「…去年の今頃は」

私を地面に下ろしてからベンチに座りなおした志波くんは、何か思いだすみたいな顔をしていた。…少しだけ、疲れたような顔。

「去年の今頃は…本当に腐ってた。何も出来ないけど…それでもじっとしていられなくて、走ったり筋トレしたり」
「……」
「お前にも当たったりしてな」
「そんなの、もういいよ」
「…もう、一年も経つのに」

胸が痛い。何か言葉をかけたいのに、何も思い浮かばない。どんな言葉も、きっと志波くんには気休めにもならない。それはわかってる。
だけど、見ているだけも、嫌で。

「…無理、しなくていいと思うよ」

何も言わずに、志波くんが顔を上げた。

「私…よくわからないけど。でも、志波くんは無理しなくていいと思う」
「無理、してる風に見えるか」
「……先輩が、本当は志波くんは野球をしたいんだって、言ってた」
「…!」
「でも、私は…しなくてもいいと思う。志波くんが、それを選ぶなら」

「やりたいならやればいい」とは、どうしても言えなかった。それは、励ましのようで本当は残酷な言葉だから。
黙りこくったまま、志波くんは、立ち上がる。そしてそのまま、私の方に手を伸ばした。
ぽん、と、大きな手が頭の上に乗る。

「お前がそんな顔することないだろ」
「…っ。ご、ごめんなさ…!」
「悪い。…こんな話、するつもりじゃなかった」



そろそろ行くか。そう言って、志波くんの手は離れた、ゆっくりと。





















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