「はぁ…」
お客さんが来ない時間。ついぼんやりしてガラス戸の向こうを見る。クリスマスもお正月もあっという間に終わってもう2月だ。外を歩く人は皆寒そうにコートやマフラーを押さえて歩いている。
今日は、風が強いから。歩く速度も皆何となく早い気がする。
「こらっ!何ボンヤリしてんだ?」
「わきゃっ!」
ぽんっと突然頭に置かれた手にびっくりして振りかえると、真咲先輩だった。今日も頭がつんつんしてる。
「まぁお客さんいないしなー。でも有沢だったら怒られてるぞ?気をつけろよー?」
「は、はい。すみません…」
「で、なーにため息ついてたんだ?何かあったか?」
「べ、別に何でも…」
そう言ってさりげなさを装ったつもりだったんだけど…失敗したみたい。真咲先輩は呆れ顔で「嘘つけ」と肩をすくめた。
「あーアレか。もしかしかして恋の悩みか?バレンタイン近いしなぁ、好きなヤツでも出来たか」
「ば、ばれんたいん…?あ!ほんとだ!バレンタイン!」
そう言えばもうすぐバレンタインだったんだ!どうしよう、すっかり忘れてた。
驚いた私に、真咲先輩は不思議そうな顔をして「何だ、違うのか」ともう一度問い直す。
「えーと…まぁ、そのような、そうでないような…」
「何だ、ハッキリしねーなぁ」
「あぅ…えーと、まぁ、部活の事でちょっと」
思い出して、またため息が出る。でも、今更どうしようもない。後悔も、していないし。
例の「志波くんを野球部に誘っちゃおう作戦」を、私は辞退することにした。いっぱい考えた結果、出た答えだ。
「…何でそうなる」
それを告げた時、立川先輩は静かにそう言った。いつもみたいにふざけて大きな声を出したりしない。
その分、余計に怖かった。
「…あの、志波くんは志波くんの気持ちがあると思います」
「そんなのはわかってる」
「し、志波くんは、野球がしたくないからしないんですよね?それなのに、どうして志波くんを無理に誘わなきゃいけないんですか?」
「あいつが野球したくないわけがないだろ」
厳然と、立川先輩は言い放った。練習後の部室。残っているのは立川先輩と柏木先輩だけだった。
「さよすけは知らないからだよ。だからそんな風に思うだけだ。言ったろ?あいつは野球をしたくないんじゃない、出来ない「理由」があるだけだ。それも、本人が勝手に拘っている、俺に言わせりゃバカバカしい理由だぜ。あいつは自分からは動けない。だから誰かが背中を押してやらなきゃいけないんだよ」
「…そ、それこそ、先輩の勝手な思い込みなんじゃないですか」
「……何だって」
ぎょっとしたような顔で、柏木先輩がこっちを見たのがわかった。たった3人しかいない部室は冷たくて、耳が痛いくらい静かだった。
ぴたりと、立川先輩の視線が向けられるのがわかる。怖い。怒ってる、すごく。
でも、言わなくちゃ。ぎゅっと、手を握って力を込める。ちゃんと、言わなくちゃ。
「志波くんは確かに…先輩が言うとおり、野球が嫌いなんじゃないって私も思います。もしかしたら野球をもう一度やりたいって思ってるかもしれない」
「だったら」
「でも、それでも志波くんが戻らないのは、戻りたくないからだって思うんです。やりたくてもやれないわけじゃないと思います」
「だからそれは違うって言ってるだろ!」
「志波くんは、本当にやりたいと思ったらきっと志波くんの方から野球をすると思います。周りがあれこれ言って、強引に野球部に戻すって…何だか違うと思うんです」
たくさん話をしたわけじゃない。立川先輩のように志波くんが野球から離れなければいけない「理由」も知らない。だけど、何となくだけど、志波くんは野球の事を凄く考えているのはわかる。そして、たぶん野球が好きだっていうことも。
そうでなきゃ、あんなに怒るわけないもの。本当に興味がないならあんな風になるはずないもの。
だけど、気持ちだけではどうにもならない事だってあると思う。拠り所にしていたものなら尚更。もう戻らないと思うなら、尚更。
大切なものと離れなければいけない苦しみは、そんな簡単には乗り越えられない。
「…つまり、お前が言うのは、志波が自主的に戻ってくるのを俺たちは黙って待ってろってことか?もしそれで戻らなかったらどうする。俺たちが黙ったことで、あいつが野球に戻るチャンスが失われる事になったら…お前、どうするんだよ」
「それは…」
「ここで戻って来れなかったら、あいつはもう戻れなくなる。だったら多少強引でも引っ張ってやらなきゃって俺は思う」
「…もう、そこまでにしたら」
ふと、柏木先輩の声が割って入った。ため息と一緒に流れ出たような声。先輩は疲れたように私たちを見比べる。
「立川くんの気持ちもわかるけれど、だからと言ってそれを彼女に押し付けることは出来ないでしょう?一ノ瀬さんだって良く考えたんだろうし、元々こっちが勝手に巻き込んだようなものだもの」
「それは…そうだけど」
「志波くんが…彼が入部するかしないかは別として、その事で私達が内輪もめするなんてバカバカしいわ。…だから、もうやめて」
話は結局そこで終わって、私は部室を後にした。
「…真咲先輩はどう思いますか?」
「あ?俺?」
「…やっぱり、待ってるだけじゃダメなのかなぁ…」
「まぁ、そうだな。俺だったら…やっぱりその先輩が言うみたいにするかもなー。本人がぐずぐずしてんのを引っ張るってのは結構大事だと思うぜ?」
「そっかぁ…」
「難しいよな、そういうの。ただ無理やり引っ張っても逆効果かもしんねぇし…でも待つってのは中々、待ってる方もしんどいし。お前も、その先輩もどっちもその悩んでるヤツのことを凄く思ってるんだけど…方法が違うってことだよな」
「そうですねぇ」
「で、そのウダウダ悩んでるヤツがお前の好きなヤツ?」
「はぁ、まぁ…って、え!?ち、ちが!別に、それは関係無くて!」
慌てて言いなおすと、真咲先輩は人の悪そうな笑みを浮かべてる。…もう、誘導尋問だっ!
「もう、真咲先輩酷いですっ!」
「ははっ、わりーわりー。まぁどっちにしても本人の気持ち一つだ!だから、お前がそんな顔してたって良い事ないぞ?笑っとけ」
本人の気持ち一つ。うん、そうだ。それなら私はやっぱり志波くんの気持ちを信じていよう。
ぽんぽんと真咲先輩に頭を撫でられながら、そう思った。
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