志波くん(と志波くんのお母さん)が家に来てくれてから2日経った。

「…うん。もう大丈夫」

ピピ、と小さく電子音が鳴るのを聞いて、体温計を確認する。うん、平熱。体もだるくないし、平気。
制服に着替えて、冷蔵庫を開けてオレンジジュースとヨーグルトを取りだす。お湯を沸かしてる間にカップにティーバッグを放り込んだ。
お弁当の用意は楽だ。おばさんがたくさんおかずを作って冷凍しておいてくれたから。
焼きあがったトーストにバターを塗りながら、ぼんやりとあの日の事を思い返した。

学校に休んでいる間、どんなふうに時間がたっていたのかよくわからない。病院に行くといっても家から出る元気もなかった。
志波くん、来てくれなかったらちょっと大変だったかもしれない。

(…志波くん)

思い出して、ちょっとだけ顔が熱くなった。
初め、夢かと思った。だって、志波くんが家に来るなんて…お見舞いに来るなんて思わないもの。実際熱があったから、その時の事はあんまり良く憶えていないんだけど。
でも次の日の朝、鍵の事とか郵便の事とかについての書き置きがあって、そこに名前があったからやっぱりあれは本当にあった事なわけで。

「わーもー!ちがうちがう!」

確かに志波くんはすごく優しかったけれど、それは私が病人だったからで特別な意味なんてそこにあるわけがない。
だって、志波くんは優しい人だから、別に私でなくてもああしたに違いないんだ。それ位、私だってちゃんとわきまえている。
でもそれでも、心配してくれたんだなって思うと、何だか胸の辺りがじわぁってあったかくなって。嬉しくて口元が緩んでしまう。迷惑かけたんだから、喜んでちゃダメなのに。

「…って、そんな事言ってるバアイじゃなかった!遅刻しちゃう!」

残りのトーストを口に押し込んでオレンジジュースで流し込む。今日からまたいつもの生活が始まる。



「おはようございます!おはようございます!」
「氷上くん、おはようございまーす!」
「む?一ノ瀬くんか。…確か病欠だったらしいな。もういいのかい?」
「うん!もう元気だよ!」
「そうか、それは良かった。しかし、今日も厳密には遅刻だぞ」
「あわわっ、ごめんなさぁい!」

慌てて校舎に駆け込んで一息ついているところへ(ここまで来れば氷上くんにもばれない)「一ノ瀬さん」と声がかかった。

「若王子先生」
「やや、復帰したばかりでいきなりダッシュですか」
「す、すみません…!」

「元気になったならOKです」と先生はにっこり笑ってくれた。

「でも、あまり無理しちゃダメですよ?若いからって油断は禁物です」
「はぁ…あの、ご心配おかけしました」
「いえいえ。…あ、そうだ。志波くん、先生の代わりにお見舞いに行ってくれたんです。本当は先生が行かなきゃいけなかったんですが…彼にもお礼を言っておくといいですよ」
「は、はい」

「志波くん」って先生が言っただけなのに、心臓が驚いたみたいにどきりとする。
違う違う。意識しすぎだってば。
先生と別れた後も、廊下でくーちゃんやひーちゃんに会って声を掛けられた。そうして皆に声かけてもらうだけで、もっと元気になれる気がする。

「あーーっ!さよーーっ!」
「はるひちゃーん!おはよー!」

教室に入るなり、はるひちゃんにぎゅうっと抱きつかれた。

「もぉ、あほっ!心配したんやでー!こんな長い間休むなんて…!」
「ご、ごめんごめん…もぉ大丈夫だから」
「よぉ、さよすけ!もういいのかよ?」
「げっ、ハリー…!うん、元気だけど…さよすけってやめてよ!」
「おっまえ、俺サマに向かって「げっ」ってなんだよ失礼な!まぁ元気ならいーけどよ」

あんま心配させんなよ、と、びしっとおでこを指で弾かれた。それだけ言ってさっさと教室を出ていくハリーは今日も「創作活動」らしい。おでこ痛いよ。
デコピンされたおでこを擦りつつ、自分の席に移動する。その途中で、足が止まった。

「あ…」

クラスで一番(たぶん学校でも一番だと思う)背の高い男の子が、じっと私を見下ろしていた。
言いたいことはたくさんあるのに、言葉が出てこない。
どうしようどうしようと思っている間も、志波くんは私をじぃっと見ていた。

「…おはよう」
「え!?…あ、うん。おはよう!」
「…熱、下がったのか」
「う、うん。もう元気!」
「…そうか」
「あ、あの志波くん」

そのまま教室を出て行こうとする志波くんは「何だ」とこっちを振り返った。

「えと…、色々、ありがとう」

どうして先生の代わりに来てくれたの?
どうしてあんなに親切にしてくれたの?
トモダチだから?前にそう言ってくれたから?
私、志波くんの「トモダチ」になれたの?

聞きたい事はたくさんあったけど、結局何も言えなかった。
志波くんは、「気にするな」とだけ言って、教室を出ていった。





放課後、野球部に行くと皆、口々に声を掛けてくれた。皆があまりにも心配そうに、そして私の顔を見て嬉しそうにしてくれるから何だかちょっと驚いてしまった。
こんなに心配してくれていたなんて、思ってもみなかったな。

「あっ、さよちゃんだ!」
「なにっ、さよすけ来たのか!?」

部室に行くと、待っていたかのように2年生の先輩たちが駆け寄ってきてくれた。

「さよすけー!さよすけが来ないからもう寂しくて死ぬかと思ったぞ、俺は…なんて言うと思ったかコラーーー!!」
「きゃああああっ、た、立川先輩こわいっ!」
「5日も休みやがって、このバカタレが!俺たちに多大なる迷惑をかけた詫びに「野球部に入ってネ☆」と百回書いて志波に渡してこい!今すぐに!」
「い、嫌ですっ!それだけは嫌ですっ!」
「またまた、立川くんってば。一番心配してたくせに」
「し、してないもん!家押し掛けちゃおう作戦をしょーこちゃんに止められたりなんてしてないもんっ!」
「それは…迷惑です…」
「な、おま、リアルに引くな、傷つくだろが!」

ぎゃいぎゃい騒ぐ立川先輩を「バカはどいてて」と、柏木先輩が押しのけた。
キラリと光るメガネに、背筋が伸びる。

「あ、あのっ…すみませんでした!長いことお休みしちゃって…」

どうしよう、バイトを始める時も「絶対に迷惑かけません」って約束したのに。きっと柏木先輩すごく怒ってる。
でも、意外にも柏木先輩の声は静かだった。

「具合はもういいの?」
「へ?…は、はい、もういつも通りですから!何でも出来ます!」
「そう、なら問題ないわ」

…あれ?何だか意外だ。もっと怒られるのを覚悟してたのに。体調崩すなんて「自己管理が出来ていない」とかなんとか言われると思ったのに。
でも、お咎めナシならそれに越したことはない。荷物を置きに行こうとした時、また「一ノ瀬さん」と呼び止められた。

「は、はい、何ですか?」
「あまり、無理しないでね。…まぁ、私たちの力なんて大したものじゃないけど」
「そ、そんなわけないです!」

先輩たちあっての野球部なのに、何言ってるんだろう。そんな事言うなんて柏木先輩ってば本当にどうしちゃったんだろう。
それ以上は何も言えない私に、柏木先輩はふっと笑った。「そういう意味じゃないのだけれど」とポツリと言った。

「まぁ、いいわ。今日からまたよろしくね」
「はい!」





「…ねぇ、しょーこちゃんてばさよすけと俺の扱いに差がありすぎるんじゃね?つか、俺にだけキビシくね?」
「厳しいのではなくて、嫌いなの。いい加減わかってほしいんだけど」
「………………あ、あきらめねぇ、諦めねぇよ俺は…っ!」





















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