「ふぇぇ、遅刻〜っ!」

新しい制服と新しい革靴で、まだ慣れない道をひたすら走る。
今日は早起きをして、お天気が良かったから海を見に行ってみよう、だなんて思ったのがマチガイだった。
行ってみた海は確かに広くてきれいで、ますます素敵なところだなーって思ったのだけど。
その後、道がわからなくなって、近くの喫茶店の人に聞いたら何だか物凄く感じの悪い人で…なんであんな不機嫌そうだったんだろ?

ともかく、そんなこんなしてたらギリギリの時間になってしまったのだった。始まりから散々だ。
それでも何とか間に合って、もう誰もいなくなった校門を一人でくぐる。「羽ヶ崎学園」。今日から私が通う学校。
新しく来た学校は、まるで迷路みたいだった。遅れてきたからもう周りには誰もいないし、気持ちばかり焦ってしまう。
おろしたての革靴は、まだ少し固くて痛かった。

「ええっと…教室…?じゃなくて体育館かな…どっち行けばいいんだろ」
「やや、どうかしましたか?」

おろおろして困っているところに、声を掛けられる。柔らかな声。振り返ると、白衣を着た男の先生が立っていた。たぶん、先生なんだと思う。あんまり先生っぽくないけれど。

「もしかして新入生さんですか?一度教室に集合してから体育館移動なんですけど…今からなら直接行った方が早いですね」
「あ、あの!体育館、どっちですか?」
「この廊下をずっとまっすぐ行って左に曲がって…大丈夫?一人で行けるかな?」
「はい!ありがとうございました!」

心配そうな顔をしてくれた先生にお礼を言ってから、まっすぐいってひだり、まっすぐいってひだり…そう唱えながら走り出す。廊下は走っちゃいけないのかもしれないけれど、この際仕方無い。
何だか最近、私、走ってばかりな気がする。昨日も公園で、犬に追いかけられたし…。

(…あ)

走りながら、思い出す。あの時の事。助けてくれたあの人。(実際には荷物を拾ってくれただけだけど、そんな事は重要じゃない)
考えていると、何だかむずむずするみたいな感じがしてほっぺたが勝手に緩む。
かっこよかったなぁ。また会えるかな?会いたいな。
今日の帰り、またあの公園に行ってみようかな?……道、わからないけど。

廊下を突き当たって左に曲がると、確かに私と同じ制服を着た生徒達がいっぱいいた。良かった、間に合ったみたい!
…でも、クラスがわからない。みんなきちんと整列してて、私の入り込む余地なんて全然ない。
クラス、何だっけ?どんどん流れていく生徒達の列の前で、生徒手帳を取り出して確かめる。B組。うん、B組のところに入ればいいんだ。
だけど、どこなんだろう。どうしたらいいかな。

「ええっと、えっと…」

前にも後ろにも行けずにいる間に、どんどん人が増えていく。最初はきちんとしていた列も、人が増えてくるとただの集団みたいになってきた。
背の高い、男の子達の列に巻き込まれて、押されたり引っ張られたり…こっちも抜け出したいのだけれど、思うように歩けない。私は平均より少し小さいからそのせいもあるんだけれど。

「って、わわっ」

そのうちに、どんっと、強く押されて、そのまま列から弾かれてしまった。何となく迷惑そうにされているのを感じつつ、廊下の端に避難する。
そして、さっきまで手にしていた生徒手帳が無い事に気が付いた。持っていたカバンの中も確かめたけれど、無い。どこにもない。

「う、うそっ…、どこいっちゃったんだろ…!」

こんなにすぐに無くしちゃうなんて!と、血の気が引いたけど、よくよく考えればきっとここで落としてしまったんだと思い直す。ここで出して失くしたんだからそうに決まってる。

(で、でも、こんな中でどうやって探せば…)

「一ノ瀬」
「ぇ……あぁっ!」

掛けられた声に振り向いて…私は思わず声を上げた。そのせいで、相手は驚いたように目を見張る。
でも。だってだって、信じられない。
私に声を掛けたのは、あの人だった。正確に言うと、この間、公園で助けてくれた私が「出会ってしまった」人、だ。
背の高い彼は、私を見下ろして(偉そうにしてるとかじゃなく、普通にそうなる)訳が分からないといった顔をしている。

「…何でそんな大声出すんだ」
「え、だ、だって、なまえ」
「あぁ、そうだった。これ」

そう言って差し出されたのは生徒手帳。そうか、これを見て名前を呼んでくれたんだ。

「あ、ありがとう…」
「いや…お前、入学式出ないのか?」
「え!で、出るけど…」
「なら、早く行け。女子はもう体育館だぞ」

言われてみれば確かに周りは男の子ばかりで、女は私一人だった。そうか、だから生徒手帳も直ぐに私のだってわかったんだ。
「さよ」なんて名前の男の子、いないもんね。

「…ほら。B組はあっちだ」
「あ、あの、どうして…」
「同じクラスだからな」
「ええぇっ!!」
「…うるさい、大声出すな。…じゃあな」

そう言って、さっさと列に戻ってしまった彼の背中を、私はただ見送る。早く体育館に行かなきゃいけないのに、ちっともそんな気持ちになれなかった。
同じクラス。…本当は年上の人かと思っていたけれど。同じ学校で、同じ学年で、同じクラスで。

(…おなじクラス)

じゃあまた会えるんだ。毎日会えるんだ。




それから(さっきとは別の)先生に「早くしなさい」と注意されるまで、私は廊下に突っ立ったままだった、ずっと。





















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