「うわぁ…すごーい!何か、かわいいコがいっぱいいるねぇ!」
「かわいい…まぁ、そうか」
広い野っぱらのコーナーに、低い柵。周りは小さな子ども連れの家族が多かった。
視界を遮るものがないから、余計に空が高く広い。秋空らしく澄んだ青色が綺麗だと思った。さすがに時折吹く風はもうつめたくて、冬が近い事を実感する。
日曜日、何故動物園の「ふれあいコーナー」などに、しかも一クラスメートと来ているかというと、それは単に偶然というか、話の流れ上、としか説明しようがない。
事の始まりは針谷がバイト先でもらってきたという、ここの入園無料チケットだった。2枚もらってきたのを押し付けられたのだ。
お前が行けばいいだろと言えば、「このロックなオレ様が、動物園なんぞ行くか!」と返ってきた。ロックは関係あるのだろうか。
そんな話をしているところへ、一ノ瀬さよがやってきたのだった。「文化祭の時に助けてもらったお礼」と言って、小さな焼き菓子の包みを持って。
どういう経緯でかは知らないが、うささんの着ぐるみを着ていた彼女は、饅頭を分けてやった後、突然目の前で倒れた。自分がやった饅頭にまさか変なモノでも入っていたのかと慌てたが、どうやら軽い貧血のようなものだったらしい。11月頭とはいえ結構暑かった日に、あんなものを着込んでいたからだろう。保健室まで何とか担いでいき、そこで偶然野球部の先輩だという女の先輩に会ったので、彼女に預けただけだったのだが、「お礼」というのはその時の事らしい。
別に礼を言われたくてしたわけじゃないが、特に断る理由もなかったので、それは受け取った。「たくさん出来たからハリーにもあげるね」と言っていたから彼女の手作りなのだろう。
無関係な針谷にも似たようなものを渡していたのは、彼女なりの気遣いなのだと思う。他にも渡しているから、自分にも気兼ねなく受け取ればいいという、たぶんそのような事。
「そうだ、お前ら二人でコレ行って来いよ」
その時、針谷は名案を思い付いたとでも言いたげに得意気に言った。
一瞬後に「ひぇっ!」と奇声を発したのは一ノ瀬さよの方だった。
「きゅ、急に何言い出すの、ハリー!」
「そんな事言ったってコレ無駄にするのも勿体ねぇし、お前、羽ばたきの動物園行った事ねぇって言ってたろ?丁度いいじゃねぇか、志波に連れてってもらえ」
「い、行ったこと無いのはホントだけど…だ、だって、志波くんだって都合があるし…そ、それに急にそんなの迷惑…」
「俺は別に構わない」
「……へ?」
構わない、というのは都合も悪くないし、特に迷惑でもないという意味でだ。
しかし彼女にとっては予想外の答えだったらしく、驚いたように目を丸くして俺の方を見ていた。…そんなに驚く事だろうか。
とはいえ、正直自分でもよくわからなかった。都合は悪くないが、よく考えてみれば自分が一緒に行く必要はやはりなかったと思う。
それでもあの時、構わないと思ったのは本当だ。別に、構わなかった。
「…おい、そこ気を付けろよ」
「え?…はわわっ」
「言わんこっちゃない」
少し、くぼみが出来ている道(というか、整備も何もされていないそのままの芝生だ)の事を教えるのと同時に、一ノ瀬さよはそのままそこに躓く。
後ろからジャケットの首元を掴んで、こけるのは止めてやった。ありがとうごめんねと小さく聞こえる。
それにしてもこいつは重心が頭にあるんじゃないかと思うくらいにこけやすい。部活の時もそういう場面をよく見ている気がする。
最近、志波は時々野球部の練習を見る。彼女には話していないけれど。
主に見るのはもちろん部員達の練習風景なわけだが、彼女も一応は顔を知っているので視界に入ればつい目で追う。
はっきり言ってテキパキと要領の良い動きとは言い難いが、一生懸命やっている事はよくわかった。野球の事は素人だと言っていたと思うが、それでも好きでなければああは出来ないだろう。
いつも最後まで残っているのが一ノ瀬さよだった。もたもたと用具の整備だとか、洗濯物を片づけたりだとか、何だかんだで最後まで残っているのはいつも彼女だ。
時々あまりにもぐずぐずしているから見兼ねて手伝ってやろうかと思った事もあるが、実行することはなかった。
何となく、出来なかったのだ…気分的に。
「志波くん、どうかした?」
「…いや別に」
やめようと、離れようとしているのに結局こそこそ練習を見に行っているなんて、こいつが聞いたらどんな顔するだろう。
以前野球の話題を出されただけで苛立って本を投げつけ、「話しかけるな」なんて偉そうに言った奴が。
「ふれあいコーナーだろ?もっと近くで見てくればいい」
「うん、そうしたいけど…。志波くんは行かないの?ウサギとか、嫌い?」
「嫌いじゃない…んだけどな」
嫌いじゃない、かと言って特別好きだというわけでもない。どちらにしてもあんな無害そうな生き物を嫌う理由はない。
それでも、志波は少し離れたところで足を止める。ちらりと辺りを見回した。一番近いところでは小さな女の子がウサギに触わって遊んでいる。
一ノ瀬さよは不思議そうに志波を見上げた。くるんとした目。黒眼がちな目はそれこそここにいるうさぎやらモルモットやらを連想させた。
「もしかしてアレルギーとか?そういうの?」
「いや違う」
「じゃあ…えぇと、一緒にもう少し近くまで行かない?」
「…そうだな。たぶん、大丈夫だろ」
せっかくの「ふれあいコーナー」だ。そう思って近付いて柵内に踏み込んだとたん、近くにいたウサギ達がひくり、と耳を動かして顔を上げる。
(……あ)
この感じ。マズイかもしれないと思った時にはもう遅かった。
「え…え!?何なに?う、ウサギさん達がいっぱいこっちに来るんだけど…っ!」
「…やっぱりか」
気が付けばほとんどのウサギやらモルモット達が志波とさよの足もとに群がっている。周囲からも不思議なものを見るような視線を痛いくらい感じた。
「ど、どうして…?志波くん、凄く好かれてるみたいだけど…」
「体質だ。昔っから犬やら猫やら、向こうから寄ってきた。…ウサギもだったか」
けれども、こうなると次に起こる事態というのも大体は予想がつくというものだ。ここは、ここに来た人皆がふれあえるところなわけだから。
さっきまでウサギと遊んでいた女の子が声を上げて泣き始める。ほら、やっぱり。
寄ってくるだけならいいが、そうなると動物たちは他には見向きもしなくなるのが困りものだ。小さい頃はそれでケンカになったりしたこともあったっけ。
「志波くんばっかりズルイ」って。
泣いている女の子に慌てて駆け寄ってきた母親らしき人が宥めるが、一向に泣きやむ気配はない。「あたしがいっしょにあそんでいたのに」と言い張って泣き止まない。
それはそうだ。あの子の言い分が正しい。だが、自分にはどうにも出来ない。
どうしたものかと立ち尽くしていたのだが、気付くと隣にいた一ノ瀬さよが、その女の子にそろそろと近寄っていた。
傍にしゃがみこんで「泣かないで」と話しかけている。
「あのね、こっちにおいでよ。一緒にウサギさんとあそぼ?」
「…イヤ。だってあのおにいちゃんコワイもん。それに、あたしのうさぎちゃんをとっちゃってイジワルだもん」
にべもない女の子の答えに、志波は苦笑するしかない。ウサギを取られた(実際取った憶えはないのだが)事が余程悔しいらしい。敵意すら含まれた視線が真っ直ぐにこちらを射抜く。
あんな小さな子供には、そう見えても仕方無いだろう。正直すぎる女の子の言葉に慌てた女の子の母親が「すみません」と頭を下げたが、気にしていないという意思を込めて、志波は首を振った。
「イジワルなんかじゃないよ!あのね、イジワルしたくてこうなったわけじゃないの。あのおにいちゃんがそうしたかったわけじゃなくて…」
「しらない。そんなのわかんない」
「そ、それにね!あのおにいちゃんはおっきぃから怖く見えるけど、全然怖くないんだよ?だから大丈夫!一緒に遊ぼうよ」
「…………ほんとぅ?」
「本当だよ!すごぉくすごぉく優しいんだから。だからきっと一緒に遊んでくれるよ。ね?」
振り返って笑い掛ける一ノ瀬さよに、志波は少し驚きつつ「あぁそうだな」と、とりあえずは答えた。
女の子はそれでもまだ不満気な顔を隠しもしなかったが、それでも彼女に手を引かれておずおずとこっちに近寄ってくる。
少しは威圧感がなくなるだろうかと、とりあえず志波はその場にしゃがみこんだ。ふわりと匂う、青くさい芝生と土のにおい。
「ほら、ウサギさんいっぱいだねぇ、かわいいねぇ」
「…うん、かわいい!…おにいちゃん、うさぎ、すき?」
「あぁ…そうだな。好き、だな」
適当に目に付いた一羽を抱き上げて抱かせてやると、女の子は途端に顔を輝かせる。どうやら機嫌を直してくれたらしい。
にこにこと嬉しそうに一ノ瀬さよと遊ぶ女の子を眺めつつ、さっきの彼女の言葉を思い出す。「優しい」。そんな風に思われているとは思わなかった。
てっきりこの小さな女の子のように怖がっていると思っていたのに。
花火大会で多少のわだかまりはなくなったとはいえ、だからといって特別優しくした憶えもない。
それに、いつも自分と話す時はおどおどしてるくせに。そのくせ優しいと言ったり、さっきみたいに笑ったり。
(…変なやつ)
寄って来たウサギのふわふわした体を撫でつけながら、志波は微かに笑う。
「……あーおもしろかった!おねえちゃん、それと、おおきいおにいちゃんもありがとう」
「うん、どういたしまして。また一緒に遊ぼうねー!」
一しきり遊んで満足したのか、女の子はすっかり上機嫌だ。一緒になって遊んでいた一ノ瀬さよが笑顔で手を振る。
女の子はそのまま離れようとして、けれど「あ、そうだ」と足を止めて不思議そうに志波と彼女の二人を交互に見比べる。
「ねぇ、ふたりはケッコンしてるの?」
「けっ…結婚ん!?」
思わぬ言葉に志波は固まり、さよは驚いて声を上げたが、女の子は「だって」と小さく首をかしげる。
「だって、おおきくなってオトコノヒトとオンナノヒトがいっしょにいるのはケッコンしてるからでしょ?ちがうの?」
「ち、ち、ちが!違うから!け、結婚なんてしてないからっ!そっそんなのまだ出来ないしっ!」
「ふぅん…あ!わかった!じゃあコイビトなんだ!そうでしょ、こんどはあってるでしょ?」
「そ、それも!違いますっ!」
「えぇ〜、ちがうの?じゃあどうして?どうしてふたりはいっしょなの?」
「そ、そ、それ、は…その…!」
完全に一ノ瀬さよの方が女の子に押されている。あわあわと真っ赤になって口ごもる彼女を女の子は顔色一つ変えずに見上げるだけだ。
確かに、単に「タダ」で来れるから成り行き上来てしまったとは、こんな子供には説明しにくいだろう。
(…それにしても)
「…ちょ、ちょっと!し、志波くん、何で笑ってるの!?」
「…悪い。いやでも、どっちがコドモなんだか…っく」
「も、もう!笑ってないで助けてよ!」
「…そうだな」
ここに来たのは、別に構わないと思ったからだ。どっちだって良かった。誘われなきゃ来なかった。
でも、今は少しだけ違う。来れて良かったと、どこかで思っている自分がいる。そうでなきゃ、こんな風に笑うこともなかったろう。
未だ群がるウサギ達に気を付けながら、志波は立ち上がる。それから、小さな頭の上に、軽く手を置いた、一度だけ。
女の子の頭じゃない。意識したわけじゃなかった。勝手にそうしてしまっただけだ。
「トモダチ、だからな」
「……っ!」
それから、女の子の頭も軽く撫でる。「またねー!」と振り返りながら離れていくのを見送った。
だからその時、一ノ瀬さよがどんな顔をしてその場にいたかは、志波は気が付かない。
次へ