「うわぁ〜!急がなきゃチコクだよ遅れちゃう!」
「こら、一ノ瀬くん!廊下を走るとは!校則違反だぞ!」
「うきゃあああ、氷上くん!ごめんなさいっ!」

謝りつつも廊下をダッシュでとある教室に急ぐ。文化祭で野球部が使う教室だ。立川先輩発案の企画らしいんだけど、何するんだろ?
クラス出展の準備もあったし、あんまり部の方は手伝えてないんだけど倉田先輩が「さよちゃんは当日来てくれればいいから〜」と言ってたからたぶん大丈夫だろう。

パタパタと階段を上がって角を曲がる。あちこちにいつもはない飾り付けがしてあって、かわいい。生徒会が準備したのかなぁ?
あちこちにあるお花みたいな飾り付けをみながら、ふと思い出す。

そう、お花と言えば。
私は2学期に入ってからアルバイトを始めた。「アンネリー」っていうお花屋さん。
初めはいつも行くスーパーでも行こうかなぁと思っていたんだけど、いつもそのスーパーで会うおばさんが紹介してくれたのだ。
そのおばさんはシバさんという名前で、バイト先の先輩である真咲先輩の知り合いらしい。どういう知り合いかまでは聞いてないけど…びっくりした。
でも、志波さんってそれほど珍しい名字じゃないし、たぶん単なる偶然だよね。
花屋さんの仕事は思っていたより大変だけど、店長も真咲先輩も有沢さんもとても親切に教えてくれるから戸惑うことはあまりない。
そういえば、真咲先輩も羽学出身なんだって。世間は狭いなぁ。

「す、すいませーん、遅れましたぁ…」
「さよちゃんお疲れ〜」
「お、来たかさよすけ!」
「ところで…この教室は一体…」

教室そのものは別に大して変わりはない。邪魔な机と椅子が片付けられてスペースが空いているってだけなのだけど。
あれ、そういえば何だか柏木先輩が…もしかしなくても物凄く不機嫌そうな顔をしているのだけど。比べて立川先輩は満面の笑みでノリノリだ。
何だか…嫌な予感がするのは気のせい?

「あのー…他の皆さんは?それで、一体何をするんですか?」
「よくぞ聞いてくれた!見よ、コレを!」

得意気に立川先輩が見せてくれたのは…プラカード?随分大きい。
白いプラカードには、両面に派手な色で何か書いてある。片方は「野球部、新入部員歓迎!」そしてもう片方は…。

「…え。えええぇっ!!な、何ですかコレっ!や、「野球拳」…!?」

そこにはでかでかと「おいでませ!野球拳!」と書いてある。
眉間に深々と皺を刻んだ柏木先輩が、「おろし金ですりおろしてやりたいんだけど、あの変態」と呟いた。まるで呪詛だ。

「あああああの、センパイ…?や、ヤキュウケンって、まさか、あの」
「そだぞー!野球と言えば野球拳だ!盛り上がるぞー!」

盛り上がっていいんだろうか。学校で野球拳なんて…。
けれどよくよく聞いてみれば、じゃんけんで負けた方は脱ぐんじゃなくて、周りにずらりと並べてある殿様のカツラとか、カミナリ様のカツラとか、猫耳とか、そういうのをかぶるらしい。 そりゃそうだよね、ビックリした。でもこれなら確かに皆で盛り上がるかも。

「それで私は何をすればいいんですか?特別お仕事なさそうですけど…」
「いやいや、さよすけには重要な特別任務がありマス。その為に早めに呼んだんだからな」
「トクベツニンム…?」
「さよすけは広報担当だ。コレを着て学校中練り歩いてお客さんを誘導してくること!」

そう言って、見せられたのは…着ぐるみだった。どう見ても、何度見ても着ぐるみ。
ピンク色のふわふわのウサギには赤いのリボンが巻いてある。おしりには丸いしっぽも付いていた。
え…コレ、着るの。私。

「い、イヤですよっ!こんなの来て歩いたら目立つじゃないですか!皆に見られるじゃないですかっ!」
「何言ってんだ!そうでなきゃ宣伝にならないだろうがっ!」
「だって、だっておかしいですもん!宣伝だけするならプラカードだけ持って歩けばいいのに、ウサギの着ぐるみなんて必要ないですっ!」
「いや、あるね!何故ならば、コレを着たさよすけを見たいからです、主に俺が!そして野球部男子部員全員の願いでもある」
「嘘!絶対嘘!!だ、第一こんなの生徒会が許可出すわけないですもんっ!絶対怒られちゃう!」
「それは心配ない。生徒会は既に買しゅ…いやいや説得済みだ。許可は出ている。何よりここまで完成度の高いうささんにイチャモン付けられるはずがないっ!俺の魂の傑作だからな!」
「こ、これ先輩が作ったんですか!?やだやだキモチワルイ!先輩のオヤジ!ヘンタイ!!後輩にこんな事させるなんて〜!」
「ふははバカめ!そんなのは俺にとっては誉め言葉だぜ!おら、とっとと着ろ!先輩命令だ!千沙ちゃん、ヨロシク!」
「らじゃー。はいじゃあちょっと、さよちゃんごめんなさいねぇ」
「え、ちょ、倉田先輩まで…、わわっ、ちょっと!いーーーーーーーーーーやーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「……………………ご愁傷様」





(ううぅ…視線が痛い)

結局私は、ウサギの着ぐるみを着てプラカードを持って学校中を歩いている。
会う人みんなぎょっとした顔してこっちを見るのがわかる。「何だアレ」とか「うそー見てアレ」とか、珍しいんだか呆れているんだかわからない声がぐさぐさと背中にささる。
こうなったらさっさと歩いて終わらせたいのに、この着ぐるみはご丁寧に手の先から足元までちゃんとあって物凄く歩きづらい。(けれどサイズはジャストサイズで着心地には全く違和感がない。謎すぎる)顔が火照ってるのも、恥ずかしいからか蒸してるからかわからない。

「わぁ〜カワイイうささんやなぁ」
「く、くーちゃん!」

俯いていた視界に見える金色の髪。思わず見上げるとにこにこ笑顔のくーちゃん―クリス・ウェザーフィールドくんという関西弁のガイジンのお友達―がいた。

「ありゃ、誰かと思ったらさよちゃん。これ凄いな〜写真撮りたい」
「しゃ、写真とか!この姿を残すのはやめて!」
「なんで?かわいいのに。下向いてたら勿体ないで?で、ヤキュウケンってナニ?ヒッサツワザ?」
「えっと…うぅんそうじゃなくて。興味あったら来てね。…あ、でもクリスくんは美術部の出展があるか」
「うん。でも時間あったら行こかな?おもしろそうやし。ボクもうささんやりたい!」

ほんなら〜と手を振ってくーちゃんと別れてからは、少しだけ顔を上げる。もう、こうなったらヤケだ。
一応、広報担当だし。任された仕事なんだからどうせならきちんとしなきゃ。
よいしょとプラカードを持ち直して、また歩く。歩くと耳がひょこひょこ動くのが自分でもわかる。

「さよー!うわっ、アンタ何そのカッコウ!?」
「あ、はるひちゃん!こ、これは宣伝で…」
「このうささん凄いわぁ…これは素人サンのワザやないわ、絶対!…ところでハリー知らん?」
「そ、そうなの…?ハリーは知らないよ。そういえば今日はまだ会ってないなぁ」
「やや!うささん発見です。あえてのうささんチョイス。一ノ瀬さん、イカしてるぜー!」
「わ、若王子先生。ありがとうございます…でもこれを選んだのは先輩で…」
「一ノ瀬くん、…ううむ、これが噂の…!」
「あ、氷上くん!酷いよ!どうしてこんなのに許可を出したの?フウキの乱れだよ!」
「何を言うんだ。うささんならば問題はない。しかも完成度の高さ…これは許可を出さざるを得ないよ。…どうやったらここまで完璧に近いうささんを再現できるんだ、実に興味深いな」
「…何か、話が全然わかんないんだけど!うささんって何なの!?」



出会う友達(先生含め)皆にうささんを誉められながら、一方で私はある不安を感じていた。

(これ…こんなカッコで歩いてるの、志波くんに見られたらどうしよう!!)

ダメ。無理。こんなの見られたらもうおヨメに行けない。絶対会わないようにしなきゃ。志波くんには会いたいけど、うささんじゃ会えないよ!
2学期に入ってから、私は相変わらず志波くんとはほとんど会話することはない。それでも以前のように出会って不機嫌な顔をされなくなっただけマシだけど。
だって志波くんはやっぱり教室にはほとんどいないし、だからといってこっちから探しにいくのも…何となく気が引けるし。
そんなわけで挨拶程度しかしてない距離は変わらず、とてもじゃないけど「野球部に誘っちゃえ作戦」を実行出来そうにない。

(でもなぁ…)

先輩はあんな事言ってたけど、本当に出来るのかな?というか…それっていいのかな?
どうしてか、私は何となく乗り気じゃない。何故かわからない。志波くんと同じ部活だったら楽しいと思うし一緒にいられる時間が増えるのは嬉しいけど。
まぁ、とにかくもう少し仲良くならないと始まらないんだけど。

「…ふぃーっ、ちょっと休憩っと」

中庭まで来て、丁度良さそうな木陰にこっそり座り込む。さすがに堂々とベンチで休憩するのは憚られた。…別にいいんだけど、中身が私ってバレたって。
ああそれにしても蒸すなぁ。普通の着ぐるみみたいに首が取れるのじゃなくて後ろのチャックで脱ぎ着するのだからそれもできない。制服は脱いで正解だった(正確には脱がされたのだけど)
幸いにして中庭にはそれほど人がいない。ほぉっと息をついて木に寄りかかっていると、後ろでがさりと音がした。

「何だ、先客…うさぎ?」
「え、ぎゃわっ!!」

低い声。黒髪に、少し濃い肌色。手には何かいっぱい袋を抱えている。何だろう、お菓子?

(って!そんな事より!!)

反射的に逃げようとしたけどうまく動けない。だってこうやって座るのも大変だったのにすぐ動けるはずはない。
でも、出来るならこの場から走って逃げたかった。でなきゃ穴でも掘って隠れたい。

「し、ししし志波くん……!」
「ん?…あぁお前だったのか」

志波くんは特にうささんには感想はなく、黙って横に腰かけた。抱えていた袋を一つずつ並べていく。
何だか、良い匂い。

「それ…なぁに?」
「今日の戦利品だ」
「戦利品?」
「端から、これが羽学饅頭、変わり種クレープ、文化祭限定メロンパン、ケーキ…」
「す、凄いね…これ全部志波くんの?」
「あぁ」

志波くんって甘いもの好きなんだ。憶えておこうっと。そういえば、何となく嬉しそうだし。
でも、いいなぁ。そういえば学校に来てから何も食べてないや。
ふと思い出すと、体もそれを思い出したのか途端にぐううっとお腹が鳴った。かなり大きな音で、盛大に。
志波くんが、こっちを振り返る。

(う、嘘っ!!)

何でこうなっちゃうの、私のバカ!
この格好を見られただけでも恥ずかしいのに、お腹の音まで聞かれるなんて…女の子失格だ。

「…腹、へってるのか?」
「へっ?」
「腹へったのかって、聞いてる」

真面目な顔して聞いてくる志波くんに、ゴマカシはききそうにない。それに、正直本当にお腹が空いてるし。

「う、うん。…ちょっとだけ」
「ちょっと、って音じゃなかったけどな、さっきの」
「え!?うあぁ、ち、違うの、さっきのは!」
「すげぇ音してたな」

(…え)

今、ほんのちょっとだけど、志波くん笑った?
口元、少しつり上がったくらいだけど、でも笑ってくれた?
正確には「笑われた」んだろうけど、それでも嬉しい。志波くんが私に笑ってくれたのって初めてだもん、きっと。
嬉しいけれど、恥ずかしいのは変わらなくて一体何を話そうかとぐるぐる迷っていると、目の前に「ほら」と何かが差し出される。
羽学饅頭。

「やる。俺の分はあるし」
「え!?あ、あの、でも…」
「これくらい別にいい…と、そうか」

志波くんはすぐに気が付いて、手を引っ込める。
気持ちはすごく嬉しいし、出来るなら受け取りたいんだけど。
私の手はふわふわのピンク色の毛で覆われてるし、指も別れてないから受け取りようがなかった。
だから、ありがとうってお礼だけを言おうと思ったんだけど。(気持ちだけでお腹いっぱいになれた気がするし)
志波くんは私にくれると言ったお饅頭を小さく割って、その一欠片をまた私の前に差し出した。

「ほら」
「…え?」
「口開けろ」
「くち…って、え!ええぇ!?」

驚いて志波くんを見返すと、志波くんは怪訝そうな顔をしているだけだ。
え、だってそれってつまり、し、志波くんが、私に。

「…饅頭嫌いか?」
「い、いいえっ、そうじゃなくて!」
「なら遠慮することない、早くしろ」

は、早くしろって言われても。
お饅頭に遠慮しているわけじゃないんだけど。何だか目の前がぐるぐるしてきた。熱いアツイ。
ああでも、今私はさよじゃなくてうささんだから別にいいのかもしれない。こんなピンクでふわふわなカッコでお腹の音も聞かれちゃったし、これ以上恥ずかしいことなんてないのかもしれない。
そうっと、顔を近づける。それで、口を開けたらひょいとお饅頭が放り込まれた。

味なんて、全然わからない。何これ?お饅頭ってこんなにドキドキする食べ物だった?
顔だけじゃなくて、体中熱い。まだ目の前がぐるぐるする。ぐるぐるして、あまい。

「……あまぃ」
「まぁ饅頭だからな」
「あまくて…ぐるぐる…はぇ」
「…え、お、おい…!」



白雪姫は毒りんごを食べて倒れてしまうけど、うささんは羽学饅頭を食べて倒れるんだ。知らなかった。
何だか体がふわふわしてる。何でだろう、まぁいいや。何だかすごく眠い。

思い浮かんだのは、ほんの一瞬だけど笑ってくれた志波くんの笑顔。
うん、それが見れたから、他の事はもういいや。





「…あ、気が付いた?」
「…あれ」

視界には真っ白い天井、と、心配そうに覗き込む倉田先輩の顔。つんと薬の匂いが鼻について、そこが保健室だと頭の片隅で認知する。
あれ?私、どうしたんだっけ。うさぎは?お饅頭は?

「よかった。気分はどう?ごめんね、無理させちゃって」
「…いえ、あの、わたし…?」

おでこにのせられる濡れタオルがひやりとして気持ちいい。
倉田先輩はお布団を肩まで直してくれながら小さく笑った。

「…でも、さよちゃん良かったね」
「ふぇ?何がですか?」
「うふふ、ナイショ。今はゆっくり休んでね?」

元気になったら教えてあげると、倉田先輩が言ったのと、遠くで誰かの叫び声が聞こえた気がしたけど、私はまたまどろんで目を閉じた。





「あんな格好させて、学校中歩かせたりするからでしょ!」
「だって、うささんは夢なんだもん!男の子のロマンだもん!…ショーコちゃん着ないって言うしさ」
「…っ、私があんなふざけた格好するわけないでしょうがっ!」
「ぐげっ!ちょ、ギブギブ!それは死ぬ、いくら俺でも死ぬっ!ごめんなさいごめんなさいもうしません!」
「このまま地獄に落ちるがいいわ、このヘンタイがっ!」
「ぎゃあああああああ!」





















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