8月も半ば。今は野球部の合宿中で、今日は私が食事当番!



「んふふ〜ふふ〜ん」

ぐつぐつ煮えるお鍋の番をしながら、ついつい私は口元が緩んでしまう。
だってだって、志波くんと花火大会に行ったんだもんね!それで、りんご飴も買ってもらって花火も一緒に見て…。
花火見る時は見やすいように場所あけてくれたんだよ?帰りも途中まで送ってくれて道もいちいち教えてくれたし。それに。

――「…悪かった」
――「ごめんな」

…別に、謝ってもらった事が嬉しいわけじゃなくて。
そうじゃなくて、何て言うか、でもそう言ってくれるってことはきっとこれからは仲良くしてもいいってことなんだよね?
よくわからないけど、そんな気がする。そういう事にしておこう。

(…それにしても)

ほわぁん、と何度も思い浮かべた花火大会での志波くんをまた思い出す。
浴衣、カッコ良かったなぁ。背が高いからああいうの似合うのかな?それに比べると私は何だか子供っぽかったけど…。もうちょっとオトナっぽくなれればなぁ…。
でもカッコ良いだけじゃないもんね!志波くんは優しいんだもん。りんご飴買ってくれて場所開けてくれたんだもん。
それで帰りに「じゃあまた二学期に」って言ってくれた。買ってもらったりんご飴は甘かった。もったいなくて中々食べれなかった。
つやつやきらきらの、真っ赤な甘いりんご飴。

「…えへへへ…」



「花火大会、楽しかったみたいだねぇ」
「何よりじゃない。…それにしてもあのカレー、何だか赤くない?近寄ったら目に染みるんだけど」
「大丈夫。私と祥子ちゃんはレトルト確保してるから」



食事も終わって(何だか皆お水ばっかり飲んでた。どうしてかな?)、片付けも明日の連絡も終わって後は寝るだけ、となって、私は立川先輩に声を掛けられた。
毎日の練習で、先輩も少し日に焼けている。「ちょっと大事な話だから」と外に呼び出された。何だろう。
外に出ると、さすがに日中の熱さは引いていて、風も涼しい。夏だけれど、空にはもやみたいな星の光が見えて、あとは月の光が妙に明るかった。

「…まぁ色々と話はあるんだが、まずは今日のカレーな。さよすけ、あれは恋のスパイスが効きすぎです。さすがの俺もちょっとキツかったぞ」
「こ、恋だなんて…そんな…」
「いや、誉めてねーし。…まぁあれくらいでどうこうなる野球部員ではないけれどもな!」
「はぁ…。あの、お話って何ですか?カレーの事ですか?」

そう言うと、立川先輩は「あーそうだった!」ととわざとらしく咳をする。…一体何だろう?

「…ところでさよすけ。先日第一日曜日は羽ばたき市花火大会だったわけだけれども!…どうだった?」
「へ?それは…えっと、楽しかったです」
「そりゃ良かった。…で、志波、何か言ってたか?」
「何かって?」
「だから!色々話すだろ?」
「いろいろ…」

もう何度も繰り返している花火大会の記憶を辿ってみるけれど、会話らしい会話はあまり憶えがない。
りんご飴買ってくれたのと、それと…。

「…あ」

――「野球、…やめたんだ」

よみがえる声の記憶。ほんの一瞬、空気が変わった瞬間。
あれ?って思ったんだ、あの時。志波くんが、すごく淋しそうな顔をした気がしたから。

「そういえば、やきゅう、やめたって…」

つい口にしたその言葉に、立川先輩は少し驚いた顔をした。
夜は静かだった。小さな声でも響いて聞こえる。

「そっか、やっぱり…」
「やっぱり?」

何だろう、さっきから先輩がおかしい。
確かに花火大会で志波くんとデート出来たのは先輩のお陰だけど。だから報告の一つもした方がいいのかもしれないけど。だって、先輩は私が志波くんの事が好きなのも知ってて、応援してくれてて…。

「…あの、何だかおかしくないですか?」
「おかしいって?」
「どうして先輩がそんな事気にするんですか?志波くんのこと…」
「え。い、いやそれはほら、…志波クンは野球が好きだったらイイナーって!野球部キョウミナイカナーって!」
「それは…」

確かにそうなったら楽しい、かもしれないけど。でも、考えられない。
春、図書室で志波くんはすごく怒って本を投げちゃったけど、あれはつまり私が野球の話をしたからああなったわけで。
…私自身の事が気に入らなかったわけじゃないのは嬉しいけれど、野球に対して複雑な気持ちを持っているというのは、さすがに予想がつく。

「って、そうじゃなくて!」
「な、何だよ!俺は別に、ヤマシイ気持ちなんて一つも…!」
「私と志波くんが何話してたとか、それを先輩がどうして気にするんですかって事です!」
「…エ?別ニ、ソンナノ俺気ニシテナイヨ〜?」
「嘘だー!誤魔化してる!」

珍しくはっきりしない先輩を、更に問い詰めようとした時に「さよちゃんはっけーん!」と背中から声がかかる。高い、柔らかい声。

「く、倉田先輩、柏木先輩!」
「千沙ちゃん、ショーコちゃん!たすけてっ!さよすけに襲われる!!」
「ちょ!ち、違います!!」

泣きマネする立川先輩に、柏木先輩は冷めた視線を投げかけ、倉田先輩は私の傍に寄ってきて「さよちゃん、ヘンな事されなかった?」とのほほんとした顔でスゴイ事を言った。

「それは聞き捨てならないぞ、千沙ちゃん!さよすけはかわいいが俺のストライクゾーンには入りません!何より、萌えん!」
「な!?何ですかそれ!何か…バカにされた気がする!」
「…萌えるとか萌えないとかどうでもいいけれど、こんな所にこそこそと後輩を連れ出さないで。先輩方や他の部員に示しがつかないでしょ」

例え、彼の話だったとしてもね、と、柏木先輩は眼鏡をカチリと直した。彼?それって志波くんの事?
わけがわからなくて倉田先輩の方を見ると、先輩はほんの少し眉を下げて「ごめんね」と言った。ごめん?

「…え〜と、これ以上誤魔化す必要もないと思うから話すが…さよすけ。実はさよすけには重大な使命が課せられています」
「シメイ?」
「そうとも!あの志波勝己を野球部に引き摺りこ…いやいや、入部させるという使命を!!」
「え……えぇぇぇぇぇっ!!」

思わず上げた私の大声が、静かな夜に虚しく響く。
しばらく誰も何も言わなかった。私は何を言えばいいかもわからなくておろおろと先輩達を見たけれど、先輩達はみんな凄く真面目な顔をしている。
え?嘘。そんなの初めて聞いた。志波くんを野球部に。私が?

「…まぁ、あなたが志波くんに恋をするというのは正直計算外だったわけだけれど。…でも、かえって私達にとってはチャンスだったというわけ。…リスクは大きいけれどね」
「アイツの事は入学したその日から既にリサーチ済み。後はどうアプローチしようかと考えていたところ、志波と同じクラスのさよすけが入部してきたわけだ」
「同じクラスの仲良しの女の子から誘われたら断れないよねっていう、立川くんのアイディアなんだけどね?」
「な、なんです、と…?」

開いた口が塞がらない。驚きすぎて声も出ない。

「じゃ、じゃあ色々相談にのってくれたり、デート出来るように手伝ってくれたりしたのは…」
「こうなったら何がなんでもあなたには志波くんと仲良くなってもらわなきゃ困るのよ。…最低ライン「友達」、親密であればあるほど都合が良い」
「さよちゃんのこと、応援する気持ちはホントだよ?でも、一応そういう事情もあったというわけで」
「まぁ、ぶっちゃけさよすけの恋のオウエンはついでだな。志波の入部こそが最優先事項だ」
「またまたぁ、そんな事言っても説得力全然ないよ?立川くん一番心配してたくせに。花火大会の日だってこっそりついて行こうとか言っ…」
「わーーっ!わーーっ!そんなん言ってねーよ、俺は!!心配なんてしてねーよ、これっぽっちもっ!!」
「………あの」

ぎゃいぎゃいと騒いでいた先輩が、こっちを振り返る。
とりあえず、先輩たちの事情も作戦もわかった。ちょっとびっくりしたけど、先輩たちの気持ちは真剣で本物だっていうのはわかるから。
でも、大事な事がわからない。本当に知りたいところが、見えない。

「あの、志波くん…どうして野球をやめちゃったんですか?…先輩、知ってるんですか?」

「やめた」というのだから、きっと野球をしていたんだと思う。立川先輩はおちゃらけてるけど、やる気のない人を野球部に誘ったりしない。先輩は野球と、羽学野球部をすごく大事にしているから。
直接志波くんに言わないのは、何かあるんだ。「誘えない」何か。
たぶん、志波くんが野球を「やめた」理由。

立川先輩は、すっと目を伏せた。それからがしがしと頭を掻く。

「そうだな…でも、俺も人から聞いた話しか知らないんだ。だから、さよすけは聞かない方が良いと思うぜ?」
「で、でも…」
「アイツ以外から聞いた言葉で、アイツを判断したくないだろ?…そういう事だ。だから、志波に聞け」

それだけ言って、立川先輩は黙り込んだ。これ以上は話さない、そういう顔だった。
でも、それも一瞬で、先輩はいつもの笑顔に戻ってにかりと笑う。

「あのな、俺も割とガキの頃から野球やっててさ、だから知ってるんだよ志波の事。連絡先も一緒に試合した時に交換してさ、…たぶん志波は憶えてないだろうけど」
「…昔っからそうしてホイホイ連絡先を聞いてたのね」
「だって俺ってば、知らないヤツと友達になるの大得意だからね!…まぁそれはともかく。志波もさ、そん時はすげぇ楽しそうに野球しててさ」
「楽しそう?」

少し、意外だ。志波くんが楽しそうだなんて。いつも、不機嫌そうで面倒臭そうで。ちょっと怖くて。
でも、違うのかな。うん、きっとそうだ、違うんだ。
楽しい事も、嬉しい事も、考えたことなかったけれど、志波くんだって、あるよね。
立川先輩は顔を輝かせて自慢気に「そうそう!」と相槌をうつ。

「想像してみろよ。アイツが、羽学のユニフォーム着てバット持って、んで思いっきり振って場外ホームランとか!すっげぇカッコイイだろ?」
「た、たしかに…」
「…俺、アイツと野球したいんだよな。同じチームでやれたら絶対楽しいなって思う」

それは、凄く楽しいだろうな。
野球やってる志波くんはきっとすごくすごくカッコ良くて、それで、きっと笑ってると思う。…まぁ、あんまり全開な笑顔は想像つかないけど。

でも、笑ってると思う。きっと。

「あとは戦力的な意味でもね。うちは守備的には問題ないけれど攻撃面で決定打に欠けるから。…彼は打撃手らしいから入部してくれればかなりの力になるわ」
「そういう事!というわけで、さよすけ!理由を直接志波に聞けるくらいにならなきゃ、お前の恋も、野球部にも未来はない!」
「な、なんかよくわからないけど、がんばります!」
「そだぞ!告白してゴメンナサイされても「野球部に入ってネ」って言うんだぞ!」
「えええ、そ、それは何かやだぁ!」





というわけで、重大なシメイ?が明らかになった合宿一年目でした!





















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