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誕生日だからといって。

誕生日だからといって、一体何が変わるというのだろう。僕はしばらくの間「年を重ねる」ということに意味を見出すことは出来なかった。つまりそれは肉が衰え皮膚がたるみ、細胞が徐々に老化していくという肉体に起こる現象に一年ごとのサイクルを当てはめるということであり、そして僕はそれを全くナンセンスな、いや、それよりもやはり無意味なことであると思っていた。

考えるに「誕生日を祝う」というのはとても個人的で感傷的なイベントなのだと思う。傍にいる人の存在に感謝する、過去を慈しむ、未来を祈る。恐らくは、優しくあたたかな感情がそこにはあるのだろう。
つまり、そこにはお互いの共通した想い、あるいは思い出が介在しなければ有り得ない出来事なのだ。

僕にはそれが無い。そう思っていた。一つ一つ年を取る。一年を区切りにそれを振り返る。ただ独りでいるのにそんな事がどうして必要だろう。
それに意味があるのだと、何故知ることが出来ただろう。
僕が生きていることに、例えば愛や、信頼や、感謝や、そういったあたたかな感情を少しでも抱く人が、この世界の一体どこにいるというのだろう。


…そんな事を、ついこの間まで僕は本気で考えていたんだよ。





「若ちゃん、今日誕生日だったよねーおめでとー!」
「マジで!?おめっとさん、若ちゃん!」
「若王子先生いくつになったんですかー?カノジョ募集中ですかー?」
「タンジョウビだったら宿題無くなりますかぁー?ていうか無しでお願いしまーす!」
「それじゃ若ちゃんじゃなくてウチらにプレゼントじゃん!」

「あはは。…皆さん、ありがとうございます」

いっそ無神経とも言える横暴な祝福に、けれど僕は至って満足していた。まっすぐに僕を祝ってくれる言葉は、とても心地が良い。
人の心に形はない。それを、誰も見たことが無い。だけど僕の心はきっと角が取れてきている。
頑なだった心を癒すのは、高邁な志ある言葉でも、知性溢れる名文句でもない。拙くはあっても愛されている子供たちの言葉や笑顔。無遠慮な愛は僕を躊躇わせる暇さえ与えず、無尽蔵に僕に注がれる。

「カノジョは募集中です。でも、宿題は…そうですねぇ、少しだけ譲歩しましょうかねぇ」
「…ジョーホって何?」
「少しまけますよって意味です」
「えー?それマジ?てか募集中もマジ!?」
「マジです。たぶんね」


誕生日というのは重要な日なのだと、この学園に来た頃から気付き始めた。「おめでとう」と言われることも嬉しい。けれど、誕生日は確認する日でもある。僕に向けられるたくさんのあたたかな感情。それに癒され変わる心。そして僕自身が向ける想いの先。


これは、とてもわがままな事だと思うのだけれど、僕は君からの言葉を待ちわびている。
僕はね、君の言葉で今までよりもほんの少し自分に自信が持てるんだよ。君の優しい声に励まされる。誕生日に限らない。まだ子供の君は、だけどいつも僕を掬いあげる。

「…若王子先生」
「はい、何でしょう」

賑やかな子たちが退散してしまったあと、ささやくような小さな声が背中にかかる。
振り返り、確認した姿に僕はつい苦笑してしまう。もちろん自分にだ。
彼女を確認して、簡単に鼓動が早くなる僕に対して。
あからさまな反応を押し隠して、僕は何も気が付かないフリをする。彼女の、ほんの少しだけ蒸気した頬を見てとっくに期待しているというのに。

「あの…今、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。…何かな?」


誕生日だからって。何かが劇的に変わってしまうわけではないけれど。
だけど確実に。僕は僕の心に影響を及ぼすささやかな愛を知る。


「えぇと…若王子先生、お誕生日おめでとうございます」
「…憶えていてくれて、どうもありがとう」


言えて良かったとはにかんで笑う君を見て。
途方も無い幸福と、罪の意識すら感じる強い愛を。




泣きたいような気持ちで、僕は思い知る。










誕生日は、どうしてこんなにも特別な日なのだろう。

これまで意識したこともない秋の始まりの日が、今では私の中でとても大切な、特別な日になっている。
まだ少し陽射しのきつい、けれど涼やかな風が吹く20数年前の今日、先生は生まれたんだ。きっとお父さんもお母さんも優しい人で。かわいい赤ちゃんだった先生はたくさんの人に祝福されたに違いない。
だって、先生はとても優しいから。優しい人は、たくさんの優しさを知っている人だから。今までもたくさん「おめでとう」と言われただろうし、これからもきっとそう言われるんだろう。
…そんな事を、ぼんやりと考えていた。

でも、私はまだ先生に「おめでとう」と言えないでいる。

周りの友達は皆それぞれに若王子先生を祝福していた。プレゼントは渡せないらしいと聞いて、こっそり用意したプレゼントはカバンの底に押し込んだ。今まで自分一人で浮かれていたような気がして途端に恥ずかしくなった。
何考えているんだろう、私。先生は「先生」で、友達とは違うのに。

若王子先生の授業が好きだった。先生の声も、目も、指先も、笑った時に少し見える綺麗な歯並びも、時々おかしな風になっているネクタイも。
苦手だった理系も頑張った。何よりそれは先生に会える口実にもなった。質問がありますと言えば、先生はいつも話を聞いてくれたから。
課外授業の時は、先生の傍にいたくて。その「偶然」を装うのにどれだけ苦心するかは誰にも言えない秘密。

休み時間。先生と先生を取り巻く生徒たち(ほとんどは女の子だ)を遠巻きに私は眺める。
あの子たちの中に、私も混ざってしまえればいいのに。あるいはいっそ、視界に入れなければいいのに。

(でも、だめなんだ)

だって、私はあの子たちとは全然違う。同じになんてなれない。そんな気持ちじゃない。
気付いたら、もう戻れなくなってしまった。
でも、それは凄く馬鹿げた話だ。だって、先生は「先生」で、私は「生徒」で。
…それも、「たくさんいる生徒の一人」で。
始まりと同時に終わりを迎えるあっけない、本当にバカみたいな事なのに、私の心に根を張って頑固に居座り続ける感情。

だから今だって、皆がいなくなった隙を見つけて私は先生の名前を呼ぶ。

「…若王子先生」
「はい、何でしょう」

振り返ってにっこりと笑う先生。秋生まれの先生なのに、笑顔はいつも春の陽だまりみたい。
先生は知らないでしょう。私が先生と話す時はいつも少ししか言葉を使えないでいること。
たくさん話して、先生に迷惑に思われたくないから。だって、先生は時々とても遠くを見て、寂しそうに笑って、そうして私はどうしていいかわからなくなるから。

優しい人に寂しいと感じるだなんて、今まで知らなかった。

「えぇと…若王子先生、お誕生日おめでとうございます」

たったそれだけなのに、頬に熱が上がるのがわかる。どうか気付かれませんように。
そして、私の言葉がほんの少しでも先生の心に残りますように。少しでも、先生が喜んでくれますように。
…気持ちが、伝わりますように。

「…憶えていてくれて、どうもありがとう」

誕生日は、どうしてこんなにも特別な日なのだろう。
でも、誕生日、だからじゃない。今日は「先生の誕生日」だから特別なんだ。


好きな人の、誕生日だから。


「今日中に言えて良かったです」





痛いほどの真実に、だけど私は何も知らない女の子のフリをして精いっぱい笑顔を向けた。





















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これを「若誕話」だと言い張る私をお許しください…っ!(平伏)
何で…何でこんな風味になってしまったんでしょうか…巷ではらぶらぶ、甘々なテキストが溢れているというのに。
ちょっとだけ説明しますと、デイジーとしては「先生を好きになっちゃうなんてイケナイんだ。先生だってまともに相手にしてくれないんだ」と思いこんでいます。
だからこんなうじうじしてるんですねぇ…すみません。先生は先生で何か…黒いし。

けれどもこの先、きっと二人はちゃんと通じ合える日が来るのだと思います。若主だから、そのはず…!

遅くなったにも程がありますが、若王子先生、お誕生日おめでとうございました!!

aika