ご注意!このお話は佐伯母中心でお届けしております。管理人の妄想と萌えのみ構成されたほとんどパロディと言えるくらいにオリジナル色が強いです。(今更ですが)
・故に、あかりちゃんの出番はほぼ皆無です。(これも今更)
・けれどもこのお話は瑛×デイジーです。(と、主張したい)
・それでもOKな方はどうぞ。
・ちなみこのお話は「この、美しい世界を」を踏まえております。知らなくても問題無いと思いますが、ご興味ありましたらどうぞ。
めぐりたゆたう幸福
この家に来たのは久しぶりだ、と佐伯総一郎はぐるりと家中を見渡した。
天井の高い、飾り気の無い室内。良く言えば清潔感がありシンプル、悪く言えば殺風景とでも言えるだろうか。
そんな中の、白磁の花瓶に活けられたカラーの花の存在に、彼は目を細める。それは、この部屋の中においてはある種異質で、しかし、しっくりと馴染んでいて家の空気を柔らかなものにしていた。
あれは、彼女の趣向なのだろう。息子に花を飾る趣味などないのだから。
その花瓶の傍を、すい、と、細い人影が通った。さっきから行ったり来たりと、一体何度往復したのか、それを考えると総一郎はついつい口元に笑みを浮かべてしまう。
「まぁまぁ、少し落ち着いたらどうかな?何も、貴女の恋人が会いに来るわけでもないのだから」
ほんの少し冗談めかしてそう言うと、彼女は、ばつが悪そうな、それでいて心外だとでも言いたげな顔をこちらに向ける。
困ったようなその表情は、きれいな顔だちをしている彼女を随分子供っぽく見せた。その顔は、その昔――彼女が、息子に連れられて来た頃、を思い出させる。
横でソファにどっかりと座り込む孫――瑛は、呆れたように溜息をついた。
「そうだよ。何で母さんがそんなにテンパってんだか」
眉を潜ませてそういう孫の姿が、何時かの息子の、妻に対するそれに重なり、つい苦笑してしまう。自分もそうだったかもしれないが、何時の時代も、息子の母親に対する態度というのは大して変わらないらしい。
彼女は、リビングにあるテーブルの上を布巾で拭きながら(もうそれも3回目だ)、「別に、テンパってなんていません」と大真面目な顔をして瑛を見る。
「それから瑛、おかしな言葉を使うの、やめなさい。子供みたいに」
「何だよ、今、母さんだって言ったじゃん」
「それは…、あなたにつられただけよ。……ところで、テンパって、ってどういう意味なの?」
「知らないで言ったのかよ」
こんなやり取りも、少し前なら想像もつかなかった。この親子は(無論、息子も含め、だが)お互いに不器用で、しばらくまともに話をすることさえ出来なかったのだ。
一方は混乱し、一方は失望し。張りつめたその空気は、冷たく、痛く、総一郎は見兼ねて孫を自分の元へ一時引き取った。
そこに至るまでと、それからの3年間の事は、一言ではとても語れない。孫の方にも言い分はあっただろうし辛かったのは知っているが、それにしても母親である彼女の憔悴ぶりも、見ていて胸が痛んだ。
瑛が自分の元にいた間、彼女が「珊瑚礁」を訪れたことはない。ただ、いつも近くまで様子を見に来ていたのを総一郎は知っていた。孫には話していないが、彼を案じている内容の手紙も何度も来ていたし、電話でも話した。
もともとが、優しい娘なのだ。ただ、瑛の事を思うあまりに、それが空回ってしまっただけなのだと、総一郎は思っている。
どこか雰囲気が変わったと思ったのは何時頃だったろう。どことなく、電話越しに聞こえてくる彼女の声が穏やかになったのは。「早く帰ってきてほしい」と言う代わりに「元気にしているのならそれでいい」と言う回数が増えたのは。
予感めいたものが、無かったわけではないのだけれど。
「それにしても驚いたよなぁ。母さん、あかりと会ってたなんてさ」
瑛は皮張りのソファに身を預けつつ天井を仰ぎ見る。あかり、というのは瑛が「お付き合い」しているお嬢さんの名前だ。3年間瑛と一緒に「珊瑚礁」でバイトをしていた子だった。もちろん総一郎も良く知っている。
思えば、彼女との出会いが、孫の心を変えたと言えるだろう。頑なだった彼の心を、彼女の持つ温かさやひたむきさが、少しずつほぐしていってくれた。まっすぐにこちらを見て、花のように笑う気持ちの良いお嬢さんだった。
そのお嬢さんが、今では瑛の「彼女」であり、今日初めてこの家に来るのだという。総一郎は邪魔をしちゃ悪いと、初め来るつもりはなかったのだが、瑛にも、瑛の母親からも「ぜひに」と言われたので今日はその言葉に甘んじて訪れていたのだった。
「会ってた、って……本当に偶然だったのよ?あなたと繋がりがあるだなんて思いもしなかったし…。話を聞いていたら、「珊瑚礁」でバイトしていますって言ってたから、それで」
「ったく、ぺらぺら喋るなって言ってたのに……、あのカピバラ娘め」
「瑛、女の子に向かって何て事言うの。もう、本当に口が悪いんだから…。大体あなた、あかりちゃんにチョップとか、してたらしいじゃない。本当にあなたの事なのかしらって、私、本当にびっくりしたのよ?女の子にそんな乱暴な事するなんて」
「あーもうー、わかったってばうるさいなぁ…」
「うるさくなんてないわ、大事なことよ。そんな事ばかりしてあかりちゃんに嫌われちゃっても知りませんから」
「……………そ、それは、困るけどさ」
思わず口ごもる瑛に「気を付けなさい」と一言加えたところで、彼女はまたパタパタと早足で歩く。リビングのドアに手が掛かったところで、「どこ行くんだよ」と孫の声が引きとめた。
「どこって…玄関よ?お客様用のスリッパ、出したかしらと思って……」
「それさっきも確認しただろ!俺も一緒に見たんだからちゃんと出してるって、間違いない」
「じゃあ、玄関先もう一度ホウキ……」
「それもいいよ。もう塵一つ残ってないから。……大丈夫だから、ちょっと座ってなよ母さん」
「……そう?」
「頼むから座ってて。俺まで落ち着かない」
溜息混じりの瑛の声に、さすがに彼女も腰を落ち着けた。それでも、そわそわと視線を彷徨わせている。
それは、初めて息子が彼女を連れてきた時を思い出させた。昔からきれいな、大人びた顔立ちをしていたけれど、あの時もひどく緊張してきょろきょろと家中に目を向けていた。
さっきの瑛のように、息子が「頼むからちょっと落ち着いてくれ」とぶっきらぼうに、けれどどこか照れくさそうに彼女に言っていたのを、昨日のことのように思い出せる。
確か白い、清楚なワンピースを着ていて。玄関先で会うなり「初めまして、佐伯くんとお付き合いさせて頂いてます!よろしくお願いします!」と勢いよく挨拶された時は、妻と二人で思わず笑ってしまった。
真っ赤な顔をしていた彼女には悪かったけれど。
あれからもう何年も経って、彼女も息子も年を取り、大学生になる孫もいる。こんな事を考えるようになったのは年を取った証拠だと思い、けれども悪くないものだと総一郎は口元だけで笑った。
「そろそろ、あかりさんを迎えに行く時間じゃないか、瑛」
「あ、本当だ。そろそろ行った方がいいかな、じゃ、行ってくる」
「気を付けてね。あ、あと、あかりちゃんと会えたらちゃんと連絡してね?」
「わかってるって。あ、じいちゃん、母さんのこと、変な事しないようによく見張っといてよ」
立ち上がりながら呆れ顔でそう言い残し、孫はリビングを出て行った。残された母親は、ほんの少しむくれた顔で「変なことって何よ」と口を尖らせている。それは瑛がする顔とよく似ていて、思わず噴き出してしまった。
「お義父さん?」
「いや……やっぱり似たもの親子だと思ってね」
「私は、あんなおかしな言葉を使ったり、乱暴なことしたりしませんよ」
「いや、そうじゃなくて……うん。やっぱり君はあの子の母親だし、それで良かったと思ったんだ」
「な、何ですか急に。……そんな誉めたって何も出ませんから」
「おや、パウンドケーキの作り方を教えてあげたご褒美は無いのか、淋しいなぁ」
「お、お義父さんっ!!」
赤くなって慌てる彼女に、総一郎はいたずらっぽく微笑んだ。彼女はこの日の為に密かに用意していたのだ。瑛にはもちろん内緒で。
孫の彼女が遊びに来るという話になった時、総一郎は彼女から「お願い」の電話をもらったのだった。ひと月ほど前の話だ。
「ま、まさか瑛に」
「そんな野暮な事、僕はしませんよ。せっかく君が一生懸命作って用意したのに」
「そ、うですか。良かった」
彼女は胸をなで下ろし、小さく遠慮がちに笑う。
「喜んでくれるといいけれど。あかりちゃんも………瑛も。あ、他にも、お菓子は用意してるんですけど」
「もちろん。あの子達ならきっと喜ぶとも」
「何度も練習したけど中々うまくいかなくって。あの人にも何度も食べてもらって…でも、少し悪かったかしらって反省してるんです。随分たくさん、食べてもらったから」
「へぇ、あいつは何て?」
「『味は良いけれど、しばらくパウンドケーキは見たくない』って」
「………それはそれは」
「でも、あかりちゃんも来るし瑛も、お義父さんもいらっしゃるのに変な物、出せないでしょう?そう言ったら、あの人もわかってくれたみたいで」
「………そうか」
その時の様子を思い出しているのか、彼女の頬には穏やかな笑みが浮かんでいた。その表情を見て、総一郎もつられて目を細める。
彼女の、こんな顔を見たのは一体何年ぶりだろうか。
息子はどうやら、不器用だけれど努力家の彼女の「練習」に付き合わされたらしい。それでも、息子がそれに文句を言わず付き合っていたというのは割と驚きだった。自分の知っている彼ならば「そんな甘ったるいもの」と言って遠ざけたか、あるいは「くだらない」と話に加わる事すらしなかっただろうに。
やはり、変わってきているのだろう。かすかに、けれど確実に、良い方向に。
その起因が、もしも全てあの少女に依るものとするならば、彼女は何とかけがえのない存在なのだろう。
「そういえば、コーヒーは瑛とお義父さんが入れて下さるって」
「ああ、うん。でもまぁ、あかりさんも来る事だし、瑛が頑張ると思うけれどね」
「……楽しみです」
言葉少なに、けれども彼女は嬉しそうに微笑んだ。口には出さないけれど、きっと今日という日を待ち望んでいたのは、孫だけではないのだろう。
この笑顔が、何よりの証明だ。
(あかりさんに会ったら、お礼を言わなければな)
にこにこと笑う彼女の笑顔が思い浮かぶ。彼女がここに来たらきっと賑やかになるに違いない。あの頃の「珊瑚礁」のように。いや、あの頃と今は違う。今の方がずっと優しくて、幸福な時間になるだろう。
その時、軽やかなベルの音が、リビング中に響いた。瑛の母親は慌てたように立ち上がり、鳴り響く電話に向かう。
それは、歓びを告げることを待ち切れないかのように、高らかに鳴り響いていた。