フレジエ
今日も、喫茶「珊瑚礁」は忙しい。
あかりは、春休みの間、ここでのバイトの日を少し増やしている。
普段の日でもここは客足が絶えないが、休み期間になるとそれが更に増えるのだ。
「どうせ暇なんだろうから手伝いに来い」とは、佐伯が言った言葉だったが、それが素直でない彼独特の言い回しであることが、今のあかりにはわかる。
最初の頃は、今のように話せる仲になれるとはとても思えなかった。
学校では王子様みたいに笑顔をたたえてるくせに、店では、こうまで変わるのかと思うほどのふてぶてしさで、
しかも素人のあかりに対する態度と言ったら本当にぞんざいで意地悪で、彼の祖父であるマスターはため息をつくし、あかりはバイトを続けていけるのだろうかと途中で諦めかけた事もあった。
彼は、そもそも自分の事が気にいらないという事は、あかりはわかっていた。
ここへ初めて来たときから「無理だ」何だと文句ばかりだったし、いざ仕事をしてみれば失敗も多くて、彼の苛立ちは増えるばかりだ。
けれど、そんな事で挫けるのは悔しかったし、何より、自分でもおかしな話だが、あかりは佐伯が放っておけなかった。
学校で、女の子達に囲まれる彼。先生に対しても嫌な顔一つせずににこやかに応対する彼。
それが、作りもののように感じられたのは、いつからだったろう。時々見せる、疲れたような、それでいて周りを見下したひどく冷たい目。
それを見ると、あかりは歯痒かった。そんな風にしかできない彼にも、そんな彼しか知らない周りにも。
わかってほしい、なんて大それた事は考えていない。でも、自分まで、彼から「離れては」いけないと思ったのだ。あまりに怒られるから半分自棄もあったかもしれない。
バイトを始めてほぼ一年。相変わらず、彼はあかりに対して厳しい。
けれど、前ほど冷たいと思わなくなった。例え王子様のような猫かぶりをしなくても、本当は優しいんだという事もわかってきた。
「…まぁ、私も大分ミス減ったもんね」
「そうですねぇ、助かっていますよ」
何となく漏れた呟きに、思わぬ返答があり、あかりはびっくりして思わず声のしている方を振り返った。
にこにことこちらを見ているのはマスターだった。
「やぁ、お客さんの方も今は落ち着いているし、海野さんも少し休憩しよう」
「はぁ…でも、いいんでしょうか?」
「もちろん。今日は頑張ってくれていましたから」
そう言って、カウンターの方に招かれる。そこに座ると、お客の相手をしている佐伯の姿がよく見えた。
コーヒーの説明、無駄の無い動き、にこやかな笑顔。学校にいる時と同じようで、でも違う一面。
「…あいつ、中々サマになってるでしょう?」
どうぞ、と目の前に置かれた小さなケーキに、あかりは歓声を上げる。
「うわぁ、かわいいケーキ!イチゴのだぁ!…これ、私が食べてもいいんですか?」
「どうぞ。…まずは貴女に食べてもらいたいだろうと思ってね」
四角くカットされてるそれは、薄ピンク色のクリームでデコレーションされていて、その上にはカットしたイチゴがかわいらしくのせてある。
形を壊してしまわないようになるべくそぉっとフォークを入れた。口に入れると甘酸っぱさと、イチゴの果汁がじゅわっと広がる。
「…おいしい!」
「それは良かった」
「おいしいし、それにすごくかわいいし、…コレ、マスターが作ったんですか?」
「いや、これは瑛が作ったんだよ」
あかりは驚いて、思わず一口食べたケーキをもう一度見る。
「こんなのが作れちゃうなんて、やっぱり佐伯くんはすごいなぁ…」
「…何だかね、最近はケーキに凝ってるみたいでね。遅くまでアレコレやってるんです…でも、僕は嬉しいんですよ」
「…?佐伯くんが一生懸命ケーキを作っているからですか?」
不思議そうに問うあかりに、マスターは笑い、けれど、いいえ、と答える。
「…誰かの為に。そういう気持ちでいてくれる事が嬉しいし、微笑ましくもあってね」
佐伯の祖父でもあるマスターは、彼が誰のためにこれほど熱心になっているのかわかっている。
以前、彼女が店で出していた彼のケーキを絶賛した事から、どうやら張り切っているらしい。それだけではない。今までずっと独りで突っ走ってきたあの子を、彼女は受け止めてくれる。
それは、孫を思う自分としてはとても嬉しいことで、だからうまくいってくれればいいと、つい余計なお節介をしてしまうのは仕方のないことだと思うのだ。
「そうですよね。お客さんが喜んでくれるのって、すごくすごく嬉しくなりますもんね」
「……おやおや。これは瑛も中々大変そうだ」
そんな話をしているところへ、「お前、何さぼってんだ」と佐伯はあかりの頭に軽くチョップする。手加減したのは、祖父の前だからだ。
「あっ、佐伯くん!これね、このケーキすっごく美味しかった!かわいいし、お客さんも絶対喜ぶよ!」
にこにこと笑うあかりを余所に、佐伯は彼女が食べるケーキを見て、すぐさまマスターの方に顔を向ける。
何か言いたそうな佐伯に向かい、マスターはウィンクしてみせた。
「だって、海野さんに一番に食べてほしいって言ってたじゃないか、瑛。何かまずかったかな?」
「え?どうして?」
きょとんとして顔を覗き込んでくるあかりに、佐伯は焦ってつい声を荒げる。
「いやっ違っ、……そ、それは、ホラ、あれだよ。試食だよ、試食!お客に変なもの出せないだろ、だ、だからお前で実験!」
「…そんな変なもの、佐伯くんが作るわけないのに。この間のチョコだって…」
「わああぁっ、もうその話はいいんだよ!………で、どう、だった?コレ」
「…うん。すっごく美味しい。私、このケーキ大好き」
「……そうか」
花が咲くような笑顔で彼女はそう言って、また一口そのケーキを口に運ぶ。
その彼女を見る佐伯の、ほっとしたような、それでいて喜びを隠せないでいる表情に、マスターは目を細め、その場から離れた。
しばらく、接客は自分が代わることにしよう。
その間だけでも、彼に甘い幸せが訪れますように。