きみをまつ





(…雨、降りそうだ)

見上げる空は重たげに曇っていた。あと、髪がいつも以上にばさばさとする。よくわからないが、雨の降る直前はこういう感じになる。
色の抜けた髪に触れようとして、けれども止めた。そんなの、まるで女みたいじゃないか。髪がキマラなくてどうのこうの、なんて。

それでなくとも居心地の悪いこの状況に、天童壬は舌打ちしようとして。…だが、それも止めた。こんなところでそんな悪態つこうものなら、ますます刺々しい視線に晒されるだけだ。
はば学の生徒というのは、品行方正でお嬢ちゃんお坊ちゃんばかりが通う学校だと聞いていたが、この不躾な視線の多さに、天童は考えを変える必要があるなと思い始めていたところだ。

(…俺はいいけどさ)

この後に会うであろう彼女(こんなところに来るのは、彼女に会いにくる他ない)に、こういった視線が向けられるのは気分のいいものではない。おまけに彼女は、このはばたき学園でもとびきりの優等生なのだ。そんな彼女が自分みたいな男と会っているという事実だけでも、相当目立っているというのに。

相変わらずじろじろと遠慮なく向けられる視線に耐えながらも、天童は重くため息をつく。…わかってる。一番の解決策は、俺がこんな所には来ないことだ。それが一番手っ取り早い。
自分は出来の悪い羽学の生徒で、おまけにそこでも札付きのワルだ。こうやって、はば学の門の前に立つのだって、本当は物凄く場違いであることを、以前来た時から天童は痛いほど理解していた。
街中で彼女一人で会う時は少しも気付かなかった。自分が、彼女といかに不釣り合いか。あの日、偶然ぶつかったりしなければ、一生彼女と関わり合いになることはなかっただろう。
自分にとっては、彼女との出会いは奇跡とも言える大切なものだけれど、彼女にとってはどうだろう。時々そんな風に考える。勉強も出来て、友達も多くて(しょっちゅう友達の話を聞かされる)、先生からも信頼されていて(これは勝手な自分の想像だ)。そんな彼女が、親からも学校からも見放されてケンカ三昧だった自分と一緒に勉強するというのは、果たして彼女の為になるのだろうか。

…考えるまでもないんじゃないか。

誰かが嘲笑ったような気がして、思わず顔を上げる。校門からは、たくさんのはば学生達が、学校からどんどん出てくる。会いたい姿が見えない事を確認して、天童はまたあらぬ方に視線を移した。自分がもし何にも迷わず勉強していたら、今頃はあいつらの中の一人だったかもしれない。そんな事をぼんやりと思う。

(わかってるよ)

わかっているけれども、どうしようもない。迷惑をかけたくないと本当に思うなら、今すぐここを離れるべきだ。そんなの、誰にも言われなくても自分が一番、嫌と言うほどよくわかっている。

――天童くんなら、出来るよ!

その言葉だけで満足するべきなのは、よくわかっている。一緒に勉強なんて、冗談だと誤魔化せばよかったのだ、本当は。

(…けどさ)

胸の奥が、痛いような気がする。いや、気のせいじゃない。いつも、あいつの事を考えるのは幸せな気分になれるけれど、最後はいつも胸が痛い。

「…見てよ、羽学の子がいるよ」
「やだ、金髪じゃない。もしかしてケンカかな?やっぱりコワイよねぇ、羽学って」

勉強に意味が見出せなくなってしまったことも、ケンカばかりの日々も、髪を金色にしたことも。全部自分で決めて選んだことだ、だから誰にも恥じる事なんてない。そう思って今までやってきた。
でも、それなら、この情けない気分は何だろう。今すぐにでも消えてしまいたいような気持ちになるのはどうしてだ。

「…あ、やっぱり天童くんだ!」

掛けられた声―それは確かに、誰でもない自分にかけられた声だった―に、下と向いていた頭が上がる。にこにこと手を振る彼女に、掬いあげられたような気持ちになる。

「よう」
「どうしたの?またわからないところ、あった?」
「あぁ…どうしても、わからなくてさ。…お前、今日時間あるか?」
「うん、大丈夫だよ」

事もなげに、迷う素振りすら見せず答える彼女に、天童は拍子抜けするような気持ちにすらなる。自身ですら否定しそうになる自分を、彼女は頓着なく受け入れてくれる。
それが、どんなに天童の心を強く支えて、けれど、ある意味では信じられないくらい弱らせてしまうのかを、彼女はきっと知らないのだろう。

「…よ、よし。んじゃ、サテン行こうぜ」
「うん。…あ、何か、雨降りそうだね」

彼女の声につられ、天童も同じように空を仰ぎ見る。さっきと変わらず、低く重苦しい灰色の空がそこにはある。
不意に、自分の腕に柔らかな感触が絡みついた。

「お、おい…!」
「ほら、急ごう?雨に降られちゃうの、嫌だし」

学校でもどこでも、触れれば怪我をさせられると言わんばかりに、皆、自分を恐れて触れるどころか近付きさえしないのに。

(あぁ、だめだ)

全然、敵わねぇよ。お前には。

腹の底から笑いだしたい気分を辛うじて抑え込みながら、自分の腕を引っ張る彼女の手を、逆に掴んで、天童は彼女の前を歩き始める。

「わわっ、急に引っ張ったら危ないよ!」
「何だよ、先に引っ張ったのはお前だろ?…ほら、行こうぜ!」

(今は、まだ)

いつまでこうしていられるかわからない。…出来れば、この手を離したくはないけれど。
とりあえず今は、こうして甘えて手を繋いでいよう。





雨が降り出しそうな空模様は変わらない。髪も湿気を含んでバサバサしている。
だけど、心だけは少し軽くなった気がした。