Sweet recollection
「ここの焼き菓子、俺、昔っから好きなんだよな…この辺には売ってないはずなんだけど。誰だか知らないけどセンスあるよな、その人」
先刻の佐伯の台詞と表情が、 あかりの頭に浮かんでは消える。
嬉しそうなそれは、めったに自分の実家やその街の話などしない佐伯にしては珍しい反応だったと あかりは思う。
きっと懐かしさだって孕んでいたに違いないのだけれど、彼にもしそう言っても認めないだろうことは容易に想像出来る。
(だから、言わないけど。でも、きっと)
そんな彼女の心情を知らずに、佐伯が言った。
「心配するな。ちゃんとお前にも食べさせてやるから。大丈夫、お父さんは心が広いから1つなんて言わない」
「ていうかあの、佐伯くん。それそもそも私がもらったお菓子なんだけど…」
「ウルサイ。お父さん口答えするような娘に育てた覚えはないぞ?」
「口答えって…。ひどいよ佐伯くん横暴!」
「大体『知らない人に話しかけられてもついてっちゃいけない』ってお父さんいつも言ってるだろ?」
「だから落とし物拾ってあげただけだってばぁ」
「アナスタシアまでノコノコくっついて行ってただろ?ケーキに釣られて!」
「うん、美味しかった。季節のケーキ。あ、その人が頼んだケーキも半分もらっちゃったの。あれも美味しかった」
「…マジでバカだろ、このカピバラ娘!学習能力って知ってるか?」
例によって、佐伯のチョップが あかりに落とされた。
佐伯にすれば心配も苛立ちも至極当然で、こんな時の あかりが腹立たしくて仕方がない。
たまのデート(…とは あかりは思っていないらしいが)の待ち合わせでもうっかりぼんやりな あかりが道を訊ねられたりキャッチセールスやらきっぱりはっきりナンパな男だの、色々な人間に声をかけられているのに遭遇する。
道を尋ねられるのは仕方がないとは思う。あれだけぼんやりとお人よしそうな顔の女が立っていたら声もかけやすいし、まして彼女は下手をしたら「案内しましょうか?」ぐらいのことを平気で言い出すだろうことも。
(俺との待ち合わせもほったらかして、行きかねないんだこいつは)
(つーか実際やったしこないだ)
(ムカつく。やっぱムカつく)
キャッチやナンパの類は自分がいればすぐに助けてやれるが、一緒にいない…目の届かない場所ではどうしようもないのだと何度言っても理解しない。
だいたい今回の件だって相手が女性だと安心していても、もしかしたら本当は悪い奴で近くに仲間の男がいたりするかもしれないだろう、と言っても あかりは「そんな悪い人じゃなかったもん」と聞く耳を持たない。
他人に対する猜疑心だの警戒心という感情…年頃の少女が本能的に持っていておかしくないそれが希薄過ぎる。かなりそういうものを母親の胎内においてきたんだろうか、と佐伯はこうした話題になるといつもため息をつかざるを得ない。
(まぁ、だから平気で男の…俺の手を握ったりするんだよこいつは)
(たかが試作のケーキくらいですっげー喜んで抱きついたりとか)
(全然意識してない。絶対してないほんとムカつくカピバラだこいつ)
勿論佐伯とて、決して あかりに「嫌われている」とは思っていない。
出会いはある意味最悪だったし、再会もまた。
そして3度目の正直でも。
そんな自分にもめげずに絡んでくる あかりを、気付けば佐伯は一番心許す存在として認めていた。
(女なんてみんな同じだと思ってた)
(人のことなんてお構いなしで自分ばっかり押し付けてきて)
(だけど、 あかりは違うし)
いじめても邪険にしても、突き放しても あかりは自分から離れない。
秘密も守り、自分の本性を知っても何も変わらない。
本当は「変わって欲しいこと」もあるけれど、それは言えないままだ。
そして、自分の中に明確に育っているこの気持ちも。
「とにかく、店終わるまで預かっとく。ほらきりきり働け、カピバラ」
「もう!」
「コーヒーつけて食わせてやるよ」
「だからそれ、私がもらったんだってば…」
「いいだろ…それとも俺と食うのはイヤなのかよ」
不貞腐れながらも開店準備に動き出す あかりをよそに、佐伯は手の中の紙袋をそっと撫でた。
この中身が好物だというのは嘘じゃない。
初めて母親に買ってもらった「お店のお菓子」でもある。
あかりのものは俺のものとばかりに取り上げたが、胸の中に蘇る懐かしいあの頃の気持ちと会話にうっかり意識を持って行かれそうになる自分を必死で押し止めながら、彼もまた働きはじめた。
(コレに合うのは珊瑚礁ブレンドよりこの間仕入れた…)
(でも あかりが飲むには…)
頭の中でどのコーヒーがあの味に合うか考えながら、不意に脳裏を過ぎった古い記憶。
「瑛くんには教えてあげなきゃね」
「なーに、おかーさん」
まだ若い母と、子供だった自分の姿と会話。
(あんな時間だってあったんだよな、親父と母さんと俺と親子3人で)
(…なんで俺、そんなこと思い出してんだよ。過去より今だ今!)
「ちぇ」
口をついて出た悪態は、 あかりに耳ざとく聞きつけられて軽く睨まれた佐伯は、わざとらしい咳払いを1つ。
(今は仕事に集中しなくちゃだ)
祖父にまで見咎められる前に目の前の仕事へと意識を集中させるべく努力した。
そうして時は過ぎ、最後の客が帰りしばらくして。
「フロア清掃完了しました!」
「ご苦労、カピバラ。その調子で40秒で着替えてこい」
「佐伯くん、それ映画の台詞…」
「いいからさっさと行く!俺に逆らうとコーヒーも焼き菓子もナシにするぞ」
「はいはい了解しました佐伯様王子様バリスタ様!」
「返事は1回!余計な形容詞は要らない」
「はーい」
『返事は伸ばすな』
佐伯と あかりの声がハモる。
面食らう佐伯に あかりはふふふ、と笑ってみせて「着替えてくるね、お父さん」と笑顔を振りまいて更衣室へと消えた。
(なんか俺、読まれてる?)
(最近怒ってもいじってもあいつ最後には笑ってるし)
「でもまぁ…いいか」
「何がいいんだい?」
「…じいちゃん、わかってんだろ?あんまりいじめないでくれよ可愛い孫を」
「ははは。まぁ孫も可愛いが若いお嬢さんの方が可愛いに決まってるしなぁ」
「ひどいよそれ。まぁ確かにあいつ可愛いけど…じいちゃんでも譲らないから」
「お。でも決めるのは あかりさんだぞ」
「…じいちゃん、まさか本気で…」
「どうかな?」
「じいちゃん!」
焦る孫を見るにつけて、総一郎はからかうのが楽しくて仕方ないのだ。
もっとも本気ではないし(だって孫と同い年の子供だ)、いつも必死で被っている仮面がとれて素顔の瑛が見られることに少なからず喜びを見出してはいるけれども。
「ほら、 あかりさん急いで着替えさせてるんだろう?早くお前も支度しなさい」
「…うん」
「お邪魔になるから僕は先に上がらせてもらうよ。ちゃんと あかりさんを送って行くんだぞ?」
「わかってる」
「じゃあ、戸締りもよろしく。お疲れ様」
居室部分へ繋がる扉に総一郎が消えると程なくして、珊瑚礁の制服からはね学の制服に着替えた あかりが顔を出した。
「お待たせしました」
「ん、座れよ。今コーヒー入るから」
「ありがとう」
カウンターに あかりを座らせて佐伯は丁寧にネルドリップでコーヒーをおとしていく。
その無駄のない自分の動きを あかりの目がずっと追いかけているのに気付いて、佐伯は妙に落ち着かない気持ちになる。
「そんな見つめられるとやりづらいんですが、お客様」
「あ…ごめん。佐伯くん何やっててもサマになってるよなーと思って。やっぱりカッコいいもん」
ニコニコと答られてしまうと、思わず顔が赤らむのを感じて尚更落ち着かなくなる。
(余裕も何もあったもんじゃない)
(こいつは余裕どころかなんも考えてないだけだし)
「佐伯くん?」
「なんでもないよ。ほら」
「ありがとう!」
カウンタ越しにカップを渡し、佐伯は自分もタイとエプロンを外しながら歩き あかりの隣に座る。
先に皿に出しておいた焼き菓子を前に目を輝かせている あかりは色気より食い気なのだろうと思うと少しだけ憎らしいような気持ちも湧いてくる。
(いいけどさ…俺まだ何にも言えないし)
「いただきまーす」
「ん」
「美味しい…これ、珊瑚礁ブレンドじゃないね」
「キリマン」
「ふぅん…これも美味しいねぇ…」
「当然。うちのコーヒーはみんな旨い」
「そうだろうけど私まだ全部飲んだことないもん。そうか、これが…」
考え込むような表情で あかりが最初に手をつけたのが自分が淹れたコーヒーであることに少しだけ満足した佐伯は、自分も手元のカップに口をつけて心の中で「さすが俺。旨い」と呟いていた。
「ね、佐伯くん」
「なんだよ」
「このお菓子、そんなに好きなの?」
「あぁ…。うん、好きだ。初めて買ってもらったヤツなんだ、これ」
「え?初めてケーキ屋さんでってこと?」
目を丸くする あかりに、佐伯は(まぁそうか、フツーのご家庭はそういうんじゃないよな)と思いながらも言葉を続けた。
「そうじゃないんだ。俺んちって前にも話したろ?親父も母さんもエリート思考でさ。俺ガキの頃から勉強ばっかしてたんだ。まぁそれでもさすがに小学生の頃は友だちと遊んだりとかも今よりずっと多かったんだけどさ…」
「うんうん」
「俺に向かって言う言葉なんて、勉強してるか?成績は上がってるか?ばっかりだったしな、親父。母さんはいつでも親父のいいなりで…まぁそれはいいや。でもその頃はもうちょっと親父たちも柔らかかったんだけど…。とにかく俺聞き分けのいいイイコだったからなんか買ってくれとか駄々こねたことないんだ」
「…そうなの?」
「可愛げなかったから、俺。それにどうせ無理って思ってたし…さ。あとはそうだな、駄々こねてるトコ誰かに見られるのがイヤだったのかもしれない」
「佐伯くんらしいかも」
「だろ?…ってお前さりげなくひどいコト言ってるぞ?」
「あ、バレた」
自分の話を聞きながら、おどけたフリをしながらも あかりは優しく笑ってそこにいる。
コーヒーは絶品。好物の故郷の菓子。
更けていく夜、隣には好きな女の子。
その意識は自分に向いており、あまつさえ優しく微笑まれて。
佐伯は思い出す。
あれはきっと幸せな記憶。
味は勿論だけれど、それがあるから自分はきっと今。
佐伯はそうやって過去を振り返りながらぽつぽつと話し出した。
「初めてその店に行ったのは小学校2年の時だったんだ。多分母さんはどっかへの進物用に買い物してたんだと思う」
「うん」
「で、母さんにあれ美味しそうだねって言ったら、「このお店はこの街で一番のケーキ屋さんだからどれも美味しいわよ」って」
「うんうん」
「母さんがそんな風に言うの俺初めて聞いたんだ、その時。で、目に付いたのがこれだったわけ。これも美味しいかって聞いたら母さんが一番好きなのがこれだって…」
そうだ。
俺はあの時…。
佐伯の脳裏に蘇る会話と笑顔。
そして…。
「親父が初めてくれたのが、これだったんだってさ」
「あ、だから…」
「そういうこと。意外とロマンチストなんだあいつら」
「もう…そういう言い方しないの!」
「実際旨いんだけどさ。子供心にあの時は親父と母さんだけが知ってる味ってのが羨ましくて初めて店先でやったんだ」
「買って買ってーおかーさーんって?」
「うん、まーそんな感じ」
「ふぅん」
今とは違い、洒落たケーキや焼き菓子の名前など知らずコーヒーも飲まなかったあの頃。
少なくとも、まだ本当に家族で笑えた時間を思った。
「で、美味しかったわけだ事実として」
「うん」
「やだ、佐伯くん?!」
「何慌ててんだカピバラ娘」
「…あの…気付いてない…の?もしかして…」
「だから、何が…」
突然彼女が自分に手を伸ばしてくるので佐伯は少なからず動揺した。
(なんだ)
(どうしたんだこいつ)
(別に色っぽい話でも何でもないし…つーかそもそもこいつにそんな才能ないし)
自分に届いた手が後頭部にそっと添えられてそのまま引き寄せられて彼女の胸に頬を押し付けるような恰好になる。
(ちょっ…マズいってコレ!感触が…気持ちいいけど…でもやっぱ…)
(つーかこいつわかってない全然…大体なんでこんな…)
「佐伯くん…自分が泣いてるって気付いてる…?」
「…え」
慌てて頬に触れてみれば確かに濡れていた。
「俺…なんでこんな…」
「いいよ、泣いても。私ちゃんと傍にいるから」
「… あかり?」
「今はご両親とちゃんと話が出来ないからもどかしいだろうけど…大丈夫だよ佐伯くんなら」
「別に俺はあいつらなんて…」
「子供の頃は、普通にお父さんお母さん好きだったでしょ?別に捨てられたりしたわけじゃないし」
「そりゃ…まぁな」
「大丈夫。何とかなるって。時間が解決してくれることも沢山あるよ」
「…どうだか」
あかりの胸は柔らかくて温かかったし、彼女は文字通り佐伯が零す涙を受け止めてくれている。
心配してくれて、元気付けようとしてくれているのだろう。
それがわかるから、さすがに佐伯も現役一般的高校生男子としては至極健全な行動だろうと思うことを頭に一瞬思い描いてもそれを実行することは出来なかったし、むしろ出来ない自分でよかったとも思う。心底。
ただ自分に向けられる掛け値のない愛情と好意を少しでも長く受け止めていたくなった佐伯は、そっと あかりの腰にその腕を回した。
「…佐伯くん?」
「もうちょっとこのままでいい?」
「…うん」
「お前あったかいな。小さいのに」
「小さいは余計ですー」
「でも、ほんとだろ?いつも元気だしさ。すげーと思ってる」
「そっか」
顔は見えないがきっと あかりは笑っている。
時折子供じみた言動や行動を抑えられない佐伯に時々見せるあの…慈愛に満ちた、笑顔で。
「お前の言う通りなんだ。この焼き菓子さ、俺にとっては家族が仲良かった頃の思い出の象徴みたくなってる」
「うん」
「あの頃からじいちゃんと親父の仲は険悪みたいなんだけどさ…ばぁちゃんが生きてた頃はそれでもまだマシだったんだ」
「…うん」
「俺、じいちゃんばあちゃんっ子で、それは親父にとってはかなり気にいらなかったみたいでさ…中々遊びに行かせてもらえなくなったんだ。親父は海も灯台も…この店も…あんま好きじゃないんだ、きっと」
「そっか」
あかりの手が佐伯の頭を撫でていた。
その動きが佐伯の心を開いていく。
「あの日もさ、この焼き菓子買ってもらって帰って、凄く楽しみに親父が帰ってくるまで頑張って起きてて…。帰ってきた親父と母さんと俺と3人で食べた。すげー旨かった。その時親父が言ったんだ…」
「なんて?」
「『父さんのコーヒーが飲みたいな』って。あんなこと言ったの初めてだった。…だから俺…あの時…」
「このお店継ごうって決めた?」
「…うん、はっきり意識したわけじゃないけど。親父に俺が淹れたコーヒー飲ませてやれたらいいなって思ったかも」
「そっか…」
誰にも話したことのない思い出。本当の気持ち。
言葉に紡ぐことなど出来ないと思っていたのに。
(なんで俺こいつの前だとダメなんだろう…)
(居心地いいんだ。気を使わないし)
(あったかいし、優しいし)
「佐伯くん?」
(ガキの頃時々こうやって母さんに…)
「寝ちゃった?」
「寝てない」
「そっか」
(つーか好きな女のコと母親重ねるなんて、もしかして俺ってマザコン?!)
(いやまさかそんなわけ…ナイ…よな?)
「ありがとう、佐伯くん」
「何言って…」
「大切な思い出を話してくれて。なんか嬉しい。特別みたいで」
「…特別だよ、お前だから…」
正直に言葉にしてしまって少し慌てた佐伯だったが、 あかりはもう1度ありがとうと呟いて手の動きを止めたかと思うとそのまま佐伯の頭を抱き締めてきた。
「じゃあ私とも思い出だね。佐伯くんの大好きなお菓子と佐伯くんのコーヒー」
「…うん」
「いつかお父さんとお母さんにも飲んでもらえたらいいね。佐伯くんのコーヒー」
「そう…だな…」
「喜んでくれるよ、絶対」
「お前その自信どっから出てくんの?」
「うーん…心の底…から?」
「…サンキュー。ちょっと勇気湧いてきた…かも」
…ああ、そうか。
こんな風に俺を見て、信じてくれてるヤツがいる。
だから俺、頑張れるんだ…。
それに。
そう思ってくれてるのが、こいつ… あかりだから。
温かい抱擁と思い出に包まれて、2人はしばらくそのまま動けなかった。
互いの存在を「特別」だと自覚して意識はしたけれど、その先に進むのはまだ先の話。
けれどこの時間を、後に佐伯は折に触れて思い出すことになる。
あかりに話した、触れた、この夜を。
    
"お礼に代えて"
「Favorite one」の小早川様から頂きました、小説です。
実はこのお話、拙宅にある佐伯母の話「この、美しい世界を」の、続編!!なのですよ!!
ぞ、ぞぞぞぞ続編って、続編って!!!!!!よろしいんですかっ、こんな素敵なお話をいただいちゃってよろしいんですかっ!!!!てなもんですよ、奥さん(誰ヨ)
嬉しさの余り、テンション的にはその辺転がりました。いや実際にも転がったかもしれません。その辺りゴロゴロいっちゃったかもしれません。
もうね、萌えとか何とかってより普通に感動でした。(いや、萌えだってもちろん満載だったわけですが!)
なんて優しくてあたたかなお話。こんな素敵な続きを書いてもらえて、うちの報われない瑛は果報者です。つうか私も果報者!!
あの、志波母とあかり母の悪ノリ小説がこんな素敵な宝物に変わるなんて……魔法のチカラです。メイクミラクル!!
そして、手前味噌ではありますが、そんなわけでこのお話の前に何があったか気になる方は、佐伯短編にある「この、美しい世界を」をお読みくださいませ。
本当に、ありがとうございました!
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