一流大学のとある日常(一流大学編)





七月。弱冷房の効いた、一流大学のカフェテリア。昼にはまだ時間が早いせいか、人はそれほど多くはない。


そこで、僕は今、非常に居心地の悪い思いをしていた。


背後から聞こえてくる会話。それは、とある恋人達の何気ない日常会話だ。
本人達にとっては何気ないんだろうけれども、独り身の僕にとっては羨ましいやら気恥ずかしいやら惨めになるやら、まったくもって身の置きどころがない感じだ。
しかも、その二人が二人とも自分の顔見知りであるとなれば、尚更だよなぁ。
ちょっと前に彼らは、知り合いである僕に全く気付かずに、後ろのテーブル席へと座った。席につく前から会話がすごく盛り上がっていて、僕は声をかけそびれてしまったんだ。


「…で、すごく珍しい土器が出土したらしいよ?」
「ああ、うん、それならば僕も新聞で読んだよ」


最初はそんなアカデミックな会話だったんだけれども。


「本物なら、これで歴史が変わるかもね」
「そうだな。所属している学部とは、畑違いではあるけれども、とても興味深いよ」
「ふふっ。氷上くんならそう言うと思った」
「うむ、あれは是非実物を見に行ってみたいものだな」
「わたしも! ……ゼミの教授がね、向こうの教授と親しくて、話を通してもいいって言ってくれてて……」
「それはいいね。ならば、二人で行こうか? 折りよく試験が終われば夏の長い休みに入るし、時間には事欠かないものな」
「え? で、でも、わたし、ネットで調べたけど、随分遠かったよ? 現場までの交通の便も悪いから日帰りは無理かも……」


この辺りから、雲行きが怪しくなった。


「え? あ、そうか……すまない、僕としたことがよく考えもせずに、軽率だったな」
「ううん、そんなこと……」
「ん? どうしたんだい? 君、なんだか顔が赤……ハッ!」
「ど、どうしたの?」
「あ、いや、その、ぼ、僕は決してそんな邪な気持ちなんて! た、ただ君と有意義な時間を過ごせればそれで……君の赤面を誘うような、そんな不埒なことを企てたりしたつもりはないんだ。神に誓ってもいい!」
「……ふふっ」
「……何がおかしいんだい? 僕はまた何か、変なことを言ってしまったんだろうか……?」
「ううん、そうじゃなくて……氷上くんもすっごく赤くなってるよ?」
「そ、そうか……なんだか情けないな。こんなことぐらいで一喜一憂して」
「氷上くんが変なこと考えるような人じゃないのはわかってるから大丈夫。……わかりすぎて、ちょっと残念なくらい」
「! 君……」
「……相手がわたしじゃ、そんな気起こらない、かな。それとも、今はだめでもいつかは起こしてくれる?」
「……すまない」
「えぇ? なんで謝るの? やっぱりわたしじゃだめってこと?」
「ち、違う! そうじゃないんだ!! さっきは、その、本当にやましい気持ちから出た言葉ではなかったけれども……いつもは、考えている」
「!」
「君ともっと近しくなれたら、って」
「そ、そうなんだ……わ、わたしもだよ」
「……」
「……」
「……どうして」
「え?」
「どうして、君みたいな人が、その、僕なんかを、そんなに?」
「氷上くん……」
「僕は君とこういう関係になってから、毎日がとても充実した気分なんだ」
「そ、そうなの?」
「けれども、僕は、その、あまり一緒にいて楽しいとか、面白いとか思ってもらえるような人間じゃないだろう?」
「そんなことない!」
「! ……」
「あ、ご、ごめんね、急に大きな声出して。だって、わたしから付き合ってってお願いしたんだよ? そんな悲しいこと言わないで……?」
「……うん、すまない。……ありがとう」
「ううん、わたしこそ、ありがとう」
「……」
「……」
「ゴホン! そ、そろそろ行こうか!」
「う、うん、そうだね」


そうしてようやく二人は、席から立ち上がってカフェテリアから出ていった。……しっかりと、その手をつないで。
もちろん立ち去る際にも、僕のことになど全く気付かなかった。
残された僕は、一人大きくため息をつく。


やっと解放された……。
ああ、なんか、すごく疲れたな……。肩がこったみたいだ。


今日は一限から講義があって、朝食が早かったせいで小腹が空いてしまった僕は、少し早いお昼をと思ってここで軽食をとったんだけど。
その後、試験勉強のためにと目の前に広げてあったノートは、彼らが来てから一ページたりともめくられていない。


さっき『氷上くん』と呼ばれていた彼とは、はば学時代に生徒会の活動を通して交流があって、割と良く知っているし、彼女の方とも面識があった。
そんな二人の微妙な雰囲気に当てられて、僕はすっかりのぼせてしまったんだ。


それにしても。


生徒会の活動で一時期書記をしていたせいもあって、彼の言動を良く知る僕としては(何しろ議事の要点をまとめるために必死で聞き入っていたから)、今のこのプライベートでの変わりようは本当に驚きだった。
それに。
二人とも顔見知りなのに、側を通ってもさっぱり気付かれないなんて、僕はそんなに存在感が薄いんだろうか。


……いや、そうじゃないか。
あの二人は今、周りのことなんて目に入っちゃいないんだ。すっかり二人の世界って感じだったもんなぁ。
……ハァ……。


そんなふうに相当消耗していたところに。


「やぁ。もう昼飯?」


背後からバシン、と嫌がらせのように肩を叩かれて、僕は驚く。おかげで眼鏡が少しずれてしまった。
振り向かなくても声の主は誰だかすぐに分かった。僕に声をかけてきたのは。


「赤城先輩! こんにちは」


赤城一雪先輩。僕よりふたつ年上で、はば学時代に生徒会執行部でお世話になった人だ。
眼鏡の位置を直しながら僕が挨拶すると、赤城先輩は口の端を軽く持ち上げた。
「こんにちは。どうしたの? 鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔して」
「いや、別に……」
「盗み聞きしてたから、バツが悪かった、とか?」
「! ……やめてくださいよ。人聞きが悪い」
僕の抗議に、悪い悪い、ってちっとも悪いと思ってなさそうな口調で言うと、赤城先輩はテーブルの向かいの席についた。
すっかり勉強する気を殺がれて、もうここから出ようと思っていたのに、出鼻をくじかれてしまった。
仕方なく僕は会話を続ける。
「いつから来てたんですか?」
「ちょっと前。君がいたから声かけようと思ったんだけど、すぐ側に氷上君たちがいただろ? それで、紺野がなんか硬直してるみたいだったから、離れたところで様子をうかがってた」
「悪趣味だなぁ」
「盗み聞きの方が悪趣味なんじゃない?」
「だから盗み聞きなんてしてませんってば! だいたい、僕の方が先にこの席にいたんですよ? あの二人が気付かなかっただけで」
「それでラブラブの会話を聞かされて、いたたまれなくなって固まってた、と」
率直に言われて、僕、紺野玉緒は渋々肯定する。
「……まぁ、そんなとこです」
「それはそれは、ご愁傷様」
「やめてくださいよ……それにしても、氷上さん、随分変わりましたね。高校の頃からじゃ想像つかないですよ、あれ」
「うん、うちの執行部の女子たちが噂してたとおり、見事にツンデレだったってわけだ。まったく、女の勘は侮れない」
「あはは……」


羽ヶ崎学園生徒会長・氷上格と言えば、堅物も堅物、なんの疑いもなく融通の利かない正論をぶつことで有名で、一部の生徒達の言を借りるなら『漫画に出てくる優等生キャラ』と評されるくらいの人物だった……らしい。
僕が出会った時には、それほどお堅いだけの人ではなかったような気がするけれども。
僕と赤城先輩が通っていたはばたき学園と羽ヶ崎学園は、同じ市内の高校と言うことで何かと交流があった。特に僕らが所属していた生徒会執行部は、お互いの学園を行き来して定期的に合同会議を開いたりしており、氷上さんとは割と言葉を交わす機会も多かった。
それに、生徒会長に就任する前、一時期書記を勤めていた(その時、本書記だった赤城先輩に随分仕事を教えてもらった、いや、たたき込まれた、と言った方がいいかも)僕は、逐一その発言を議事録にまとめなくてはならなかったから、余計にその当時の印象が強い。氷上さんのオフィシャルな面ばかりが頭に焼き付いてる。


それが。


一大に入って、まさかあんなに彼女と仲睦まじくなってるのを、大学構内でたびたび見せつけられるようになるとは思わなかったなぁ。


ちなみに、氷上さん同様羽ヶ崎学園出身だと言う彼女の方とは、入学してから入ったボランティアサークルで知り合った。それ以前にも、合同会議ではね学へ行った時に何度か見かけたことがあったんだけれども……。


そこで僕はつい、我知らず赤城先輩の様子を窺ってしまっていたらしい。
「ん? なに?」
聞き返されて、僕はついギョッとした。
「え!? ええ、いえ、なんでも!」
「そう?」
「えっと、その、あ! あの二人って、いつから付き合い出したんですか?」
苦し紛れに僕が言うと、赤城先輩は肩をすくめて答えた。
「半年くらい前かな。ちなみに、僕がキューピッド」
赤城先輩の口から飛び出した、あまりにも不似合いなその単語に、僕は一瞬自分の耳を疑った。
「……え?」
「氷上君、今でこそあんなだけど、ここに入学した当初は、高校の頃とそれほど変わってなくてさ。恋愛ごとに関しては、特にね。彼女の方は高校の時から氷上君のこと好きだったけど、全然気付いてもらえなかったみたいで。大学入ってから散々悩み相談受けたよ。ほら、僕、氷上君と結構仲良かったから。彼女とも、まあ、故あって入学前から顔見知りだったし」
「はぁ……」
そう言えばそうだ。
はばたき学園で今も行われている挨拶運動。
その発案者は氷上さんで、最初は反対していたはば学側の執行部を説得して、はね学・はば学合同の取り組みにするまでにこぎつけた立役者が赤城先輩だってことは、その意外性から、執行部員の間では割と語りぐさだった。それ以来、氷上さんと赤城先輩は二人で協力して、いくつもの議案を成立させたんだ。


それにしても、まさか赤城先輩が二人を結びつけただなんて。
だって、僕は、てっきり。


「そういや、そういう紺野はどうなの?」
唐突に自分にお鉢が回ってきて、僕は仰天する。
「え? 僕ですか?」
「うん。春先にかわいい子連れてたじゃない。ここで」
「!」
まさか見られていたとは思わなかったので、二重に驚く。
「彼女は……その、単に執行部のひとつ後輩で」
「ああ、なら僕と入れ替わりか。へぇ、それは残念」
冗談めかして言う赤城先輩。
「……」
僕が向けた視線に、赤城先輩はくすりと笑った。
「ごめん、冗談。……あの子、紺野の彼女じゃないの?」
さらっと訊かれて、僕は返事に詰まる。
「……違いますよ」
かろうじて、そう事実を答えたけれど。
彼女と一緒に、もう一人、同じはば学出身の友人のことを思い出してしまって、心が酷く重たくなる。
赤城先輩の質問は流れとしては想定の範囲内だったはずなのに、僕ときたら、情けないことに表情を取り繕うことすらできなかった。もちろん、この人がそれを見逃すはずがない。
赤城先輩は、少し調子を変えて訊いてきた。
「……なんか、ワケあり?」
「そういうわけじゃ……」
「……」
「……」
そうやって、なんとなく気まずい沈黙が流れたんだけど。
赤城先輩が、ふいに気を取り直したように言った。
「紺野、この後は暇?」
「え? えぇ、特に予定はないですけど」
「よし。飯おごるよ。外に行こうぜ」
その提案に、僕は目を丸くする。
「え? 僕食べたばっかり……」
赤城先輩はテーブルの上の空の食器を見て、軽く眉を上げる。
「そうだった。じゃあ、一杯やりに行こう」
「昼間からですか? それ以前に、僕、まだ未成年なんですけど……」
すると、赤城先輩は当たり前だ、とばかりに言う。
「もちろん、コーヒーのことだけど?」
「はは……」
すかされた僕は笑うしかない。
「飲み物ならもう一杯ぐらい入るだろ? コーヒーおごるからウィニングバーガーにつき合えよ。何年かぶりに復刻したメニューがあってさ。覚えてるかな、テリウ」
「あぁ、なんかありましたね、そんなの。確かあまり評判が良くなかったんじゃ……」
照り焼きうどんバーガー、略してテリウ。僕は一度も口にする機会がなかったけれども、クラスメイト達が『あれはないだろ』と嘆いていたのを、うっすらと覚えていた。
「一部のマニアからの熱い復活要望があって、期間限定で売り出すことにしたらしいぜ? 僕も一度食べたらもういいって思ったクチだけど、なんか懐かしくなっちゃって、一回食べておこうと思ってたんだ。だから一緒にどう? もちろん、嫌なら、無理にとは言わないけど」
「……わかりました」
ため息の後に、僕は応じる。そして、食器の載ったトレイを手に立ち上がった。
赤城先輩も悠々とした素振りで席を立つ。


相変わらずストレートな人だなぁ。予定がないって答えちゃった後にこんな風に言われて、断れる人がいるのかな……。


そう思いながら、隣の頭の切れる先輩を見やる。
聡い先輩は、すぐに僕の視線に気付いてにやりと笑った。


「なに? またじっと見たりして。気味悪いな。言っておくけど僕、残念ながらそっちの気はないぜ?」
「ちょ、なんですかそれ! 僕だってないですよ」
「それは一安心」
「……はぁ……」


まったく、この人ときたら、毎度毎度やれやれだ……。


けれど。


はば学の頃は苦手だと思っていたこの先輩が、今ではそれなりに親しみやすい人のように思えるから不思議だ。
僕も大学生になって、少しは練れてきたってことなのかな。


それとも。


僕は自分の今現在抱えている問題を、出来れば忘れていたい難題のことを思い出す。
彼女のこと。
ーー設楽のこと。


いろいろ壁に突き当たっていることで、この程度の摩擦はどうってことないと思えるようになったのかもしれないし、さっきの赤城先輩の発言から、シンパシーを感じやすくなっているのかもしれなかった。


……赤城先輩は。
多分、氷上さんの彼女のことが好きだったんだと思う。あくまで、僕の想像だけれども。
だって、僕がまだはば学の一年で、合同会議ではね学へ行った時、赤城先輩は。


『今日、羽ヶ崎に来ることになってさ! 会えたらいいなって! そうしたら、ホントに君がいるだろ? スゴいよ! だから、つい嬉しくなって――』


あんな風に人目をはばからずに興奮する赤城先輩を見たのは初めてだったから、酷く印象に残っていたんだ。赤城先輩だけじゃなく、その時一緒にいた彼女のことも。
だから、一大に入って、入部のために訪れたボランティアサークルの部室で彼女に会った時にも、すぐに思い出した。
それからほどなくして、あの人が氷上さんの彼女だって知って、すごくビックリしたっけ……。


『一杯やりに行こう』


ふいに、さっきの赤城先輩の言葉を思い出す。


……今はまだ、ファストフードだけれども。
まだ少し、先の話だけれども。
僕が成人したら、先輩にお酒をおごってもらおう。
そして、僕の身の上話を聞いてもらおう。
その頃には、もしかしたら笑い話にできるようになっている、かも、しれないから。


……出来れば、そう願いたい。


その折りには、もしかしたら、赤城先輩の思い出話も聞かせてもらえるかもな。


この人との関係は、これからが本番。
案外、長い付き合いになるかもしれない。




夏本番を前にして、日々、徐々に強さを増していく日差しの下(もと)。
僕は、赤城先輩と並んでウィニングバーガーへと向かいながら、そんなふうに思っていた。

















"お礼に代えて"

「錠前ノ向コウ側」のアサマ様から頂きました、「一流大学のとある日常(一流大学編)」とのタイトルでリクエストしていたお話です。3万ヒット&2周年記念でリクエストを受け付けて下さいました!
記念ということでここぞとばかりにわがまま放題リクエストしたら「赤城で切ない話」と「氷上主でほのぼの」という両方を叶えて下さった上に玉緒先輩まで登場させて下さいましたよきゃあああ!!もう、全部盛りじゃないですか!私得以外の何物でもないじゃないですかあああ!!!と大興奮したのは言うまでも無く。

アサマさんはいつもご謙遜されますが、まずは萌えとか何とかいう以前に、アサマさんの文章力に魅せられます。話の構成力というか、ちゃんと収まるところに収まってくれる安心感と、その中でのキャラの心情がいつも自然で、でも胸に迫るような表現もあって…という、二次創作というには勿体ないと思わせてくれる「読み物」をいつも読ませて頂けます。
どのお話も完成度がとても高くて、それはつまりアサマさんが全ての作品に一切手を抜いたり、投げ出されたりしないで書かれているからだと思います。そういうところをとても尊敬している。手抜きしまくる人間なので…!
いやー、こんなん頂いちゃっていいのかな?いいよね、もらっちゃいますよ?というわけでホイホイ頂いてきました。もう返さないんだから!


こんな私にもいつもあたたかく接して下さる方です…!今後ともどうぞよろしくお願い致します。


本当に、ありがとうございました!