まどろみアトリウム




※このお話のデイジーはオリジナルの「一ノ瀬さよ」になってます。












「…何だこれ?」

あまりにも寒くなり、そろそろダウンジャケットでも出そうかと探していた折、クローゼットの奥から出てきたもの。ハンガーにかかって薄いビニールがかかっているそれは、クリーニングに出されてそのままという状態のようだ。
俺のものであるはずがない。しかし、だとすれば何故俺のクローゼットにあるのか。

(何だ、何か狙ってるのか?それとも単に間違えたか?)

恐らくは後者だろう。あいつが何か狙いがあってこれを俺のクローゼットにしまっていたとは思えない。
もし狙いがあったとしてもそれは誰かの入れ知恵で、本人のアイディアではないだろう。
とりあえず、あいつに聞いてみないとどうしようもない。

(まさか…俺に着ろと?)

絶対にあり得ない、と思いながらもうっすら不安を抱きつつそれをクローゼットから取り出し、リビングに向かった。

「さよ」
「なにー?ジャケットあった?出掛けるんだよね…て、うあぁぁぁ!!」

また何かお菓子を作っていたらしい。ドアを開けると、部屋中に甘ったるい匂いが漂っていた。
あいつは何かかき混ぜていたらしいボールを、放り投げる勢いでテーブルに置き、俺の方に駆け寄ってくる。

「そ、そ、それっ、何でっ…!何で志波くんがっ…!き、着るの?志波くん、着るつもりなの!?」
「そんなわけないだろ。俺に入るか。…その様子だと、やっぱり間違えたんだな」

ハンガーの部分を手で持って吊り下げるように持つと、ひらりとそれは宙で揺れた。白いケープ、グレイのワンピース。…羽ヶ崎学園の女子制服。
それは間違いなく俺のではなくさよのものだったが、あいつはそれをまるで珍しいものを見るかのようにまじまじと見ていた。

「…あ!そうだ。この間クリーニング取りに行った時…、これも忘れてますよって渡されたっけ…」
「それで俺のクローゼットに間違えて?うっかりにも程があるぞ、お前」
「う、うーん。…何でかなぁ…、実家に置いてきたつもりだったんだけど…」
「ちゃんと置いてあるんだな、制服」

そういえば自分の制服はどうしただろうとふと考える。が、最終的にどうしたかまるで憶えがない。たぶん、お袋あたりが仕舞い込んでいるか、それとも誰かにやったか(しかし俺のサイズで需要があるかはわからないが)、適当に片づけているだろう。
きちんとビニールにかけられたそれを受け取りつつ、さよは「うん」と頷いた。

「思い出がたくさんあるから」
「…そうか」
「うん、そう」

えへへと笑うさよの頭を、何となく撫でる。あいつが嬉しそうにしていると何故か頭を撫でてやりたくなる。

「そういや、何作ってるんだ?」
「あ、そうだ。パウンドケーキだよ。くだもの、余っちゃったから、それで作ってたの」
「うまそうだな」
「お誕生日の時は、もっとちゃんとしたの作るね」
「あぁ、楽しみにしてる」

アナスタシアでもどこでも、美味いケーキは好きだけれども、こいつの作ったものは一番好きだ。他とは比べ物にならないくらいに。





「それにしても、ちっちゃいなぁ…」
「何が?」
「私の制服」

あまりにも真面目な顔をして言うので、飲んでいた紅茶を思わず噴き出しそうになった。(出掛けるのは結局やめた。別に、どうとでもなる用だ)
何で笑うのー!?と、さよは不本意そうな顔をする。

「何でって、今更…」
「そ、そんなに笑わなくてもいいと思います!志波くんは、おっきいからわかんないだろうけど!」
「悪い…、あんまり真剣な顔して言うから、笑えた」

何故か知らないがこいつは自分の身長が低い事を割と気にしているらしい。そういえば、高校の頃も針谷あたりによくからかわれていたっけ。
…俺は丁度いいサイズだと思っているのだが。いや、別に背が高くても低くてもこいつがこいつである事に変わりはないから俺にとっては瑣末な問題だ。
けれども、今このバランスを凄く気に入っているから、特に不満はない。しかし、本人はそうでもないらしい。紅茶の入ったカップを両手で持ちながら、真剣な顔で俺の方を見る。

「あのね、私ね、高校の時より絶対背が伸びたと思うんだ。おっきくなったと思わない?」
「…そうか?どうしてそんな確信に満ちてるんだ、お前」
「だって、牛乳毎日飲んでるもん。それに、なんかちょっと目線が高くなった気がするし」
「…っ!牛乳…!」
「わぁ!志波くん急にテーブル叩いたら危ないよ!」

だめだ、おもしろすぎる。俺の腹筋をこれ以上痛めつけないでほしい。
それにしても、そんなに気になるものだろうか。確かに昔から周りよりでかかった俺にはよくわからない心境だ。
後で片付けるといって、ドアのノブのところに掛けてあるあいつの制服を見る。それから向かいに座るさよ。…俺が見た感じではジャストサイズな気がするが。

「…着てみればいいんじゃねぇか?」
「え?」

きょとんとした表情が返ってくる。これは、ちょっとしたイタズラ心だ。それと懐かしいって気持ちと。

「今の方がデカいって言うなら、あの制服はサイズが小さくなってるはずだろ?着てみて比較するのが早い」
「…なるほど。そうかも」

頷いて、さよはカップをテーブルに置き、掛けてある制服を取りにぺたぺたと歩く。
「ちょっと、着替えてくる」と、制服を持ってあいつはドアの向こうに行ってしまった。

(…高校の頃、か)

部屋の、甘い匂いの密度が濃くなっている気がする。パウンドケーキの出来上がりが近付いているのだろう。それを感じながらダイニングテーブルから離れ、ソファに寄りかかった。
高校の頃は辛いも楽しいもひっくるめて色々あり、そして今となってはどれもが大切な思い出となっている。そしてその思い出の中にはあいつがいる。今となっては一番重要な位置に。
初めのころは優しくなんて出来なかった。優しくしてやりたいとも思わなかったし、そうしてやりたいと思ってもどうしていいかわからなかった。
今なら、今の俺ならもっと優しく出来るだろうと思う。けれども、あの時の俺があいつに会ったから、今の俺があるのだろう。
うとうとと眠くなってくる。さよはどこだろう。まだ着替えているのだろうか。

制服を着ているあいつは、おどおどと困ったような戸惑うような顔の方をよく記憶している。時折見る笑顔より、泣き顔。何故だろう。
今となってはそれはどうしようもない事だけど、それでも時々、やっぱり少し胸が痛くなった。本当、ガキだったな。俺は。

「…くん」
「ん…」
「…志波くん。もしかして寝ちゃった?」

目を開けると、さよがいた。記憶の中から抜け出てきたように、そのままの。
白いケープと、グレイのワンピース。そして、記憶しているよりももう少しだけ柔らかな表情。
そこだけが、少し違う。そして、それは何故かくすぐったいような嬉しさがあった。

「…サイズ、やっぱりぴったりだな」
「そ、そんなこと…!ほ、ほら!腕とか、ちょっとキツそうな感じ、しない?丈もちょっと短かそうでしょ?」
「…いや、ぴったりだ。まるで違和感がない」
「……うわーん、やっぱりー!」

くるりと回ったり、腕を伸ばしてみたりと色々見せてくれたが、やっぱりサイズは変わっていないようだ。

「高校の頃、そのまんまだ」
「うぅ…、頑張ってるのに…」
「別に、いいだろ。そのまんまでも」

何気なく手を伸ばすと、さよは何の抵抗もなくそこに手を重ねる。少し、不思議だった。制服を着ている時は、こんな風じゃなかったから。
何せ、高校3年間のほとんどは勘違いやらすれ違いで時間を費やしてしまったからな、もったいない。

「手を繋ごう」と伸ばした手に「いいの?」と顔を赤くするのも、好きだったけれど。
戸惑って、けれど最後ははにかむように笑ってくれるのも、好きだったけれど。

「…それ、しばらく着てろよ」
「え?このカッコでいるの?」
「嫌か?」
「別に…イヤじゃないけど。あ、それなら…あのね」
「ん?」

何かを思い付いたのか、期待の籠った目が俺を見る。重なっていただけの手が、そっと指を絡めてくる。
…甘えたい時の、こいつの癖。





「…で、何でコレがしたかったんだ?」
「んっとね、ドラマで見たの」

上機嫌でそう答えるさよは、俺の膝の上にいる。投げ出している俺の脚の上に、あいつは嬉しそうに膝を曲げてちょこんと座りこんでいた。
こんなの、別にいつでもしてやるし、出来ることなのに。

「…別に制服と関係なくないか?」
「せ、制服着て、したかったのっ。…だって、高校の頃はこんなの出来なかったから…」

こういうのに憧れてたのと、さよは小さな声で言った。その言葉で、何となくこいつの考えていることがわかってしまう。
つまりは、俺と似たような事だ。

「あっ、べ、別に、今が嫌とか、そう言うんじゃなくて!でも、高校生でラブラブのカップルとか見ちゃうと、いいなぁって、ああいうの、その、したかったなぁって思って…」
「…じゃあ、今度制服着て出掛けてみるか?…俺はもう入らねぇだろうけど」
「そ、それはちょっと…」
「冗談だ」
「…あのね、志波くん」

さよが、俺の方を見上げる。まるで高校の頃のあいつみたいだった。「さよ」ではなく「一ノ瀬」と呼んでいた頃の。
ほんのりと赤く染まったほっぺたが、愛おしい。

「あの…、私、志波くんのことが好き。大好き」
「……」
「だからっ、こ、これからもよろしくお願いします…」

(…ああ、もう)

あの頃に戻りたいわけじゃない。今に満足していないわけじゃない。
それでも、一ノ瀬が俺に好きだと言って笑ってくれることは、たまらなく嬉しかった。感情のままに、あいつを腕の中に閉じ込める。

「わわっ、何?どうしたの?志波くん、やっぱり眠い?」
「……だめだ、かわいすぎる」
「ぇ?何か言った?」
「いや、別に。…俺も、お前のこと好きだ。…これからも」

そう言うと、さよは笑った。二人して笑ってから、触れるだけのキスをした。
甘い空気がたちこめる。お前がいるなら、過去でも今でも未来でもどこでもいい。





「…ところで、その制服ってどうなってるんだ?」
「え?あぁ、これはね、ワンピースの上にケープを着てて、それでリボンをここで結んで…」
「へぇ…」
「って、きゃあぁ!リボン解いちゃダメ!脱げちゃうよ!」
「いや、脱がしてるんだが」
「だ、ダメ!もっとダメ!真面目な顔して言ってもダメ!」
「……先輩が、『制服は脱がせるためにある』って言ってた…」
「そ、そんなヘンな事どこの先輩が言ったの!?ダメだってば!」
「嫌だ。…観念しろ。かわいい事言うお前が悪い」
「やぁぁん…!」



























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デカイ男の子の上にちっちゃい女の子が座っているという図は、さよすけでなく私が見たかったのです、それだけです。
それだけの為の話。

志波にオカシな事吹きこんだ先輩というのは…きっとね、野球部の先輩です。そうだと思います。

「志波勝己誕生祭09投稿作品 お題:勝手に見ちゃダメ!」
by aika