或るうつくしい恋人たちのはなし








※また勝手に未来捏造しております。








「…それじゃあお願いね?これは病院の住所。それと、お金と保険証と…」
「もう3回目だよ。大丈夫、全部持ったって。…じゃあ行ってくる」
「ごめんね?折角のお休みなのに」
「…別にいーよ。だって、車に乗れるのオレか父さんなんだから」

そう言うなら、オレに頼まなければいいじゃないか、という言葉は胸にしまっておく。どう愚痴を言ってもオレはどうせ行くんだろうし、母さんは運転が出来ない。
その上、父さんは仕事なんだから、結局のところお鉢が回ってくるのはオレだっていうのはわかっていた。だから、今日はわざわざ合コンもキャンセルしたんじゃないか。
けれども、何となく釈然としない気持ちを抱きつつ、オレは車のカギと、母さんに頼まれた諸々の荷物を持った。玄関では、もうじいちゃんが待っている。

「…じゃ、行こうか」
「あぁ」

低いしわがれ声に、オレはほんの少し眉をひそめた。もちろん、ほんのちょっぴりだけど。
玄関を出て、ガレージから車を出してじいちゃんを乗せる。助手席じゃなくて後部座席に乗ってくれたことに妙にほっとした。
車の中は、ひんやりとした冷気で満ちている。老体にはさすがに堪えるんじゃないかとちらりと考えたが、じいちゃんは平気そうな顔をして座っていた。それをミラーで確認してから、エンジンをかける。
母さんに言われた病院の住所をカーナビに打ちこんで、車を発進させた。

病院へは車で20分ほど。羽ばたき市の郊外にある割と大きな病院だ。今日は、ばあちゃんが退院する日だった。

車内は静まり返っていた。仕方がない。じいちゃんは自分から話しをするような性格じゃないし、オレはじいちゃんに何を話せばいいかもわからない。
オレは、物心ついた頃からこの人が苦手だった。嫌いではない。そして、じいちゃんの名誉のために言っておけば、別にひどく怒られたり、あるいは嫌になるような言葉を投げつけられたわけでもない。
むしろ、孫であるオレの事を大切にしてくれていると思う、それは今も。
そういう事じゃなく、何となく雰囲気が苦手なだけだ。いつも押し黙って、言葉も短く、少ない。年を取ればその傾向はますます顕著だった。
その代わり、ばあちゃんの事は好きだった。いつも朗らかで優しかった。じいちゃんの事を心から嫌いにならずに済んだのはばあちゃんが居たからだと思う。
ばあちゃんと一緒にいる時のじいちゃんは優しかった。無愛想なのは相変わらずだったけど、纏う空気が全然変わるんだ。
二人はとても仲が良かった。喧嘩をしているところなんか、見たことない。おしどり夫婦ってこういうのを言うんだろうなって、小さい頃から何となく思っていた。

「…この辺りは、変わったな」
「え?この辺?そうなの?」
「…ああ。懐かしい」

低い、けれども静かな声には珍しく感情が見てとれる。本当に懐かしんでいるんだとわかった。懐かしんで、愛おしんでいる声。

「この辺、知ってるの?オレ、あんまり知らないけど」
「昔、しばらく住んでいた。今の家の前にな。…あいつと一緒に」
「へーぇ」

信号が青に変わる。通行人の有無を確認して、アクセルを踏む。滑るように車が動いた。

「…ところでお前、いつ免許なんて取ったんだ?」
「いつって、大学入る前に取りに行ったじゃん。母さんに散々反対されたの、じいちゃん達に宥めてもらったろ?」
「そうだったな。…そうか、もうそんな年だったな」

年を取るはずだ、俺もあいつも。そう言って、じいちゃんは静かに笑った。

ばあちゃんが入院したのは半月ほど前。家で倒れて、そのまま病院に搬送された。でもってそのまま入院した。
病状は実際には大した事はなく、けれども検査も兼ねて入院しましょう、という事になった。そしてその検査入院も終わり、今日退院というわけだ。

…一応、そういう話になっている。

「ねぇ、ばあちゃんの若い頃ってどんなだった?」
「かわいかった」
「うわ、即答」
「かわいくて、やわらかくて、けれど少し危なっかしくて、俺の世界を変えてくれた。…一生一緒にいたいと思った」
「ふぅん。…凄いなぁ、そんな風に今でも言えるなんてさ。オレにはカノジョいないからよくわかんないけど」
「そのうち、わかる」
「そうかなぁ?」
「ああ」

二人の高校の時の写真というのを、見せてもらった事がある。色褪せた写真の中には、笑顔全開で写っているばあちゃんや、野球部のユニフォームを着ているじいちゃんがいたりした。
「ね?おじいちゃん、かっこいいでしょう?」と、ばあちゃんはいつだって嬉しそうに言った。少しだけほっぺたをピンク色にして笑うばあちゃんは、写真の中の女子高生のばあちゃんとあまり変わらなかった。
そんなことを、何となく思い出していた。





病院に着くと、看護師さんや担当医の先生が笑顔で出迎えてくれた。看護師さんの一人が、じいちゃんに花束を渡す。
それほど大きくはないけれど、かわいい感じの花がたくさん束ねられていた。

「どうぞ。志波さんから渡してくださいね?」
「…ありがとうございます」
「それにしても、志波さんみたいな素敵なご主人。奥様が本当に羨ましいですわ」
「毎日お見舞いにいらっしゃるなんて、中々出来ませんもの」

口々にじいちゃんを褒める看護師の言葉に、オレは思わず口を開ける。お見舞い?毎日?

「ちょっ…じいちゃん、毎日って本当?オレ、そんなの聞いてないけど!母さんにも黙って行ってたの!?」
「言ってないからな。他にする事もなし、いい運動になった」
「そんな…!電車やらバス乗り継いだら1時間はかかるのに!」
「俺はまだそんな老いぼれちゃいないぞ」

口の端だけで笑うじいちゃんには、確かに余裕そうだ。そりゃそうかもしれない。何せ昔はあの羽ばたき山まで走り込んでたっていうんだから。
やっぱりいくつになっても素敵だわぁ、と看護師の中で黄色い声が飛ぶ。

「…でも、心配するだろ。何かあったらって」
「悪かった。…けれど、どうしても行かずにいられなかったんだ」

心配だったから、と、じいちゃんの声はぽつりと零れた。

病室にいたばあちゃんは、オレと目が合うなり嬉しそうに微笑んでくれた。あったかい笑顔。オレもつられてつい笑顔になる。
オレは、父さんよりもじいちゃんに似てるらしい。だからなのか、ばあちゃんはよくオレを「勝己さんみたいな男前になるわ」と褒めた。じいちゃんは横で何となく憮然とした顔をしていた。
病室はどこもかしこも白くて、薬臭い。病院に来てからずっと落ち着かなかったけれど、ばあちゃんの顔を見てやっと少しほっとした。

「ばあちゃん、迎えにきたよ。…良かった、思ったより顔色良いね」
「そりゃあそうよ?元気になって退院するんですもの。…ごめんなさい、学校だったんじゃないの?」
「ううん、今日は休み。…あ、そうだ。じいちゃんも一緒に来たからね」
「…まぁ」

笑顔が、一層嬉しそうに綻ぶ。まるで、花が咲くみたいに。
振り返ってじいちゃんを見ると、明らかに嬉しそうで、それでいてひどくほっとしたようだった。きっと、じいちゃんも病院の空気が苦手なんだ。
…違うか。ばあちゃんの顔を、見たからだね。
オレがばあちゃんから離れてじいちゃんから花束を受け取るのと同時に、じいちゃんがばあちゃんの傍へ歩み寄った。とても大切そうに白く細い腕を取る。どっちの手も、皺くちゃでシミがたくさんあってたるんでいる。
けれども、それは美しかった。少なくともオレにはそう見えた。

「…あかり」
「心配をかけて、ごめんなさい」
「元気になって、よかった」
「…はい。これからまた、ずっと一緒ですね」

ばあちゃんは、じいちゃんの目をまっすぐに見てそう言った。

「…あのさ、オレ、退院の手続きとか済ませてくるから。二人はちょっとここで待ってて」

軽く息を吸い込んでからそう言って、オレは病室を後にした。二人に言った通り、受付で退院の手続きをして、それから病院の外に出て携帯電話を取りだす。

「…もしもし、母さん?オレ。今、病院。支払いとかも済ませたし、後は二人、連れて帰るだけだから」
『そう、ありがとう。…お母さん、様子はどう?』
「元気そうだよ。…思ってたより、ずっと。じいちゃん連れて来て正解だった。…凄く嬉しそうだった、どっちも」
『そう…』
「泣いたら、ダメだからね。母さん」
『…うん、わかってる…』
「ばあちゃんは、元気になって退院するんだから。…今日は良い日なんだから、泣いたらダメだって父さんとも約束したろ?」
『うん…、うん』
「じゃあ、切るから」

そう言って、通話ボタンを押した。そのまましばらくオレは突っ立っていた。母さんに泣くなと言ったオレ自身が少し泣きそうだった。どうしていいかわからなくて途方に暮れた。
写真の中のじいちゃんとばあちゃん。じいちゃんが懐かしいと言った場所で二人一緒に暮らして、今の家に移って、母さんがそこで生まれて、そのうちにオレも生まれて、今では車の免許だって持っている。そうして時間は経っていく。じいちゃんだって、初めは一野球部員だったけど、甲士園で優勝して、大学野球で有名になって、プロに入って、そして現役引退して監督になった。それも、今はもう昔の話だ。

だから、これはどうしようもないんだ。ちっとも不幸な事なんかじゃないんだ。

二人が待つ病室に戻る。二人はベッドに腰掛けてずっと話していたみたいだ。二人は並んでいるとばあちゃんが小さく見える。小さくて丸くて、確かに「かわいかった」。
少しだけ、声を掛けずに二人を見ていた。二人はとても幸せそうだったから、邪魔をしたくなかった。

「…あら、戻って来たのなら声を掛けてくれれば良かったのに」
「だって、何か二人の世界だったからさ。…荷物はオレが持つから、じいちゃんはばあちゃんを連れて来てね。腕組むなり手を繋ぐなり、してあげなよ?久しぶりなんだから」

オレの言葉に、じいちゃんは少し驚いたようだった。そんな風に驚くなんて、本当今更だ。だって、昔はしょっちゅうしてたんだ。思い出した。
二人は喧嘩なんて一度もしたことがなくて、オレは正直じいちゃんの雰囲気は苦手だったけれど、ばあちゃんと居る時のじいちゃんは好きだった。
そんな二人を見るのが好きだった。一人ずつでも好きだけど、一緒にいる二人が、大好きなんだ。

「…入院中、やっぱり寂しかった?」
「そうね…毎日会いに来てくれたから、思った程じゃなかったわ。家で一人で大丈夫かしらって心配だったし」
「ふぅん」

荷物を持って歩きながら、オレはばあちゃんに話していた。ばあちゃんは優しいので、オレの方もついつい甘えが出てしまう。何せ小さい頃からかわいがられたし。
ばあちゃんはオレの少し前をじいちゃんと歩いている。…手をしっかりと繋いで。

「…でもね、最後にはお別れしないといけないでしょう?勝己さんは家に帰るわけだから」
「うん」
「それが…、その時が寂しいなって思ったわ。だって、勝己さんに「また明日」なんて、もう何十年も言ってなかったし、言われてなかったから」

ばあちゃんは、ふわりと笑った。

「だから、それをもう言わなくていいのが嬉しいの。…これからはずっと一緒だもの」
「…うん。そうだね」

そこで、会話は途切れた。病院の外に出た。今日は晴れていて、澄んだ青空が綺麗だ。吸い込まれそうな、深い青。

「…俺は」

外に出たところで、低い声がぽつりと言う。ずっと前を向いていたじいちゃんが、ゆっくりばあちゃんの方を振り返った。

「俺も、ずっと一緒にいたいと思ってる。…生まれ変わっても、ずっと」

じいちゃんは笑っていた。とても穏やかに、幸福そうに。今まで見てきたどの笑顔より優しい笑顔だった。
ばあちゃんは嬉しそうに笑ってから「はい」と答えた。細まった目元に皺が刻まれる。すごくすごくきれいな笑顔だと思った。

「…ほら、車に乗って。今日はばあちゃんの退院お祝いとじいちゃんの誕生日祝いだからさ!母さんがごちそう作って待ってるよ」
「まぁ、本当ね。今日は本当に幸せな日だわ。勝己さんが迎えに来てくれて、その勝己さんのお誕生日だもの」
「…お前の退院祝いも入ってるだろ」
「うん。…今日は、本当に幸せが重なった日だ。…だから、早く帰ろう」





本当に、心からオレはそう言った。だって、二人がとても幸せそうに笑っているんだから、そうなんだ。
車に乗る時も、乗ってからも、二人はずっと手を繋いでいた。オレはそれを見て笑って、そしてやっぱり少しだけ泣きそうになった。





もらった花は、チューリップともバラとも違う、花びらがたくさん付いたかわいい花。
白くて可憐なその花が、吹いた風に少しだけ揺れた。



























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年を取ってもずっとラブラブでいてほしいな、と思っていて、そしてそういう話をいつか書けたら、と思っていたので。
だからって、こんなしんみりする予定ではなかったのですが。

坂本真綾さんの「A Happy Ending」がテーマソングでした。大好きな歌。

「志波勝己誕生祭09投稿作品 お題:バイバイしなくてもいいんだね」
by aika