待ち合わせ場所には海野一人が立っていた。目が合って、にこりと笑う顔を見て俺もつられて笑った。
それにしても今日は冷える。ダウンジャケットを着込んできてもまだ寒かった。


「悪い、待たせちまって。…針谷は?」
「ううん、平気。今来たばかりだから…それと、ハリーは来れないって」
「…そうなのか?」


今日の「初詣」はそもそも針谷が言いだした事だ。西本と海野も一緒だから俺も来いとメールが来たのだった。
もちろん、海野が来るなら俺には断る理由はないのだが。家にいてもどうせ暇だし。


「まさか風邪…なワケないよな。アイツに限って」
「うん。正確には遅れるから先に行ってって事だったんだけど。…『ゆくとしくるとし』観てからでないと落ち着かないんだって」
「……なんだそれ?」
「あとね、はるひちゃんの方は風邪ひいちゃったらしくて…折角のお正月なのにかわいそうだよね」
「あぁそれは…」


知っている、と頷きかけて、俺はある事実に思い当たる。なんだ、どういうつもりだアイツら。
西本の風邪の話は聞いている。本人から直接電話が来たからだ。何だか妙にワザとらしい咳きをしながら謝っていた。
おまけに最後に「ほな、二人で楽しんできて!ゲホゲホ」と言っていた。それと針谷の取って付けたような理由。わかりやすすぎる。
俺は自分の気持ちをアイツらに話した憶えはないが、そんなにわかりやすかっただろうか。どうでもいい奴らは二人も気付いているのに目の前の本人には何故少しも伝わらないのだろう。謎だ。


「遅れるっていうから待ってるって言ったらハリー怒るし…ワケわかんないよ」
「そりゃ酷いな。…まぁ待たなくてもいいなら、行くか」


そう言って海野に向けて手を差し出す。それくらいの事は、俺も自然にするようになった。そして海野も迷いなくその手を取る。
それくらいの事は、自然にできる仲ではあるのだ。
小さな手は、冷たかった。「今来たばかり」なんて、本当は違うんだろう。


「悪い、こんな事なら迎えに行けば良かった。寒いし、こんな時間だったのに」
「いいよ、近いんだし。それに、初めは4人だったしね、誰かいると思ってたから」
「じゃあ明日は家まで迎えにいく」
「明日?何かあったっけ?」
「一月一日になってからの初詣。…予定あるか?」
「ううん、ないよ。でも、一緒に行ってもいいの?」
「ああ。…お前が良ければ」
「うん、じゃあ明日また一緒だね!」


断られなかったことに心底安堵する自分に少し笑いたくなる。「明日また一緒」という言葉がくすぐったかった。明日どころか、一日でも一分でも離れたくないと俺は思っている事を、
こいつが知ったらどうなるだろう。
海野と二人でいると、ずっと一緒にいたいとか、時間が止まればいいとか、そういうバカげた非現実的な事を柄にもなく考える。今までなら鼻で笑っちまうような話だ。

「恋は人を変える」とはよく言ったものだ。あれはどうやら本当らしい。少なくとも、俺は変わった。


今日来たところは、いつも初詣に行く所よりももう少しこじんまりとした神社だ。小さいと言っても割とちゃんとしているし、何より近い。
こんな時間、と思ったが、参拝客は結構たくさんいた。鳥居をくぐると境内までずっと列が続いている。さすがに神社だからなのか、その列は誰に言われるでもなく整然としたものだった。


「あっ、しまった!」
「どうした?」
「鳥居をくぐる時、一礼しなきゃいけないんだった、ハリーが教えてくれたのに」
「…そうだったのか。俺も知らなかった。…あいつ、そういうの詳しいのか?」
「うん。『せっかくの初詣だから、オレサマが正しいお参りの仕方を教えてやる!』って言って教えてくれたの。おばあちゃんが教えてくれたんだって」
「なるほど」


そういえば掃除の仕方でも色々と言っていた気がする。『ゆくとしくるとし』といい、つくづくロックなイメージからは遠いヤツだ。…嫌いじゃないけれど。
どこからか除夜の鐘が聞こえる。あぁ今年ももう終わるのかとぼんやりと思った。大晦日だとか正月だとか、俺は針谷ほど意識して生活はしていないけれど、それでもやっぱりどこか背筋が伸びるような気持ちになる。
大晦日と正月はやはり特別な日だ。
そういう日に、お前と一緒にいられて良かったと、隣の海野をちらりと見る。神社の少ない灯りの中では、いつも見る感じとは違って見えた。薄暗がりでもわかる薄赤い頬は、つめたそうだ。


「それにしても混んでるねぇ…意外と」
「ああ…大丈夫か、海野」
「何が?」
「お前、小さいからな。迷子になったらどこにいるかわからなくなる。一緒に帰れなくなるぞ?」
「も、もう!そんな小さい子みたいな事、ならないもん!」
「どうだか。…手、離すなよ?」


といっても、俺が離すつもりがないのでそういう心配はないわけだが。海野は俺と手を繋いだままぷぅっと頬を膨らませた。


「もう、志波くんはスグ私のこと子供扱いするんだから…」
「子供みたいな事するからだろ」
「そんなのしないもん、私」
「そうやって拗ねるのは子供みたいって言わないのか?」
「うぅ…、こ、これは、違うの!志波くんがからかうからだもん!」
「ほら、そうやって人のせいにするのも子供だ」
「もうー!志波くん!…って、うわ!」


ぐらりと傾ぐ海野を、俺は慌てて支える。こうやって何もないところで転びそうになるのも子供っぽい…というか子供だってあんまりないんじゃないかと思ったが、これ以上は言わずにおいた。
せっかく二人なんだ。ふくれているのもかわいいけれど、出来れば笑っていてほしいから。


「ご、ごめんね志波くん…」
「いや、平気か?」
「うん。ありがとう」


ほらやっぱり。笑っている方がずっとずっといい。
それは別に、俺だからそういう顔をするわけじゃない事はよくわかっているつもりだ。それでも嬉しかった。こんな寒空の下でも、一時寒さを忘れるくらいにはあったかくなれる。
……本当に。イカレてるな、俺。


「…そういえば、志波くんあったかそうなの着てるね」
「そうか?…まぁそれなりにあったかいけど」
「私もダウンジャケット着てくればよかったなぁ…普通のコートだとちょっと寒い」


そういって、両腕をさする海野が着ているのは確かに「普通のコート」で、けれど特別寒そうな格好というわけでもない。首元には薄いピンクのマフラーが巻いてある。


「そういえば一回ジャケット着ていくの忘れて志波くんに怒られたことあったよね〜、あはは」
「あれから風邪ひいたよな、お前。だから言ったのに一週間も寝込んで…心配した。笑い事じゃねぇ」
「だ、だって遅れそうだったから…ごめんなさ」


い、と最後まで言い終わらないうちに、くしゅんっと小さなくしゃみが聞こえた。思わず振り返ると、海野は慌てたように「へーき!」と開いた方の手を振ってみせる。
俺は小さくため息をついた。別に格好についてじゃない。(それはこれ以上厚着のしようがないだろう)まだ平気だと言って強がることについてだ。
薄い恰好で出掛けた時だって、こいつは平気だと言った。それから風邪をひいて一週間も寝込んでからは、俺は海野の「平気」は信用しない事にしている。


「俺のジャケット、貸してやる」
「ええっ、ダメだよ!志波くんが寒いじゃない!」
「お前が寒いよりはいい。それに、俺は風邪なんかひかねぇ」
「ひくよ!と、とにかくダメっ!志波くんが寒い思いしてまで、私、あったかくなくていいから!」


怒ったみたいに言う海野に、俺はそれ以上は言わなかった。こうなると、こいつは絶対に俺のジャケットを受け取りはしないだろう。
それに、確かに海野が寒いよりはいいが、さすがの俺もジャケットを渡したら確実に風邪ひきそうだ。今日はそれくらい寒い。


「……なるほど。要は俺が脱がなきゃいいわけだ」
「え?どうしたの?」
「海野、こっちに立てよ」


繋いでいた手を離して、不思議そうな顔をする海野を俺の前に立たせる。それから、自分の着ているジャケットの前を開けた。
それから、そのまま後ろから腕を回した。丁度、ジャケットの中に海野を包み込む要領で。


「え、えっ?し、志波くん!?」
「これならいいだろ。…まだ寒いか?」
「さ、さむくはないけど…ちょ、ちょっと恥ずかしい」
「我慢しろ。別にいいだろ、どうせ誰も見てやしねぇんだから」
「それは、そうだけど…」


じっとして動かない海野は、驚いたらしいが嫌ではないらしい。腕に感じる小さな体は確かに冷たくて、廻した腕にもう少しだけ力を込めた。
鼻先を掠めるどこか甘い匂いが(そしてそれは海野の匂いだと、俺は絶対に間違えない)、距離の近さを嫌でも意識させる。
時間が止まればいい、ずっとこのままならいい、そんなバカげたことを、俺はやっぱり考えてしまう。
離したくない、傍にいたい、そんな事ばかりを。


「志波くん、寒くない?大丈夫?」
「ああ。こうしてる方があったかい」
「ほんとう?」
「ああ」
「そっか……うん。私もあったかい。ありがとう、志波くん」


何も知らない海野は俺の方を見て笑った。本当に暢気なヤツだ。少し動けば簡単に触れられる距離なのに、そんな無邪気に笑うなんて。


「ねぇ志波くんは何をお願いするの?今日と明日と行くから二回お願い出来るよ!」
「それ、アリなのか?」
「え、ダメかなぁ?」
「さぁ…どうだろうな」
「あ!今、笑ったでしょ!」
「笑ってねぇよ…っく」
「嘘だぁ、ほら笑った!また子供扱いなんだから!」
「くく……悪い。でも、俺は二つも願い事はないからな」
「そうなの?」


もしかして野球の事?と腕の中で俺を見上げる海野に、笑顔だけ返した。こればっかりはさすがのコイツにも教えられない。
野球は自分の力で何とかするから神頼みはしない。もちろん「願い事」だってなるべくは自分の力で何とかするつもりだけれど、神様の力も借りれるものなら借りたいのは確かだ。


「あ、もうすぐ12時だ。…今年は一番に志波くんにあけましておめでとうだね」
「そうだな。……おめでとう」





来年もこうしてお前といられますように。
そして、非現実的な想いが、少しは現実的になりますように。












願いは、ただひとつだけ