コイするボクら
(はぁ…、おもーい……)
んしょ、と両手に力を込めて抱えていた楽譜のコピーを抱え直す。
一部一部は大したことはないけれど、部員の人数分となると結構な荷物だ。やっぱり密ちゃんに一緒に来てもらえばよかったかなーなんて考えながら歩いていた。
「あかりちゃん一人だと心配だわ」と密さんは最後まで一緒にって言ってくれたんだけど、練習を邪魔するのも悪くて一人で大丈夫って言って来ちゃったんだよね。
でも、重いし、前よく見えないし……。やっぱり失敗だったかなぁ…。
そんな事を考えながら歩いていたら、どんっ、と衝撃がきて、持っていたコピーをばさばさと落としてしまった。
「わっ、ゴメン!ダイジョウブ!?」
「オマエがぼさっとしてるからー…ほんとゴメンなー」
「あっ、いえ、こっちこそごめんなさい!…あの、本当に大丈夫ですから!」
どうやらぶつかったのは3年生の男子生徒らしい。運動部の人達なのか、みんなそれぞれスポーツバッグを抱えてた。中には拾おうとしてくれた人もいたけど、ぶつかってしまって迷惑かけたのが、
ビックリしたのと恥ずかしいのとで、私はオロオロするばかりだった。
その時。
「海野」
「あ、志波くん……」
耳に届く低い声。同時に安心できるような、そうでないような不思議な感覚。
振り返れば、志波くんが、むすっとした顔して私を見下ろしていた。私がぶつかった相手に「俺がやるから大丈夫です、行ってください」と軽く会釈する。
それから、志波くんは長い足を折り曲げてしゃがみこんで、廊下に散らばったコピーをさっさと拾い始める。私も慌てて同じようにしゃがみこんだ。本当は順番があるんだけど、この際そんな事は言ってられない。
「あ、あの……志波くんごめんね?」
「別に」
「でも、大丈夫だよ?だから…」
「これ、どこ持って行くんだ?」
「え?」
口ごもる私に志波くんは怒ったような呆れたような顔をして、「一人じゃ無理だろ」と、唸るように言った。それから、拾い集めたコピーの束を揃えて抱える。
「で、でも!わざわざ…悪いよ」
「また目の前で落とされるよりマシだ」
「それは……」
「行くぞ、どこ持って行くんだ?」
コピーのほとんどは志波くんが持ってくれて、薄っぺらい残りを私に渡してくれた。「第1音楽室」と答えながら、私は心の中でため息をついてしまう。
また、志波くんに迷惑けちゃったみたいだ。
何だかわからないけれど、志波くんは私のこと、ものすごく鈍くさい人間だと思ってるらしい。面と向かって言われたことはないけど、そんな気がする。
だから人とぶつかりそうになったり、今みたいに荷物が多い時は志波くんはよく助けてくれる。嬉しいことだけれど、ちょっと申し訳ない気持ちもあった。
だって志波くんは、そういう時いつでも今みたいに怒ったみたいな困ったみたいな顔をしてるから。
だからいつも「ごめんね」って謝るんだけど。そうするとますます表情を曇らせて「別に」と言われる。さっきみたいに。
(嫌われて……は、ないと思うんだけど。たぶん)
どうしてかなぁ、と、先を歩く志波くんのおっきな背中を見ながら歩いていた。
抱えた紙の束は思ってたよりも重量があった。これを海野一人で運ぶのは、やっぱりどう考えても無理がある。
(どうせ一人で出来るとか何とか言ったんだろ)
変な所で一人で頑張ろうとして、だからこんな危なっかしい目に度々遭うんだろうな、と俺はひっそりため息をついた。
それにしても、見かけた時から心配だったが、やっぱり追いかけて来て良かった。もう少し早く着けば支えてやれたのにと思うと少し悔しい。
ぶつかったのが、何人かの男だったから、少し心配だった。というか、単に俺が嫌だっただけだ。俺以外の男が、こいつに関わるのは気分の良いもんじゃねぇし、
出来れば誰とも関わらせたくはない。もちろんそれが無理な話だっていうのは良く分かっている。でも、わかっていても、嫌なものは嫌だ。
海野に関して、いつのまにそんな風に考えるようになったか、あまり良く憶えていない。でもとにかく、気になって仕方無い存在である事には違いない。
しかも、そんな風に気にしているせいだからなのか、コイツはしょっちゅうあちこちにぶつかったり引っ掛けたり、とにかく危なっかしいったらないのだ。
普段、海野の姿が見えない時は心配でどうしようもない。もういっそ一日中横に張り付いていたいくらいだ。
だが、そのくせ本人を目の前にすると、俺はどういう顔をしていいかわからなくなった。気恥しいのもあってつい顔をしかめてしまうのは癖だが、その度海野がしょんぼりするのを見ると、
そんな態度しか取れない自分を殴ってやりたくなった。
守ってやりたいし、笑ってほしいならこっちが笑えばいいんだろうが、それが出来ない。
それに、コイツは誰にでもにこにこするし、でも俺には謝ってばかりだし。さっきだって。
「悪いからいい」なんて、そんな風に遠ざけられたくない。「ごめんね」だなんて言わなくていい。
俺はお前だから助けてやりたいっていうのが、どうして伝わらないんだろう。
(……何考えてんだか)
いい加減、自分の考えの身勝手さに呆れた。そんな、想っているだけでうまくいくわけはない。何せ、相手は海野だし。
「あ、ここまででいいよ、ありがとう」
気付けば、もう音楽室の前だった。中まで持っていかなくていいのかと訊くと、「大丈夫だよ」と海野は笑う。
中に入れば、手伝ってくれる部員もいるだろう。俺は抱えていた紙束を、なるべくそうっと、負担をかけないように海野に渡した。
「気を付けろよ」
「うん。……えっと、いつもごめんね、助けてもらっちゃって」
「…いや別に」
ああ、また。
申し訳なさそうな顔をする海野に、俺はどうしてか胸が痛くなる。
別に感謝されたい為にしてるわけじゃない(むしろ自分の為だ)。けれど、そんな顔、させたいわけじゃないんだけどな。
何となく離れがたがったが、ここにいる理由もない。「じゃあな」と背を向けたところで「志波くん!」と声を掛けられた。
「あ、あのね…」
「…何だ?」
「ええっと…ううん、やっぱり今はいいや。……夜、電話してもいい?」
「電話?……別に、かまわねぇけど」
「うん、じゃあ、その時に!ありがとう、またね!」
「……おう」
今度こそ音楽室の中へとはいって行った海野を見送ってから、俺も廊下を歩きだす。今日は晩飯食ったら、さっさと部屋に引っ込もう。そんな事を考えながら。
何の用事か知らないけれど、誘えそうなら、誘ってみようか。本当の気持ちは、まだ言えやしないけど。
心なしか歩調が速くなる。俺は、今、自分の口元が緩んでいる事にしばらく気付かなかった。