オマエ限定。





「………った…」
「おい、まだじっとしてろ」


頭に当てた保冷剤を動かそうとする海野に、俺は軽く睨んだ。

修学旅行、二日目の夜。男子の部屋に遊びに来た海野は、一緒になってまくら投げをしていたのは良かったものの、
教頭の見回りから逃れる為に隠れた襖の角に、思いきり頭をぶつけたのだった。
ごん、と割と凄い音がしたから何だったのか思えば、部屋が明るくなって一番に飛び込んできたのは、頭を押さえてうずくまっている海野の姿だった。

正直、肝が冷えた。野球をやっていた頃、チームメイトが怪我したのを目の当たりにした時の、あの何とも言えない焦燥感と喪失感。あれに似てる。

本人は例によって「大したことないよ」とへらへら笑っていたが、俺は何となくそれに腹が立って、保健医の先生の所までこいつを連れて行ったのだった。
しかし、実際のところはやはり大した事はないらしく、打ったところも目立つような箇所ではないし、ということで保冷剤だけ渡されて今に至る。
それでも、しばらくはじっとして安静にするようにと言われ、そして俺はそのまま離れるタイミングを失い、今も海野の傍に居座っている。
俺がこうしていつまでも傍にいると、海野は部屋に帰れない(それは俺も同じ条件だが)わけだが、それでも俺は動かなかった。

大体、コイツはいつも危なっかしいったらない。学校でもつまづいたり、ひっくり返りそうになったり、まるで子供だ。
まったく、小学生だってもうちょっと注意して動くんじゃないか。


「…志波くん」
「なんだ?」
「あの……怒ってる?」


眉をハの字にして見上げてくる海野は、何だか親に叱られた子供みたいな顔をしてる。
……そんな顔して、俺にどうしろっていうんだ。
俺は盛大に溜息をつく。


「別に怒ってねぇよ」
「ほんと?」
「……怒ってねぇけど、大した事ないだなんて簡単に言うな。こういうのは甘く見てると怖いんだ」


目立たない所にたんこぶ作ったくらいで済んでまだ良かった。傷になんてなったらどうするんだ。お前は女なんだから、そういうのは困るだろう。
いや、万が一傷が残っても、俺は別に気にしたりしない。……女だからって言うのは、関係無いかもしれないけど。でもやっぱり無駄に傷があるよりは無い方がいいだろうし。
………まぁ、そんな事、俺が考えても仕方無いよな。
だいたい、俺が怒ってるかどうかなんてのは今はどうでもいい事だ。お前はもう少し、自分の心配をしろ。

言いたい事は色々あったが、うまく言葉に出来なくて、俺は唸るように一言返すので精いっぱいだった。そもそも、俺はどうしてこんなに苛立っているのだろう。
そんな俺の気も知らず、海野は「ごめんなさい」とは言ったものの、ちょこんと首を傾げて不思議そうに俺を見る。


「でも、最近発見したんだけど、志波くんは心配症だよね」
「………はぁ?」


何、言い出すんだコイツ。俺は別に心配症なんかじゃない、と言い返そうとして……、けれど、はたと気付いた。


いや待て。俺は確かにコイツの心配している。現在進行形で。


「なんか、私、普段も志波くんによく怒られたり助けられたりすると思うんだけど…だから意外に心配症なんだな〜って」
「……………」


言葉が出てこなかった。
俺自身も今の今まで気が付かなかったが、そういえば俺はどうしてこんなに海野を心配するんだ。
こいつはそそっかしくて、よくドジするけど…、だから俺はその度にため息ついたり呆れたりするわけだけど。

……………それって、俺が心配症だからなのか?


「志波くん……えぇっと、やっぱり怒ってる?」


黙ったままの俺に、海野は心配そうな目を向ける。いつもの、真っ直ぐな眼差し。そうして向けられる掛け値なしの信頼がいつも心地よかったのは確かだ。
それを裏切ることは出来ないと思ったし、出来るなら応えたいと思ったのも間違いない。


けれど、「守ってやりたい」なんて、いつのまに考えていたのだろう。
その為に、傍にいたいだなんて。


「………あの、本当にごめんなさい。そうだよね、私、もっと気をつけなきゃいけなかったのに……」
「あ、いや。その、そりゃそうだが。違う。別に、怒ってるわけじゃなくて」


突然の自覚に、まともに顔が見られない。こんな時、感情が表に出にくい自分で良かったと心底思った。


(そうか。コイツの事、俺は)


正直驚いた。こんな風に自覚するとは予想外だ。自分以外の誰かを好きになるだなんて思いもしなかった。


(でも、そうか)


けれど、思っていたよりも全然悪くない。嬉しい、とは少し違うけれど、似たような感覚が内側にじんわり拡がる。


良く分からないが、すごく気分が良い。


「…………そろそろ戻るか。もう大丈夫だろ」
「うん。付いててくれてありがとう志波くん」


俺を見上げて笑う海野の頭に手を乗せる。保冷剤をあてていた所は、ひんやりと冷たさが残っていた。
指先に、神経がいった。手の平に感じる柔らかな感触。
ああ、やっぱり間違いない。


「えっと、これからは志波くんを怒らせないよう、気を付けます!」
「ああ、そうしてくれ。……俺も、気を付ける」
「え?志波くんがどうして気を付けるの?」


きょとんとした顔で見てくる海野に、俺は口元だけ笑って見せた。
まぁ、それはそうだ。自覚した以上は俺も気を付けなきゃいけないだろう、色々と。
けれど、それは今は言わないでおく。


「……俺は心配症だからな」






ただし、お前限定だけど。