幸せな時間







朝が、こんなに満ち足りた時間だというのは、最近知った。


(ん……)


ゆっくりと浮上する意識。外から差し込む光に、部屋はぼんやりと薄明るく、慣れない目には少し眩しくて、志波は目を細める。
体の向きを変えようとして、けれども動かせない腕に、志波は視線を移した。そして、そこに在る重みに気付き、小さく微笑う。
自分の腕を枕にして眠る大切な、愛おしいひと。腕は少し痺れて痛いけれど、そんなのはちっともかまわない。
腕や、胸の片側から感じる体温も、小さな、健やかな寝息も、寄り添ってくる重みも。
それら全部がいつも隣に、すぐ傍にあるという安心感と幸福感に、志波は時々泣きそうになる。幸せなのに泣きたくなるなんて、笑われそうだから言った事はないけれど。

彼女はまだ目を醒まさない。今日みたいなのは割と珍しい。普段は彼女が先に起き出して、朝食の準備をしてしまってから自分を起こしにくるから。
家にいる時はゆっくりしてほしい、というのが彼女の口癖で、だから、志波は家にいる時はほとんど何も手伝う事が無いし、逆に、彼女はあまりじっとしている事がない。
自分の為に一生懸命な彼女を思えば、夜ゆっくり休ませてやらなければいけないと、頭では思うのに、結局昨日はそれを実行出来なかった。いや、今までもそうしてやれた事はあまりない。
比べれば確実に自分の方が体力があるに決まっているし、掛かる負担を思えば、彼女の方が疲労するのは目に見えているっていうのに。いつまでもガキみたいに求める自分に呆れる。


「ん……あれ…?」
「……おはよう」


気だるげな声を出すあかりの髪を一房掬いあげれば、彼女はくすぐったそうに肩を竦めた。
ふわりと、甘やかな空気が揺れる。


「おはよう。えっと……今、何時だろ?ずいぶん寝ちゃった気がするなぁ…」
「そうだな、よく寝てた」
「時計とけい……うーんと…え?うそっ!もうこんな時間だったの!?もうすぐお昼じゃない!!」


慌てて飛び起きようとするあかりを、けれど、志波は捕まえて、引き込んだ。閉じ籠めるようにして抱きしめる志波に、あかりは抗議の声を上げる。


「ちょ、ちょっと勝己くん!私、朝ご飯…って、もう遅いけど、用意しなきゃ。離して?」
「いやだ。別に、朝メシはいらない」
「ダメだよ!ちゃんと食べなきゃ…お腹、空いてるでしょ?食事抜くなんて、良くないし…」
「じゃ、自力で抜け出せばいい…出来るなら、な?」
「もうっ、ふざけてないで離してってば!」


ぐいぐいと胸を押されるけれど、もちろんこれくらいの力で負けたりはしない。
だから、突っ張ってくる腕を掴んでしまっていくつかキスを落とすくらいは簡単だった。ますます暴れるあかりに、笑いが堪え切れない。


「じゃ、朝メシはお前で」
「なっ……ななな何言ってるの!?そんなのダメに決まってるでしょっ!勝己くんのオヤジ!ヘンタイ!!」
「別に一食くらい抜いたって構わない。ちなみにオヤジでもヘンタイでも構わないぞ、俺は」
「わぁぁああん、もう!開き直ってる!信じられない!バカ!」


押したり叩いたりしてくるあかりを、もう一度、志波は腕に抱きしめる。
今度は出来る限り、優しく。愛を込めて。


「悪かった。もうしない。今日は、お前の言うとおりにするから……だから、もう少しだけ、このまま」
「かつ…み、くん」


おずおずと廻される腕に、また少し泣きそうになる。ただそれだけなのに、体中が満たされていく感覚。


「…じゃあ、本当に、あとちょっとだけだからね?」
「あぁ」
「それで、早めにお昼食べて…買い物、一緒に来てくれる?」
「わかった」
「あと、アンネリーも寄っていい?お花、かわいいのがあったら買いたいんだ」
「いいぞ」
「それから…ええと……えっと」


こっそりと、耳打ちするみたいに言われた言葉に、志波は笑みを深めて「もちろん」と答えた。
朝が、こんなにも幸せな時間だと、最近知った。キミが隣にいて、二人で朝寝坊出来る幸福な朝。





――「今日は、ずっと一緒にいてね」