「……雨、止まないねぇ」
外は、まだ雨が降っている。
今日は、志波くんのお家に遊びに来ていた。高校生の頃はあっちこっち色んな所に行ったし、それは今でも行くのだけれど、お家に遊びに来る回数は卒業後の方がずっと多い。
というのも、志波くんは今、大学の寮に入っていて、だから実家に戻ってくるのと同時に私がお邪魔するという機会が多くなっているから、だったりする。
「何もないから退屈だろ」なんて、志波くんは言ったけれど、そんな事、考えたこともない。どこでだって、志波くんと会えるのは嬉しいもの。
「志波くんといられるならどこだっていいよ」と言ったら、彼はほんの少しだけ驚いたような顔をしてから、嬉しそうに笑ってくれた。私の、大好きな笑顔。
「……それにしてもよく降るねぇ」
ぱらぱらと、水滴が屋根や窓ガラスを叩く音がずっと途切れない。結構強く降っているみたいだ。水の粒がいくつも付いた窓ガラスの向こうは、低い灰色の空が見える。
一緒に観ようと借りてきたDVDは、噂ほどは面白くなかった。(志波くんに至っては寝ていた。別に気にしないけど)ただ、映像がふわふわきれいで、音楽も好きな感じだからヴォリュウムを抑えて流している。
買ってきたフルーツタルトも、あとは志波くんのおばさんが焼いてくれたシフォンケーキも、あらかた食べてしまった。私も志波くんもお腹いっぱいになった。
部屋中、ケーキの甘い香りが立ち込めていて、まるでお菓子の家みたいだと、ぼんやり思う。お菓子の家なんて、実際行った事はないけれど。
「………タイクツだな」
「そう?」
「そうだろ。お前さっきから雨の事しか言ってないぞ」
くくっと可笑しそうに笑う志波くんの言葉は、確かに少しばかり図星で。でも、見透かされているようなのが何だか悔しくて、私はむぅ、と頬を膨らませる。
何故かわからないけど、私は志波くんに隠し事が出来た試しがないのだ。もちろん隠すつもりなんてないけれど、それにしたって何でもお見通しだから、今みたいに時々悔しくなってしまう。
「違うよ。帰るまで降ってたら嫌だなぁって、思ってただけだもん」
「帰りたいのか?」
「違う違う、そうじゃなくて!えっと…そう!静かだし、雨の音が気になるから、つい」
「雨が止んで帰るなら、ずっと降ってりゃいいのに」
「だから…まだ、いたいよ。私だって。そうじゃなくて、ちょっと、時間を持て余していたというか…」
「だから、そういうの退屈してるって言うんだろ?」
「もぉ……志波くん、いじわるだ」
言いながら、それにしてもどうしようかなぁと考えて、ふと、ある事に気付いた。
その思いつきは我ながらナイスアイディアだと思い、何だか嬉しくなってしまう。
「………なんだ?急に、嬉しそうな顔して」
「すること、思いついたの!あのね、志波くんを観察したいと思います!」
「は?カンサツ?」
私の申し出に思いきり怪訝な顔をする志波くんに、この考えがいかに(私にとって)スバラシイかを、頑張ってアピールしてみた。
「あのね、普段一緒に出掛けたりするけど、志波くんの事をじっと見る機会っていうのは意外と無いなと思うの」
「そうか?俺はお前のことよく見てるぞ?」
「それは、志波くんの方が大きいし…だって、私は見上げなきゃいけないから立って並んでると遠いんだもの」
それに、外に出掛けている時に、そんなまじまじと志波くんの事見るなんて恥ずかしいし、というのは黙っておく。
「今なら…ほら、こうしたら目線も大体一緒だし、近いもん。私、志波くんのこと見たい」
言いながら、私は志波くんの事をじっと見た。見詰めるというよりは、本当に観察するみたいに、じっくりと見ると言う風に。
体は、鍛えてるから、余分なものは何も付いてない。太ったわけじゃなくて、もう少しガッシリしたかなぁ、腕とか、私のとじゃ全然違うもんね。前に力こぶ見せてもらった時びっくりした。
目は…奥二重?どうかな?野球してる時はすごく真剣な目付きをしてるよね。睫毛が意外に長いのは、前から知ってる。普段は全然気付かないけど。
あと、周りからは目付き悪いなんて言われることもあるけれど、本当はすごくすごく優しい目をするってことも。これは、私だけの秘密。他の人は知らなくてもいいこと。
今は……ちょっと居心地悪そうだね。目が泳いでる。なんだか、ちょっとかわいいなぁ。
志波くん、知らないだろうけど、高校の時も女の子達に「かっこいい」って言われてたんだよ?今でも、一緒に歩いていたら時々女の子が振り返るもの。
そりゃあそうだよね。こんなにかっこいいんだもんね?顔もだけど、中身だってかっこいいんだもんね?
……考えていたら、何だかドキドキしてくる。良く見なくたってかっこいいのは知っていたつもりだったけど、改めて見るとやっぱり間違いなくかっこいい人だった。
こんなかっこいい人が、私のことを好きでいてくれるって。何だかすごい事だ。私なんて、特別かわいいわけでも何でもないのに。
「……なぁ」
「え?な、なに?」
「黙ったままじっと見られても…な。俺はどうすればいいんだ?」
「あっ、ごめんなさい!そうだよね、見られてる方はタイクツなままだよね」
「……お前は楽しいのか?」
「うん、楽しいよ。……志波くんって、かっこいいなぁって思ってた」
「…………………」
「背が高くて、贅肉なんてどこにも無いし、腕も力こぶが出来るし、髪も、目も、鼻も口も全部、かっこいいんだなぁって、だから……」
だから、こんなにかっこいい志波くんが私のことを好きでいてくれるのは凄く嬉しいのだと言おうとしたのだけれど。
言い終わらないうちに、私の世界は反転した。
雨音が、やけに響く。DVDは、いつの間にか終わっていたらしく音は聞こえない。
でも、それよりも何よりも響くのは、鼓動の音だ。私の、心臓の動く音。
室内の灯りは、私にはかからない。私には志波くんしか見えない。
でも、さっきよりは遠いかもしれない。ううん、どうかな。よくわからない。志波くんの腕が、ベッドのスプリングに伸ばされている分だけの距離。
急に抱きあげられたのは驚いたけど、体はどこも痛くない。こんな時まで、この人はとても優しい。
「悪いが、俺は見てるだけじゃ足りねぇ」
「え、えっと……」
「お前は?……満足か、それで。見てるだけでいいか?」
「わ、たし……」
頭に血が昇ってるみたいで、ぐるぐるする。熱くて、痺れたみたいになって、うまく考えられない。
それでも、そろそろと腕を伸ばしてみた。その手を、彼の手が掴む。それは、びっくりするぐらい熱かった。私と同じくらい、もしかしたらそれ以上に。
志波くんは真面目な顔して、けれどほんの少し苦しそうな顔で私を見下ろしている。
それだけじゃない、距離を支える腕も、私の手を握る、でも私のものとは違う大きなその手も。
やっぱり全部。全部かっこよくて。私はただそれだけで彼を好きなわけじゃ絶対にないけれど、それでも目が離せない。
いとも簡単に私は捕まえられてしまって、もうどこにも動けない。
「見られるだけより、触られる方がいい。俺としては」
「で、でも、今の距離じゃ届かない…でしょ」
「……そうだな、今のままなら、な」
「…でないと、届かないよ」
「……ん?」
「もっと、近くないと………さわれない」
蚊の鳴くみたいな声で、やっとそれだけを言った。体中が心臓みたいで、今にも壊れそう。けれど、私の声に対して志波くんは何も言わなかった。
その代わりに、私の手を握っていたのをするりと離す。そしてそれはそのまま、私の頬に伸ばされて触れた。
それが「答え」で、そして「合図」なのだと私は知ってる。だから、きゅっと目を閉じた。
雨音は、もう私の耳には届かない。