「……こいつは、俺がもらってく」
海野が捕まっていたキャッチにそう言い放ち、小さな手を掴んで引っ張り、その場を離れる。
やっぱり遅れるんじゃなかったと、舌打ちしたい気分だった。いつもは待たせたくなくて(そして待っていたいので)早めに来るのが、今日に限って遅れた。
何となく嫌な予感はしていたが、来てみれば案の定、だ。さすがの海野もキャッチセールスには多少迷惑そうにしていたが、それでも無視はしきれないらしく話を聞いていたらしい。
そんな奴、放っておけばいいのに。
馴れ馴れしく海野に話しかけるキャッチの男にはもちろん、そんな奴にまで気安く笑顔を向ける(例えそれが愛想笑いだったとしても、だ)海野にも腹が立った。
だが、元々俺が遅れたのが原因ではあるから、あまり強くは言えない。何よりも苛立つのは、そんな男に笑うなとは言いたくても言えない関係に甘んじていることだ。
海野にとっては俺は単なる「男友達」だ。しかも、恐らくは大勢いるうちのただ一人だ。(こいつの交友関係の広さといったら、考えただけで頭痛がしそうな広さなのだ)
そんな「ただの男友達」が独占欲丸出しにして、「他の男には笑うな」なんて、言えるはずもない。それくらいの良識は、俺だって持ち合わせている。
けれども、それで自分自身納得がいくかという話は全く別だ。ちなみに、俺にとって海野は「ただの女友達」では決してない。
確かに始まりはそうだったかもしれない。(そう思ってはいるが、もしかしたら始まりからしてもう違っていたのかもしれない)けれど、それはほんの僅かな間だけだった。
好きで、大切にしたくて。けれども、欲しくて、下手をしたら壊してしまいそうな程の気持ちで。
ありきたりな言葉で表現するなら「惚れた」ということになる。
その気持ちは全く偽りなく(そんなものあるわけがない)、そして強く想っているから、時々うっかり本音を漏らしてしまうこともあるが(伝えるのはまだ時期じゃないと思っている)、
海野の、いっそ才能と言ってもいいほどの鈍感さでそれはまだ気付かれていない。
鈍感で、そのうえ天然なのだ。タチが悪い。
だいたい、海野は誰にでもにこにこと笑いすぎだと思う。無邪気でお人良しなのはアイツの良いところで、海野の海野たる所以であると言えるが、それにしたってもう少し警戒心があってもいいんじゃないだろうか。他の男と楽しそうにしているのを見ると、苛々して、野球の練習もままならない。アイツにとっては何でもない事だと、頭ではわかっているが、気になって仕方ない。
海野にとってはどうでも良くても、相手にとってはわからない。気があるかもしれないなんて勘違いされちゃかなわないし、うっかり惚れられでもしたらもっと厄介だ。
出来るものなら、この手を離さずに、ずっと隣にいたい。そして、それは俺一人で充分だ。他の奴になんてコイツの姿を見せるのも嫌だ。
「…し、志波くん。ちょっと待って。もうちょっとゆっくり歩いてもらってもいい?」
「…ん、ああ。悪い」
考え事をして、つい自分のペースで歩いちまったらしい。手は掴んだままだったから、海野は付いてくるのが大変だったろう。
そう、手を繋いだまま。その事に今更慌てて悪かったと思い手を離してから、いや、やっぱり気付かないフリしてずっと繋いでおけば良かったと後悔した。
つーか、何だ。すげぇカッコ悪くないか、俺。
しかし、そんな俺に海野は気付かず、少しだけ困ったように眉を下げてこっちを見上げている。
「あの、ごめんなさい。…志波くん、もしかして怒ってる?私、さっきの人の話をちゃんと断れなくて、迷惑かけちゃって」
「…いや、別に」
天然な海野にしては、珍しく論点が割とズレていない感じだ。けれど、怒っちゃいないし、迷惑とも思わない。確かに少し腹は立ったが、それを今のコイツに言ってもどうしようもないことだ。
本当は、心配なんだと言いたかった。あんなキャッチ男なんてどうでもいいが、それでも、学校で、あるいは俺の知らないところでも、お前は誰にだって笑顔を向けるだろうから。
何よりも、お前の心が誰かに傾いてしまう事を俺は本当に心配してる。こうして「友達」としても傍にいられなくなるんじゃないかって。
喉元まで出かかった本音を何とか呑みこみ、代わりにぽんぽんと海野の頭を撫でる。いかにも「友達」っぽく、けれども最大限に丁寧に。
そうすると、海野はくすぐったそうに、えへへと笑った。俺がある意味「ニガテな」笑顔だ。これを見せられたらもう俺は何も出来なくなる。
「また志波くんに心配かけちゃった。いつもごめんね?これからは、もっとちゃんと気を付けるね」
「いや、俺も遅れたしな。お前のせいだけじゃない。…心配するのだって大した事じゃない」
「…でもね、こんな事言ったら志波くん、怒るかもしれないけど」
「何だ?」
お前はこんなに小さくて、おまけに転んだりぶつかったりドジばっかりしてるくせに、俺を簡単に負かしてしまう。
「今日みたいなことがあっても、私、全然怖くないんだ。だって、志波くんが助けてくれるって知ってるから」
「………………」
「志波くんと一緒なら、怖いことなんて何にもないの」
ほら、こんな風に。俺を簡単に動けなくさせて、捕まえる。
「…………そんな事言ったって、何も出ねぇぞ」
「えへへ、だってホントの事だもーん」
ああもう、絶対にかなわない。
「だから、いつもありがとう志波くん」
「………あぁ」
「それにしても、いくら志波くんが助けてくれるって言っても自分でも気をつけなきゃねー。この間、佐伯くんやハリーにも怒られたばっかりだった」
「………………そいつらにも気を付けろよ」
「え?なに?何か言った?」
「いや別に」