バカップル







今週の初めから風邪をひいてしまった。
たぶん夜、レポートを書いていた時にうっかり居眠りしたのが原因だと思う。本当にバカだ。
しかも、疲れがたまっていたせいもあってか熱は出るし、咳も止まらないというので本格的に寝込んでしまい、家族だけじゃなくて志波くんにも心配をかけてしまった。
今日だって、こうしてお見舞いに来てくれたし…うつしたら悪いから来てもらうのは申し訳なかったけれど(そして、このぐちゃぐちゃな姿を見られるのはちょっと恥ずかしかったのだけれど)、でもやっぱり会えるのは嬉しい。来てくれたのも嬉しい。

……けれど、今ちょっと困ったことになってしまっている。


「いい加減にしろ。子供じゃないんだから」
「だって……キライなんだもん、これ」


顔を顰めて軽く睨んでくる志波くんと、その視線のまともに目を合わせられず困り果てる私の間にあるものは一本の小さなプラスティック製の瓶。
その中にたっぷりと入っている、濃い茶色をした液体。
それは、病院から処方された飲み薬だった。咳が酷い時、私の行くお医者様はいつもこれを出してくれる。
確かに効き目はあると思う。でも、私はこれが苦手だった。だからいつももらってきても自分からは進んで飲むことはない。
きっと、お母さんが志波くんに何か言ったんだ。そうに決まっている。挨拶もそこそこに志波くんはこの瓶を目の前に差し出したんだもの。


「お前だって、早く良くなる方がいいだろ?」
「そうだけど…、だって、これすっごく変な味なんだよ?おいしくないんだもん」
「薬が美味いわけないだろ。…ほら、これだけ飲めば済む話だ。我慢して飲め」


差し出されたグラスには、確かに一息で飲んでしまえる量しか入っていない。けれど、どうしてもそれを受け取る気にはなれない。
だって、嫌なものは嫌なのだ。漂ってくる薬臭い匂いも、あの何とも言えない気持ちの悪い甘さも。
志波くんは、知らないから我慢しろなんて言えるんだよ。
そう思って恨みがましく彼を見上げても、向こうも許してくれる気はなさそうだ。でも、私だって引けない。
そうして睨みあって、どれ位たったろう。志波くんは深い深いため息をついて「わかった」と呟いた。そして、私の目の前に突き出していたグラスを引っ込める。


「お前がどうしてもって言うんなら仕方ねぇ」
「あ、じゃあ飲まなくても……」
「そんな事、一言も言ってないだろ」


そう言って、志波くんはガッシリと私の肩を掴んだ。え、何?どういうこと?


「あ、あの、志波くん…?」
「悪いが、おばさんに飲ませてくれって頼まれたからな。……多少の強硬手段は仕方無いよな」


一瞬にやりと笑った(絶対に、そういう風に笑っていた)志波くんは、薬の入ったグラスに口を付ける。
そして、訳が分からない私を引き寄せた。


「んっ…んんんっ……!」


塞がれたところから、とろりと妬けるように甘い液体が入ってくる。その味はやっぱり好きじゃなくて、そしてそれとは別の震えるような刺激に、私は何とか逃れようと試みる。
けれども、肩と後頭部を押さえる腕はびくともしない。それどころか、離れたと思ってもまたすぐに角度を変えて塞がれる。
何度も触れて、絡みつく甘さに、私は志波くんに掴まって耐えることしか出来なかった。甘ったるくて痺れるような感覚に、体の力が抜ける。


「…ん、ちょ……、やだ。し、ばくん。もう……」
「……ちゃんと飲んだか?」
「…な、なんか、よく、わかんなぃ…」


口唇が濡れてすうすうする感じが恥ずかしくて、私は志波くんの顔をまともに見る事ができない。何となく視線を落とすと、志波くんの着ているシャツをかなり強く握りしめていた事に気付いた。
慌てて手を離しても元に戻るわけはなく、掴んだ部分が皺くちゃになってしまっている。


「ご、ごめんなさい。シャツ、よれよれになっちゃった…」
「気にしなくていい。そんな事より…今、ていうか、いつも思うんだけどな」
「な、なぁに?」
「俺、お前の事が好きだ」


突然降ってくる真剣な声音に、思わず顔を上げる。見上げれば、そこには声と同じように真面目くさった顔した志波くんが私を見ていた。
もう、どうしてこうなんだろう。さっきまで、イジワルそうに笑ってたくせに。
こんな時にそんな事言うなんて、ズルイ。
どきどきと、心臓が早く動いて、顔が熱くなる。ずっと続いている風邪の微熱とは、違う種類の熱。


「きゅ、急にどうしてそんな事言うの…?」
「キスしてたら言いたくなった。…いや、好きだからキスしたいのか。どっちが先かはよくわからねぇけど、…とにかく、好きだ」
「わ、わかったから…、ちょっとだけ離してくれる?」
「……離すと思うか?俺が」
「ちょ、もう、ダメ。風邪うつっちゃう」
「うつせよ。…昔は出来なかったけど、今なら堂々と出来るな」
「そういう問題じゃないの!」
「いやだ、離したくない。…お前のこと、離したくなんかない」



切なげにそんな事を言って、ぎゅうっと抱きしめてくる志波くんはやっぱりズルイ。だってこんなの、私はもう文句の一つも言えない。
だって、私だって、こんな風にズルくてイジワルな志波くんの事、大好きだから。すごく恥ずかしいけど、でも、全然嫌じゃないから。


「…悪い。寝込んでるのに、ちょっとふざけすぎた。でも、薬はちゃんと飲めよ。それで、治ったらまたどこか行こう」
「ううん、元はといえば、私がわがまま言ったからで…ちょっと、びっくりしたけれど」


視線の先に、さっきのグラスの中にまだ薬が半分ほど残っているのが見えた。さっきまでの事を思い出してしまって、さらに体温が上がる。
…私、やっぱりビョーキなんだ、きっと。だってこんなこと、普段の私なら恥ずかしさで気絶出来るくらいの事なのに。
でも、さっきの感覚がまだ体に残っていて何だかフワフワする。残る甘さに、胸が疼く。


「あれ…まだ残ってるんだね」
「さすがに一度に全部はキツイかと思って…何なら残りも飲ませてやろうか?」
「でも、風邪、うつっちゃう」
「俺はそんなヤワじゃねぇ。それとも、一人で飲むか?」
「………イヤ。一人では、飲みたくない。…飲めない」
「じゃあ……仕方無い」


志波くんは、私の体をそっと離した。それから、溶けてしまいそうなくらい優しい声が、耳元で甘く響く。


「…残り半分も、ちゃんと俺が飲ませてやる」


それから私はひどく長い時間をかけて、今までの人生で飲んできた薬の中で一番甘い薬を飲まされたのだった。






それから後日。
志波くんに「薬を飲ませてもらった」おかげかどうかはともかく、私は無事に回復した。
そして私が治った頃に、今度は志波くんが(やっぱり)風邪をひいてしまい、滅多に病院になんて行かない志波くんが、今回は嬉々として病院に行き、「水薬を処方してほしい」とお医者さまに言ったとか言わなかったとか。

お見舞いに行くべきか行かないべきか、私はほんの少しだけ悩んでいる。