家族のあなたにおめでとう―ふりつもる幸福― 試合に負けた日は、自分の力の限界を痛感する。 もちろん、プロとなった今では、学生の頃と同じようなわけにはいかない。試合数だって比べ物にならないし、期間は長い。 だから今日のように、主力を怪我で欠いている場合もあるし、消化試合となれば点数云々よりも次の試合を考えて、せいぜい怪我をしないようにとなる。 良いとか悪いとかじゃない。それがプロの世界だ。ただ闇雲に全力でやっていれば何とかなるような甘い世界じゃない。 それでも、負けるのは悔しい。どうしてもっと打てなかったのか、走れなかったのか、そんな事ばかり考える。 チームの為に、応援してくれている人たちの為に、もっと出来たはずだし、そうでないといけなかったのではないかと、思う。 結局、自分の力なんてたかが知れてるんじゃないだろうか。実際、負けたのだから。 「…………くそっ…」 だめだ、やっぱり、負けた日は何も考えられない。 着替えもしないままベッドに寝転がり、宿舎の白っぽい天井を眺める。敵地での試合で、負けたとしても調子は悪くなかった。それがせめてもの救いだと思うしかない。 天井を眺めながら、思い出すのは家族の事だった。いつもなら、どんなに遅くなっても一言連絡を入れるが、今日はそれが中々出来ない。試合に負けた日はいつもそうだ。 気付けば深夜近い時間だった。もう眠っているかもしれない。もちろん、娘はもうとっくに夢の国なんだろう。 明日、起きてから電話するか、そう思って起き上がった瞬間、携帯電話の着信を告げる電子音が部屋に鳴り響いた。 (……?何だ?こんな時間に……) 遠征に行っている間、こちらから連絡することはあっても、向こうから連絡が来る事はない。それは自分に対する気遣いだと思うし、そもそもいつも自分が先に連絡をするのでその必要はない。 こんな時間にわざわざ電話をしてくるなんて、連絡しなかったのがやはり不味かったのだろうか。それとも、まさか、電話をしなければいけないような何かがあったのか。 嫌な胸騒ぎを否定しつつ、志波は携帯電話を取り上げ、耳に当てる。「もしもし」と言って出たのは、けれど予想していたあかりの声ではなかった。 『もしもし、ぱぱ?』 「…コナミ、か?」 聞こえてきたのは、舌っ足らずな高い声。目に入れても痛くないくらいに愛おしい娘の声。今年幼稚園に入ったばかりだ。 それにしても、こんな時間に起きているのは何故だろう。子供が起きていられる時間じゃないはずだ。 「コナミ、まだ起きてたのか?明日も幼稚園だろ?」 『うん、あのねぇあしたはね、ようちえんだけど、おきてるの。だってねぇ、おめでとうだもんね!けーきの日だもんね!』 「……けーきのひ?」 一体、何の話だろうか。女の子のコナミは割とたくさん話してくれる方だが、それでもちゃんと意味が付いていっているかと言えば、それはまだまだ怪しい。 というか、いつもたいてい何の話かわからない。母親であるあかりとは何故か通じているのが志波には今でも不思議だ。(そして羨ましい) 「…あのなコナミ、少しだけママに代わってくれないか?いるんだろ?」 『うんいいよ。じゃあママにたっちね』 『――もしもし、勝己くん?お疲れさま、まだ起きてた?』 少し大人の、けれどものんびりした雰囲気に、志波はつい笑ってしまう。本当に似たもの親子だな。コナミは俺に似てなくて本当に良かった。 「あぁ…。ところで、どうしてコナミ起きてるんだ?もう遅いだろ」 『ごめんなさい。でも、今日はほら、おめでとうの日だし……ねっ、コナミ!』 「いや、だからそれ――」 言い掛けて、はっと口を噤む。そういえば、今日は何月何日だった? 普段は忙しくて日にちの感覚がなくなる。そして、ようやく思い出した日付とその意味を思い出したのと、娘の声が聞こえてきたのは同時だった。 『ぱぱ、おたんじょうびおめでとう!!あと、いつもがんばっててありがと!ぱぱ、だいすき!!』 『私からも!勝己くん、おめでとう!今日ね、これを言いたくてコナミがんばって起きてたんだよ?』 「………………」 『ぱぱー?きこえてるー?』 『勝己くーん?』 「……あ、ああ、聞こえてる。ありがとう」 どうしよう。とりあえず電話で良かった。震えそうになる声を慌てて誤魔化す。 こんな事で泣きそうになっている父親なんて、格好悪くて見せられたもんじゃない。 そうか、でも、ケーキの日って言ってたのはそれでか。前に誕生日でケーキを買ったら喜んでそう言っていたっけ。 『あのねぇきょうもけーきの日でねぇ、それでぱぱがかえってきたらもういっかいけーきなの』 「そうか、楽しみだな」 『うん、それでねぇ、おばあちゃまたちもけーきかってくれるんだよ、いちごとねぇチョコとねぇどっちがいーい?』 「コナミの好きな方にすればいい」 『ぱぱのけーきだよ?コナミのすきなのでいいの?』 「ああ……なぁ、コナミ」 『なぁに?』 「今日……ごめんな?負けちまった」 『どーしてぱぱがゴメンナサイなの?ぱぱはわるくないよ?がんばってエライエライだよ?』 「……でも、コナミがおめでとうって言ってくれた日だから、勝ちたかった。だから、ごめんな」 『いいよ、コナミぱぱすきだもん。おーえんだもん。それで、はやくかえってきてね、でね、けーきがねぇ……』 どうやらケーキが気になるらしい。一生懸命にケーキの話をする娘の姿が目に浮かんだ。ああ、早く帰りたい。 『――もしもし、勝己くん?ごめんね?なんかコナミ、ケーキで盛り上がっちゃって』 「いや、いい。俺も何か買って帰るか」 『えっ、いいよいいよ!コナミが喜ぶもんだから、お義母さまもうちのお母さんも作るか買うかって張りきってて…ケーキだらけになっちゃうよ!』 「そうか…。なぁ、あかり」 『ん?なに?』 「愛してる」 そう言えば、電話の向こう側でがったん!と大きな物音がした。「ままー、どうしたのー?」と不思議そうな娘の声も。 そういうところ、学生時代と変わらないな、そう思って、志波は笑った。 『い、いきなり、びっくりするじゃない!』 「いつも言ってるだろ?」 『わぁー、もう!!それでも、こ、心の準備ってものがあるの!』 「…終わったら、なるべく早く帰るから。もう遅いから、コナミ、早く寝かせろよ」 『……うん。待ってる。…あ!そうだ!プレゼント、何がいい?』 「じゃあ、お前」 『だ、だからまたそんな事言って……!!』 「くくっ…、それじゃ誕生日プレゼントにはならねぇか」 『もう!ちゃんと答えてください!』 「ははっ、悪い。……でも、別にいらない。もう充分すぎるくらいもらってるからな」 『え?何かあげたっけ?』 「お前たち二人、いてくれればそれでいいんだ。……ありがとう」 お前たちに出会えたこと。きっとそれが、俺が生まれて、生きてきた中での一番のプレゼントだ。 何でもない毎日。かけらも疑うことなく向けられる笑顔。預けられる重みも触れるあたたかさも何もかも、全部。 毎日が、かけがえのない贈り物。 (……くさってる場合じゃねぇな) 軽く伸びをしてから、時計を見る。さっさとシャワーを浴びて寝てしまおう。今夜は、きっと良い夢を見て眠れる。 明日から、また新しい一日が始まる。 |