教えて!恋のタイミング☆



「……ハァ」
「設楽〜。ほら、あともうちょっと。ここまでだから」
「…わかってるよ。ごちゃごちゃ言われると益々やる気がなくなる」

場所は図書室。今日も今日とて、僕は設楽の宿題の相手をしていた。こうやって付き合わないと、本当に真っ白で出すんだから困ったものだ。

「…あいつ、どうしてるかな」
「え?さぁ、昼休みだから友達とお昼食べてるんじゃないかな」
「……お前はお笑いが好きなくせに、発言が全然面白くないな」
「うるさいなぁ、素人が下手に面白い事言おうとする方がサムいんだよ」
「あーつまらない。退屈だ、暇だ」
「暇じゃないだろ、宿題しろって」

設楽が言う「あいつ」というのは僕らの後輩にあたる女の子の事だ。確認はしていないけど、こうして設楽が何かにつけて気に掛けるのは彼女以外には思いつかない。
…と言っても、別に恋愛感情があるわけではない。少なくとも僕にはない。
何故か会ったり話したりする機会があって懐いてくれる彼女を、僕らは妹のように思っている。僕は妹がいないから、そういう意味では(自分で言うのは恥ずかしいけれども)慕ってもらえるのは嬉しいし、設楽なんてそもそも兄弟がいないのだから、珍しさも相まって彼女を構っているのだろう。僕の事を彼女に甘いと言うけれど、僕に言わせれば設楽の方が余程世話を焼いてる気がする。言うとへそを曲げるから言わないけど。

「…あ!やっぱりここにいた!」

紺野先輩、設楽先輩!と鈴が鳴るような声が図書室に響く。振り返れば、噂の彼女の姿。途端、机に突っ伏していた設楽が体を起こした。…ほんと、わかりやすいよなぁ。

「図書室で大きな声を出すな。聞こえてる」
「ご、ごめんなさぃ…でも、二人の姿が見えたから、つい」
「憎まれ口叩いてると、嫌われるぞ、設楽?」
「何だよ、注意しただけだろ。先輩らしく」

はいはい、彼女が来てすっかりご機嫌なんだからね。彼女は僕が貸していた参考書を返しに、わざわざ図書室まで探しに来てくれたらしい。「勉強になりました」と言う彼女は、学年ではトップクラスの成績だ。元々の性格がそうさせるのか、勉強でもスポーツでも一生懸命頑張っている。気配りも出来て人望もある。今からでも生徒会執行部に入部してもらえないかと思うくらいだ。
それから、この容姿。
僕はあまりよくわからないけれど、設楽曰く「確実に垢ぬけてきている」とのことらしい。うん、確かにたまに街で会っても、さりげなく流行りものを取り入れていたりとお洒落だし、ぱっと見た感じ、誰が見てもきっと「かわいい」って言うだろう。

「設楽先輩、勉強進んでますか?」
「こいつの教え方が下手だから、ちっとも進まない」

…よく言うよ、まったく。
溜息をつく僕の横で、そんなことより、と設楽は身を乗り出した。もう宿題はすっかり脇に退けてしまっている。

「そんなことより、お前、例の件はどうなった?うまく進んでるのか?」

例の件、と話を振られた彼女は、一瞬にしてほっぺたを赤くし、それから慌てたように首を振った。

「そ、そんなっ…進むって、別に、なにも…」
「何だ、進展ナシか」
「だ、だって…」

彼女は同じクラスの男に片想いをしている。けれど、中々声を掛けられない、というのが現状のようだった。
結構不思議なんだけど、彼女はこれだけ素敵な女の子なのに自分に自信がなくて、引っ込み思案なところがある。そのせいで、その片想いの相手とも中々仲良くなれないらしい。

「お前な、前に言っただろう?見てるだけじゃ何も進まないって。お前が、どうしたらいいですかって聞くから色々教えてやってるっていうのに」
「そ、それはそうですけど…話しかけるって言っても、どんな事話していいかわからないし…」
「何でもいいんだよ。俺とか紺野と話すみたいなことで。最悪、天気がいいね、でもいい」

妙にエラそうに話す設楽に、彼女は肩を小さくして困ったように眉を下げた。

「そんなの…恥ずかしいし、用事もないのに話しかけるなんて、平くんに変に思われちゃうかも…」

…正直、用事もないのに君みたいな女の子に声を掛けられて喜ばない奴はいないと思うんだけどな、とは、幾度か言ったけど「そんなことないです!」と全力否定されているので、今更言わないでおく。
代わりに、大して目新しくもないが、考え込む彼女に一つ提案することにした。

「じゃあ用事があればおかしくないんじゃないかな。下校時とか、一緒に帰ろうって誘えばいいんじゃない?」
「…ふむ、ベタだけど、まずはそこからでもいいかもな」
「そっ…そんな!い、一緒に帰るだなんて…!」
「別にどってことないだろ。俺や紺野には平気で声掛けるくせに」
「それは、先輩たちだからです。…平くんとは違うもん」
「…おい。別にいいけど、何か引っ掛かるな、ソレ」
「でも逆に考えれば、それくらい特別な事じゃないんだから、気軽に誘ってみればいいんじゃないかなぁ」
「そ、そうですか…?」
「そうだよ。…後は、七島さんの勇気かな?」
「ゆう、き…」
「勇気って言うほどのことか?これくらいでうだうだ言ってたんじゃ、両想い、なんてなれっこないぞ」
「設楽、うるさい」

余計な事を、と思ったが、設楽の言葉に、けれど彼女なりに響くものがあったらしい。決意したような表情で、「わたし、がんばってみます」と小さく言った。…これは、かなり大きな一歩かもしれない。

「だ、だって、このまま平くんと仲良くなれないのはイヤだし…」
「大丈夫、君の話の通りの奴なら、きっとうまく行くよ。ついでにお茶でも誘ってみたら?」
「おい、それはダメだろ。今回は下校までだぞ、七島」
「何でだよ、別にいいじゃないか、その方がゆっくり話せるし」
「バカだな。物事には順序ってものがある。いきなりお茶までがっつくのはダメだ。第一、七島がそうして男を平気で誘える慎みのない女だというイメージを持たれるかもしれないだろ。…いきなりお茶なんて俺は認めない」
「はぁ…そういうものかな?」
「そ う だ」

妙に自信を持って言い切るけれど、そういうものかな。向かいにいる七島さんはじっと僕らのやり取りを見ていたけれど、やがてふわりと花開くような笑顔で「ありがとうございます」と言った。

「上手く出来るか自信ないけれど…わたし、がんばってきますね!」

それじゃあ、と離れる彼女に僕たちも手を振り返す。…出来ればもう少し力になりたいと僕らは思っているのだけれど、どういうわけか、彼女の恋の相手の「平くん」というのがちっとも見つけられないのだった。かなり本気で探してもダメなんだ。というわけで、僕らは彼女の話を聴くしか出来ない。



「がんばれ」と心の中で言ったのは、きっと僕だけじゃないはずだ。


***************


放課後、俺と紺野は、七島の学年の靴箱近くに張り付いていた。
言っておくが、好きでこんな世話を焼いているわけじゃない。俺たちだって、それぞれピアノや生徒会で忙しくて後輩の一人だけに構っている時間なんて本当はない。

だが、俺たちは特に約束したわけでもないのにこうして、こそこそと見張っている。「ねぇ、あそこにいるの設楽くんと会長じゃない?」「何してんの?あれ」「さぁ…?」などという声が聞こえてこなくもなかったが、無視だ、無視。

「…あ、来たみたいだ」

紺野の声を合図に、俺は首を伸ばして靴箱の方を見る。視線の先には早めに来たらしい七島の姿があった。もう今から緊張しているらしく、何だかそわそわと落ち着かない。…本当に大丈夫か?何だかこっちまで緊張してきた。
そこへどやどやと男子生徒が靴箱に近付いてきた。どいつもこいつも没個性的で見分けがつかない。だがそれを見た彼女の様子が明らかに変わった為、あの中に「タイラ」がいるのだと確信する。

「あ…あの!平くん…!」
「え…七島さん?…何?どうかした?」

という、話し声が辛うじて聞こえた。まだ一言声を掛けただけだが、ここまで来ればもうゴールは近いと言ってもいい。まさか七島の誘いを断る男がいるはずないからな。

だがしかし、そう簡単に事は進まない、らしい。

「あ、あのね一緒にかえ…」
「平ーーっ!帰ろうぜーーーっ!」

七島の必死の声を、どこぞのバカが思い切り大声で遮った。ますます靴箱前はわらわらと有象無象が溢れ始める。…ていうか、本当に一体誰が「タイラ」なんだよ!これだけ見ていても見わけが付かないとはどういうことだ。

「ああ、わかった。…と、ごめん。話、何だった?」
「……う、うぅん。何でもないの、ごめんね。またね、バイバイ」
「…?うん、バイバイ」

ばいばい、じゃないだろ!今すぐにでも飛びだして行ってタイラにヒトコト言ってやりたいと思ったが、いかんせんどいつがタイラかわからないままだった。ある意味、恐るべき地味さだ。
残されたのはぽつんと立ち尽くした七島一人。俯いた顔が一体どんな表情をしているか、想像は難くなかった。

「…行こうか」
「あぁ」

そして、紺野の声のトーンからして、今の俺と同じ心情だってことも想像に難くない。
七島さん、と紺野が声を掛けると、やっぱり想像通りの情けない顔をしていた。けれど、心配かけまいと思うのか、その顔を無理やり笑顔の形に歪める。その笑顔が、胸に刺さる。

「や、やっぱり、わたしにはダメみたいです…」
「ダメじゃないだろ。運が無かっただけだ、気にするな」
「そうだよ、また次頑張ればいいじゃないか」

まったくタイラの奴、いつか絶対文句言ってやるからな。俺たちの大事な後輩にこんな顔させてくれるなんて。

「ほら、仕方ないから俺たちが一緒に帰ってやるよ。ついでに喫茶店で今後の作戦会議だ」
「あぁ、それいいね。…さ、行こうか」

促した先のあいつの顔に、少しは笑顔が戻った事にほっとする。俺はレンアイなんてする暇はないし、こいつの事をそういう風に見たことはないし、たぶんこれからも見る事はないだろうが、それでも笑顔が見られるのは嬉しい。



恥ずかしい紺野の台詞を借りるとすれば、「恋する女の子は笑っていなくちゃね」ということだ。




「…ところで紺野。お前、誰がタイラかわかったか?」
「うーん…それがさっぱり…。ていうか、もう誰が誰だったかあんまり憶えてないんだ。人の顔を憶えるのは割と苦手じゃないんだけどなぁ」
「何なんだ、タイラって。…忍者か?」
「まさか」













2011/04/06 ブログより再録