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恋愛ホームワーク
 
 
  
「……」 
「設楽、そこ間違ってる」 
「……」 
「…設楽?聞いてる?」 
「……聞いてない」 
 
物憂げに溜息をつく設楽に、僕はといえば苦笑いを返すしかない。図書室での勉強会(と言っても、僕が教えるばかりだが)で、彼がやる気を見せたことなんてないけれど、今日の放心っぷりは、ちょっと度を越している。 
…いや、違うな。放心というわけではなく。 
 
「…そんなに気になるなら、謝ってくればいいのに」 
「…何のことだ」 
「意地を張るのは結構だけれど、このまま勉強に手が着かないと、卒業出来ないかもしれないぞ」 
「うっ…、嘘つくな」 
「限りなく真実に近い冗談だよ」 
「〜〜っ!俺がどうして謝らなきゃならないんだよ!冗談じゃない」 
 
ふんっ、とそっぽを向く設楽は、それでも明らかに言われたくない事を言われて、困った顔をしていた。…本当、素直じゃない。 
 
「名前で呼ばれるくらい、海外じゃ普通。そう言ってたじゃないか」 
「…あぁ、そうだ!名前だけじゃない、キスもハグも別にどうってことないな!」 
 
おいおい、あんまり大きな声でそういう事を言うなよ。司書さんがこっちを睨んでいる。 
事の発端は、つい昨日のことだ。日曜日、僕らは後輩の女の子と一緒に出掛けた。僕にとってはかわいい妹みたいな後輩、設楽にとっては…たぶん、それ以上の感情を傾ける女の子。 
それに気付いた時、少し意外だった。だって、初めの頃は「うるさいヘンタイだ」と彼女を遠ざけてすらいたのに、何時の間にか、彼女の事をとても気にかけていたから。僕としては大事な友人とかわいい後輩がそうして仲良くなるのは、単純に嬉しいことだ。思えば、設楽も随分人当たりが柔らかくなった。それも彼女のおかげかもしれない。 
…えぇと、話が逸れてしまった。設楽が、彼女の事を「一佳」と名前で呼ぶようになったのはつい最近だ。呼ばれるあの子も嬉しそうにしていたから、かわいいなぁ、と思ってその日も見ていたのだけど。 
帰り道、桜井琉夏に会った。彼は、彼女と同じ学年で、どうやら知り合いでもあるらしい。会った、と言ってももちろん約束していたわけじゃないし、待ち伏せされていたわけでもない。ただ偶然会っただけだ。向こうは向こうで買い物だったらしく、コンビニだかスーパーだかの袋を下げていた。 
その彼が、あのきらきら眩しい金髪をさらりと揺らし、彼女に向かってにっこり笑顔でこう言ったのだった。 
 
「あれ、一佳ちゃん。先輩たちとデート?」 
「うん!一緒にお出かけしてたの。えへへ」 
「へぇ、羨ましい。今度は俺とデートしてよ」 
「え、琉夏くんと?なんで?」 
「なんでも。じゃあね」 
 
この一連のやり取りの間、設楽がどういう顔をしていたか僕はあまりよく憶えていないけれど、とにかく気に入らなかったんだろう、というのは想像出来る。 
何せ、その後の機嫌の悪いことと言ったら。顔を顰めてズカズカ歩いて行くし、彼女が何を聞いても「知らない」「何でもない」の一点張り。まぁさすがに彼女を家まで送り届けるまではしたけれど。 
でも、別れ際に「しばらくお前の顔なんて見たくない」だなんて言うんだもんな。取成そうとしても「お前には関係ない」と撥ねつける。こうなったらもう、何を言っても聞かないんだ。 
 
要するに、焼きもちを焼いたわけだ。焼きもちっていうか…彼女と桜井琉夏は普通に会話しただけなんだから、設楽の勝手な勘違いなんだけど。僕なりに分析すると、恐らく「一佳ちゃん」「琉夏くん」と名前で呼び合い、最後に軽くデートに誘われていた、という点だろう。…つまり、概ね全部気に入らなかったって事になるかな。 
 
今日は一度も彼女に会っていない。普段はしょっちゅう会うのに。 
…あぁ、違った。一度だけ見掛けた。少し遠いところで、どうしようか迷っているみたいだから僕から声を掛けようとしたんだけど、目が合うとぱっと逃げるように行ってしまった。 
あの子はあの子で、普段なら設楽に踏まれても蹴られても(いや、実際にじゃなく、そういう態度って事だよ)めげない子なのに、時々ああして凹んじゃうんだ。まるで、飼い主に叱られた子犬みたいに。 
 
「まったく、大人げないんだからな」 
「どうせ俺はオトナゲナイよ、どっかのお優しい生徒会長サマのように広い心なんて持っちゃいない」 
「そんな憎まれ口叩いている間に、他の男に取られちゃうかもしれないよ?」 
 
それまで鬱陶しそうにシャープペンシルを弄んでいた設楽が、顔を上げた。 
 
「なっ…何だよ、急に」 
「あの子、結構人気みたいだよ。執行部の後輩たちが噂してるの聞いたことあるんだ。二之宮さん、かわいいもんな?」 
「別に、関係ないだろ、そんな事は!」 
 
この反応。わかりやすいよなぁ。 
強がって言い返す設楽の目は、明らかに動揺していた。よし、あともう一押し。 
 
「あんまり意地悪言ってると、名前だけじゃなくて、キスもハグも他の男に取られちゃうぞ」 
「……っ!」 
 
言った瞬間に、設楽の表情が一瞬変わる。途方に暮れた、情けない顔。…あれ、ちょっと言い過ぎたかな。 
でも、あの子は僕のかわいい後輩でもあるわけだから、こういう場合、お灸を据えるのは僕の役目だよな。 
しばらく絶句していた設楽は、不意にガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。その表情は、これだけ言ってもまだ子供みたいなふくれっ面だったけど。 
まぁでも、一歩前進、てとこじゃないか? 
 
「何?どうしたの?」 
「………用事を、思い出した」 
「…そっか。じゃ、気を付けて。戻ってくるんだろ?荷物は僕が見てる」 
「……」 
「あ、ごめん。こういうの、野暮だったかな」 
「フン、気の利かない奴。…まぁ、お前らしいがな」 
「はいはい。…ちゃんと謝るんだよ?」 
「わかってるよ!…って、だから、ちがう!ただの用事だ!あいつを探すわけじゃないからな!」 
「はいはい、そうだった。行ってらっしゃい」 
 
こみ上げてくる笑いを何とか堪えながら、僕は設楽に早く行けと促すように軽く手を振る。…実際、さっきから司書さんがこっちを睨んでいるから早く行ってほしい。 
何だろう、すごく不思議だ。おかしくて嬉しくて、笑いたくなる。何が「嬉しい」のかは、よくわからないけど。 
 
 
 
 
「…ところで、やっぱり俺はもう一度ここに戻って来なきゃいけないのか?」 
「悪いけど、そうしてくれよ。このままじゃ本当に卒業出来ないからな」 
「…………それ、冗談じゃなかったのか」 
「だから、限りなく真実に近い冗談だって言っただろ?」 
「…………そうなのか…」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
2011/04/06 ブログより再録  
 
 
  
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