「うわぁ、真っ暗…」

部室の外に出ると、空はもう夜と言えるほどの暗さだった。時間はまだそれほど遅くはないのに、やっぱり冬は暗くなるのが早いんだなと思う。
風は無いけど空気がひんやりしていて、たちまち体が冷えていくのがわかる。

「悪い、待たせた」

後ろでまた部室のドアが開いて、志波くんが出てくる。ふわりと、志波くんと一緒に部室の温められていた空気が流れだしたのがわかった。

「ううん、鍵閉めるね」
「頼む」
「鍵、返してくるから待っててもらえる?」
「じゃあ、俺が返しに行く」
「え、でも…」

鍵を返しに行くのはマネージャーの仕事なんだよ、と言い掛けた時、志波くんは何かに気が付いたようにふっと笑った。
それから、私の荷物もみんなまとめて担いでしまう。

「えっ、あ、あの…!」
「一緒に行く」
「に、荷物…」
「いいから。…行くぞ」

鍵をちゃんと指定の場所に返し校門を出るまで、私は結局荷物を持たせてはもらえなかった。志波くんは練習で疲れているし、私の荷物だってそんなに軽い物ではないから申し訳なかったのだけど、トレーニングになるとか何とかで、ずっと渡してくれなかったのだ。
校門を出たところで何とかカバンだけは返してもらい、私は志波くんと並んで歩いていた。

「別に俺は気にしない」
「そ、それでもカバンくらいは…。気持ちは、嬉しいけれど」

気持ちは嬉しいけれど、そんな風に優しくされるとどうしていいかわからない。だって荷物を全部持ってもらうなんて、何だか、志波くんが私のことを大切にしてくれているみたいに思えて。
…志波くんはきっと、単純に親切で言ってくれているのだけなんだ。でも変に意識しちゃう。何でもない事でも。

「そ、そういえばもうすぐクリスマスだね!」
「ん、あぁ…そういえばそうか」

勝手にドキドキするのを忘れようとして、無理やりに話題を変えてみる。辺りはすっかり暗いから、凄く遅い時間に志波くんと歩いているみたいだった。
それだけの事でも、何だか落ち着かない。まだそんな遅い時間じゃないし、これはただの部活の帰りなんだから、と、歩きながら何度も自分に言い聞かせる。
帰り道、一緒になっただけだよ。

「クリスマスパーティ楽しみだなー」
「そうだな」
「ごちそういっぱい出てくるしね」
「あぁ」

志波くんがくくっと笑ったのがわかる。前を見ていた顔を少し私の方に向けて、志波くんはおかしそうに言った。

「お前でもそんなこと気にするのか?」
「そんなこと?」
「ごちそうとか…食い物の話」
「え?でも、美味しそうなものいっぱい出てくるし…デザートとかはかわいいし…結構楽しみだよ?」
「そうか…そうだな」

楽しみだな。
やわらかに低い声が、静かにそう言った。

「…一ノ瀬、少し時間あるか?」

もうそろそろ大通りに出るところで、そう訊かれた。クリスマスが近いから、大通りの方は電飾がきらきらしていたり、クリスマスソングが聞こえてきたりとにぎやかそう。

「そんなに遅くはならねぇ」
「うん、平気だよ。…あ、もしかして買い出しとか?何か気になるものあった?」

きっと部活の備品で足りない物があったんだろうと思って、急いで頭の中に思い浮かべてみたけれど、志波くんは笑って「違う」と首を振った。

「そうじゃない。…ちょっと寄りたい所があって」
「…?」
「行こう」

どことは言わず、志波くんは歩き出した。



クリスマスには、それなりに楽しい思い出もある。
クリスマスツリーを飾ったり、リースを作ったり、ケーキを食べて、時々はプレゼント交換をした事もあった。
ある年、お父さんが仕事先からカードを送ってくれた時があって、その時のお母さんの喜びようを私はすごく憶えている。
大きなもみの木にきらきら光る電飾が施されている写真が表面で、お母さんは何度もそれと裏面の手紙とを、何度も何度も見比べていた。大切そうに、胸元で抱きしめるみたいに、両手でそれを持って。
しっかりと暖房の効いたあたたかな部屋の中で。

『すごくきれい!』
『…本当。まるでツリーに星が飾ってあるみたい』

うっとりしたようなお母さんの声が、耳の奥に甦る。
…あの時、お父さんからの手紙には何て書いてあったっけ。



辺りは人でごった返していた。そして皆が、少し上を向きながら夢見るような顔でいる。
そこには、光がたくさんあった。星が、そこらじゅうに降ってきたみたいにたくさん。
ともすれば周りの人にぶつかりそうになる私を、志波くんが支えてくれた。そっと手を繋いでくれたけど、その事にも気が付かないくらい、私は目の前の光景に夢中になっていた。

「すごい…あっ、あっちにツリーがあるよ!おっきぃねぇ…!」
「おい、あんまり急ぐな。ツリーは逃げやしねぇから」

ショッピングモールでのイルミネーションの話は何となく聞いていたけど、こんなにも綺麗だなんて知らなかった。
お店のディスプレイもそうだし、何より広場の中央に大きなクリスマスツリーがあって、それもきらきらと輝いている。

「志波くんも知ってたんだ」
「この間気付いた。…で、お前と見たいと思った」

静かに、でもはっきりと言った志波くんの言葉に胸がきゅんとなる。
私と。こんなきれいなものを、私と見たいって思ってくれて嬉しい。
その日は、いつもと少し違っていた。クリスマスの、あの幸福な雰囲気をいっぱいに感じていて、目の前に広がる光景に、どこか懐かしい思い出も甦って。
志波くんが、どう思っているとか、そんなことは考えている暇もなかった。ただ、私の嬉しいって気持ちが志波くんに伝わったらいいってそれだけだった。
だから。

「うん。…私も、私も志波くんと見れて嬉しい」

ただ嬉しくて、幸せな気持ちで、それが伝わればいい。本当に、ただそれだけ。

「…一ノ瀬」

周りの人は、皆イルミネーションか、あるいはお互い同士しか見ていないから、たくさんの人の中でも、まるで私たちは二人きりみたいだった。
ふ、と志波くんの手が離れる。そうしてやっと、今まで志波くんが手を繋いでいてくれたのだと気付いた。

「あの、志波く」
「…目、瞑ってくれ」
「………え」
「早く」

肩をぐっと掴まれて、視界が陰る。…陰るというよりも、志波くんしか見えなくなる。
ゆっくりと、顔が近付いてくるのが見えた。

「あ、あのっ、志波くん…っ」
「さよ…」
「…っ!」

掠れそうな声で名前を呼ばれた気がしたけど、その時の私は自分の心臓の音しか聞こえない。肩を抑えていない方の手がそっと頬に触れた時、ぎゅっと目を瞑った。
ほんの一瞬、けれど永遠みたいに長く感じたその間。

「………取れたぞ」
「…ほぇ?」
「ゴミ。髪に付いてた」
「…え、えっ?ごみ?」
「もう取れたから安心しろ」

私の髪をさらりと払って、志波くんの手は離れた。自分の心臓の音しか聞こえなかった耳に、遠くクリスマスソングが聞こえてくる。
もう帰ろう、と志波くんが言ったので、私たちはそこから抜け出すようにして歩いた。

「…なぁ」
「…なぁに?」
「…いや、何でも」

さっきからちっとも会話が進まなかった。会話がないのはそれほど珍しいことではないのだけれど、明らかに気まずい感じだ。
その日はいつもと違っていた。私も、…たぶん志波くんも。

「…そういえば、もうすぐクリスマスだな」
「うん」

歩いていると、冷たい空気が頭の中をすっきりさせる。夢ばかり見ていちゃダメだって、さっきまで熱かった頬が冷えていく度思い知らされるみたいだ。
あれは、夢だったのかもしれない。クリスマスには早いけど、プレゼントみたいな夢。

「…あれ、きれいだったな」
「うん」
「いつか、また見に行こう」
「…うん!」





はぐれてしまうからと繋がれた手に、ぎゅっと力が籠る。
その事が、今が夢じゃないと知らせてくれて、そして、例え夢でもかまわないくらいの幸せな気持ちで、私は歩いていた。