「…卒業生代表、立川直人」
「はい!」
今日は、3年生の卒業式。私たち2年生も、在校生代表で出席することになる。
「春は暖かな風と共に、新しい命が芽吹く、力強くうつくしい季節です。そして、この良き日に、私達卒業生の門出を皆さまに祝って頂けることを、とても嬉しく思っています――」
堂々と答辞を読み上げる立川先輩は、普段のおちゃらけた態度とは全然違っていて、中身だけ別人に入れ替わっちゃったんじゃないかと思うくらいだった。
「俺の感動的な答辞で泣くなよ〜!」なんて言ってたけれど、実際に立川先輩が答辞を読み上げる最中、あちこちからすすり泣く声が聞こえてくる。
「――今日、私達は卒業します。大学、社会と、道はそれぞれ違います。しかし、私達は道は違えても、この羽ヶ崎学園で3年間共に学び、親交を深めた絆と、そして、『自由』と『個性』を重んじる羽ヶ崎学園の卒業生であるという誇りと責任を持ち、恐れる事なく、新しい世界に進んでいきたいと思います。――」
最後に、学校の先生や両親に感謝を述べて締めくくられたその答辞は、言い終わらないうちに拍手が鳴って最後の方はよく聞こえなかったけど、先輩はずっとまっすぐ前を向いて晴れやかな表情だった。
それを見ていると、先輩たちは本当に今日で卒業しちゃうんだって、じわじわと胸に迫ってくる。
3月、桜が咲くにはまだ早い、寒い日だったけれど、先輩たちは皆その日卒業した。
「いやぁ〜!あれだな、たまにきっちり制服着ると、肩凝るよなぁ〜!」
「そのまま凝り固まってれば?地蔵のように」
「…え、なに?何でそんな機嫌悪いの、祥子ちゃん」
「祥子ちゃんはねぇ、立川くんに答辞読む役、取られちゃって悔しいんだよ」
「え?だってしょうがないよ〜。俺ってば、とうとう3年間成績トップだったからねぇ〜。若ちゃんに誉められたもんねっ!」
「………貴方に敗北したという事実が、私の心をどんどん歪めていくのよ…っ、何でこんなちゃらんぽらんな奴に…っ!」
「はっはっは!偏差値重視の傾向が見直されてきているとはいえ、やはり数字ではっきり結果が現れると言うのは、人間どうしてもそれを優先してしまうものなのだねぇ〜」
「立川くん、もうしゃべらない方がいいよ。…五体満足で卒業したかったらね」
「しょっ、祥子ちゃん!?ちょ、待った!落ち着こう!その金属バットを一旦置いて落ち着こう!!」
式が終わった後の部室。ささやかだけど、野球部は皆で先輩たちの送別会を開いた。
開いている紙コップにオレンジジュースを注ごうとする千沙子先輩を「おきゃくさまですからっ」と、慌てて止める。先輩はふわりと笑って「何かしてないと落ち着かないんだよね」と言いながらも、ジュースのパックを手渡してくれた。
「千沙子先輩は大学には進学しないんですか?」
「うん、私は保育士になるんだ。募集倍率キツかったけど、気に入ってくれた園長先生がいて…」
「へぇ、倉田先輩だったら良い保育士さんになれそうっスよね」
横から、藤枝くんが話に加わる。手にはお菓子の乗った紙皿を持っていた。先輩が一つ摘んだのを確認して、私の方に向けてくれる。こういう時、藤枝くんは意外に気が回る人なのだ。
「そうかなぁ?これからお世話するのは小さい子だからね。実は不安がないわけじゃないんだけど…」
「まぁ、確かに全然違うでしょうけど…」
藤枝くんは呆れたように溜息をつきつつ、金属バットを持った祥子先輩に追いかけ回されている立川先輩の方をちらりと見た。
「…あの人の相手をしてたんだから、楽勝ですよ、きっと」
「くぉら!聞こえてんぞ、藤枝!!先輩に向かって何てクチの利き方だ!!」
「いいですよ、別に聞こえたって。…あ、そうだ」
紙皿とコップをテーブルに置き、藤枝くんは姿勢を正して立川先輩や、他の先輩部員の方を向いた。それを合図に、後輩たちは皆倣ってきちんと背筋を伸ばして黙りこむ。
「先輩方、卒業おめでとうございます。今まで、お世話になりました。先輩たちが卒業されるのは本当に寂しいし、心細いこともありますが、教えてもらったことを忘れず、来年は甲子園出場、それから優勝を目指します!」
っした!と藤枝くんが頭を下げると、どこからともなく拍手が沸き起こる。立川先輩は一瞬驚いたような顔をして、それから嬉しそうににかりと笑った。
「…『優勝目指す』って、さっすがオトコマエだな!やっぱ部長、お前に任せて正解だった」
「茶化さないでください、俺は本気です。でなきゃ、出来るもんも出来ねぇし…そうだろ、志波!」
名前を呼ばれた志波くんは、皆が一斉に向けた視線に少し戸惑っていたけど、立川先輩に向かってしっかり頷いた。
「…行きます。今年は、絶対」
「…もう、途中で止めんなよ?」
「…やめません」
穏やかに、笑顔すら見せて応えた志波くんに、立川先輩は「よしっ」と笑う。それから…どうしてか、私の方に向き直った。
「さよすけ」
「は、はいっ!」
「今までありがとな。お前、初めはほんっとに何も出来なかったけど、今では立派なマネだもんな。いつも一生懸命やってくれた事、感謝してる。これからも、こいつら任せたからな!」
「わ、わたし…っ」
不意に、野球部に入った頃のことを思い出す。立川先輩に無理やり入部させられたこと、祥子先輩と千沙子先輩にいっぱい助けられたこと、…志波くんとのことを応援してもらったこと。
先輩達に会えなかったら、私、きっとこんな頑張れなかった。全然違う高校生活を送っていた。
(…さびしい)
厳しかった(でも本当は優しい)祥子先輩も、いつも笑顔で励ましてくれた千沙子先輩も、変なことばっかり言うけど、ピンチの時にはいつも助けてくれた立川先輩も。もちろん他の先輩部員も。
もう、学校に来ても先輩たちに会えないんだ。そう思うと、すごくすごく寂しい。
「おっ!?おいおい、どうした?」
「…っく、せ、せんぱ…」
ありがとうございました。きちんと伝えなきゃと思うのに、声にならない。声を出そうとすると、喉の奥から熱いかたまりが後から後からつっかえる。
ぽん、と、頭の上にあたたかな重みが乗った。ぽんぽんと、柔らかな動き。気付くと、何時の間にか隣に志波くんがいてくれた。
「…落ち着いたか?」
「う、うん…」
「なら、続き」
ほら、と、頭を撫でられて、私はもう一度先輩たちの方に向き直る。…あ、立川先輩、にやにや顔してる。恥ずかしいなぁ。
(泣いてばっかりいちゃ、だめ)
さびしいけれど、もう二度と会えないわけじゃない。目の端の涙を拭って、一つ深呼吸。…うん、大丈夫。
「今まで、ありがとうございました。ここまで頑張って来れたのは先輩たちのお陰です。先輩たちとのお別れはやっぱり、淋しいけれど…でも、これからも一人じゃないし、新しい仲間も増えるだろうし…だから、大丈夫です。これからもがんばりますっ」
それからもう一度、皆で「卒業、おめでとうございます!」と言葉を送った。
送別会の後片付けが終わった頃には、もう日が傾いて、世界がうっすらとオレンジ色に染まっている。
「…こっち、確認終わったぞ」
「ありがとう。後は、鍵返せば終わりだね」
部室を閉めて、鍵を返しに行く。卒業式が終わった学校は、何だかいつもと違って見えた。
「先輩たち、卒業しちゃったね…」
「あぁ」
「淋しくなるなぁ…」
「…そうだな」
ひゅうっと風が吹いて、思わず首を竦める。春は近いけど、でもまだ少し寒かった。体が寒いだけじゃなくて、心もすうすうする。もう先輩達に二度と会えないわけじゃないけど、考えるとやっぱり淋しかった。
志波くんが呆れたような、からかうような声で笑う。
「…なんだ?また泣いてるのか?」
「なっ…泣いてないよっ…ちょっと、色々思い出していただけ」
「色々…、そうだな。色々あった、俺も」
その声に、もしかしたら夏の事を思い出しているのかな、と思う。夏、志波くんが、野球部に入った時のこと。
あの時、試合は負けてしまった。先輩たちに挨拶した藤枝くんの言葉を思い出す。甲士園に行って、それから…。
「行かなきゃな、甲士園」
「う、うん!私も、しっかりしなきゃ」
力強い言葉に、心を読まれたのかと思ったけど、そうだよね。そう、思うよね。
志波くんはゆったり歩きながら、まっすぐ、どこか遠くを見ているみたいな感じだった。
「俺…、あの先輩たちのいる野球部に入れて、良かったって思ってる」
「うん」
それは、私も同じだ。皆優しくて、それと、野球に一生懸命だった。
だから、大好きだった。
「…あと、お前」
「へ?」
思わず、志波くんの方を見ると、志波くんは歩くのを止めてこっちを見ていた。でも、表情は影になってよくわからない。
「お前と、会えてよかった」
それは、とても穏やかな声で。何でもないような口調で。でも、だからなのか、初め、意味が、よくわからなくて。
呆けたように立ち尽くす私の頭をぽんと撫でて、「帰るぞ」と志波くんはまた歩き始めた。
「……あ、あのっ!」
「何だ」
「わ、私も…っ、志波くんに、会えてよかった!」
色々、他にもたくさん言葉はあったのだけど、とりあえず言えたのはそれだけだった。
会えてよかった。それに、出来るなら、これからも。
「…おう」
応えてくれた志波くんは、たぶん見間違えでなければ、笑っていてくれたと思う。
先を歩く志波くんを、私はそれから小走りに追いかけた。
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