「志波くん、ね、いるよね?これ、私が触ってる腕、志波くんのだよね?」
「え……俺は誰にも触られてないぞ?」
「えっ…ええぇっ!じゃ、じゃあこれっ!?…う、嘘っ!志波くんでしょっ!?」
「安心しろ、冗談だ」
「も、もおぉっ!そんな冗談やめてよっ」
ますますしがみつく力が強くなるのがわかって、志波は小さく笑った。
毎年夏、遊園地ではお化け屋敷が期間限定でやっているのだが、今年は去年よりも内容が凝っているらしく(針谷曰く「地獄を見る」んだそうだ)、面白そうだと早速来てみたのだった。
志波自身はこういう作り物にはさほど恐怖を感じない。こんなもので驚くような繊細な神経じゃないし、幼馴染がこういうホラー系が大好きでよく付き合わされたおかげで、つい「作品」そのものの出来にばかり目が入ってしまう(しかも相当マニアックな見方をしている自信がある)。
ただし、隣を歩く彼女はそうではない。その怖がりようは、まぁ針谷ほどではないにしろ、普通の女の子らしい怖がり方だとは思う。今だって、時折悲鳴をあげながら自分にぴったりくっついていて、こういう場所でも平然としていられる自分で良かったと心底思う。
こうして堂々とくっついていられるのは、志波としては願ってもない事なのだが、自分からお化け屋敷に誘ったことはない。いくら抱きつかれるのが役得とはいえ、こんなにも怖がるところにわざわざ誘う気にはなれなかった。
それでも、こうして来ているのは何故かといえば、いつだってあかりの方が入りたいと志波を引っ張るのだ。怖いのはわかっていても、どうしても好奇心には勝てないらしい。「志波くんと一緒なら平気」と言ってくれるので、志波はむしろ気分良くお化け屋敷に入ったのだが。
(…元春が来たら喜びそうだな)
さっきから現れるチェーンソーを持った看護婦やら首なしの死体やらをしげしげと眺めつつ、志波は薄暗い中を歩いていた。確かに去年よりもずっと本物っぽくて、臨場感がある。時々聞こえる不気味な声や音も、恐怖心を煽られる。そして、何より長いのだ。もうかなり歩いているが、一向に終わりそうになく、このままずっとここを歩くのだろうかという錯覚しそうだ。
何か出てくる度に一しきり叫んで仕掛ける側の思惑通りに怖がるあかりを支えつつ、ぼんやりと歩いていたのだが、突然目の前で煙のようなものが噴き出して視界が埋まった。さすがに志波も驚いたのだが、あかりはそれどころではなかったらしい。一際大きく悲鳴をあげて志波の手を振り切って走り出した。
「ちょ…っ、おい!」
一瞬彼女を見失いかけてひやりとしたが、煙もすぐに晴れてうっすらと彼女の背中が見えた先に向かって、志波も走った。
そこは少し進路からは外れたところで柱の陰になっている。あかりはそこに腰が抜けたかのようにぺたりと座り込んでいた。キャミソール一枚でむき出しになった肩が小さく震えている。
志波は一つ息をついてから、彼女の傍に膝をついた。俯いたままの彼女の表情は見えないが、想像はつく。
「…大丈夫か」
「……う、…ふぇっ……」
ぐすんと鼻を鳴らして泣いてしまったあかりを、よしよしと抱きしめて背中を撫でてやる。志波が来ているシャツを掴んで泣きじゃくる姿は、まるで小さな子どものそれだ。
「もうちょっと我慢して歩けるか?そしたら途中でも外に出られるから。針谷がそう言ってた」
「やだ…もう歩きたくない…」
ますます力を込めてシャツを握られてしまい、志波は言葉に詰まってしまった。今の体勢は正直嬉しいのだが、だからと言ってここにいても出られないままだ。それは彼女が嫌だろう。
「じゃあ、わかった。ここで、少し待ってろ。係員の人を探してくるから」
「や…やだよ、志波くん行かないでよ」
自分を見上げながら、彼女の口からは震える声が零れる。涙で目元が潤んでいて、そしてその目で縋るように迫られては、ついついそれに魅入って顔を近づけてしまいそうになる、が。
(いや、違うだろ。怖くて泣いてるだけなんだから)
だから違うんだと、必死に自分に言い聞かせる。大体、このシチュエーションも良くない。薄暗くて、人が、いなくて。一刻も早くお互いのために出た方がいい。
とりあえず立とうとして(惜しみつつも)彼女をやんわり離そうとすると、彼女は逆に離すまいとして更に自分にしがみつく。どうしてこんな時にこんなにも積極的なんだと内心困り果てながら、「落ち付け」と彼女にゆっくりと言い聞かせた。
「このままじゃ、どうにもならないだろ?大丈夫だ、すぐに戻ってくるから」
「いや」
「…ここから出られなかったら、お前だって嫌だろう?」
「それでもいや」
それならどうするんだと言おうとする前に、あかりの涙声が鼓膜を震わせた。
「傍に居てくれなきゃ、いや」
消えそうに弱々しい声は、けれど、志波の足を止めるのには充分効果があった。ただし、止めてしまったのは、足だけではなかったけれど。
「わかった。…じゃあ、ここにいる」
志波は、立ち上がろうとしていたのを止めて座り込み、涙が溜まったあかりの目元に口唇を寄せる。それを舐めとるように吸いついてから、柔らかな口唇にも同じように音を立てる。
驚いたあかりが一瞬身を引こうとしたが、彼の腕の中に閉じ込められている(というより自分からしがみついていたのだが)ので、それも叶わない。
「ちょ、ちょっと志波くん…っ?」
「なんだ?」
「な、なにし…っ、んっ…」
反論しようとするあかりに「お前がここにいろって言ったんだろ」と少し意地悪く言いながら、開きかけた口唇をまた塞いだ。その感触は知ってはいるけれど、いつだって胸が震えて簡単には離れられそうにない。
「んぅ…っ、そ、だけどっ…、…っ、」
「お前がかわいい事言うんだから、しょうがない」
「な…!ちが、あれはこわ、くて…っ…んんっ」
「泣いててもかわいいな、お前は」
そう言って、ますます深く口付けられて、怖さよりも恥ずかしさであかりが泣き出すのは、もう少し後の話。
可愛いね、と言いたい