「志波くん」
「…ん?」
「えと、麦茶ここに置いておくね?」
「あぁ…サンキュ」

ことり、と麦茶の入ったコップを置くのと同時に、テレビからは、わぁっと歓声が聞こえてくる。そしてそれを食い入るように見入っている人が、一人。

(…なんだか、お父さんの日曜日みたいだ)

もちろん今日は日曜日じゃないし、志波くんはお父さんじゃないけれど。
今、やっているのは甲士園の決勝戦。去年、志波くんも参加していた大会。だから気になって、そして夢中になってしまうのは仕方ないと思う。
自分の分の麦茶を飲んでしまって、私は志波くんの隣に座ってみる。それから、志波くんの横顔を見た。真剣な眼差し。一瞬も気が逸れないでテレビ画面を見つめている。
いつも通りにかっこよくて、普段ならその横顔をいつまでも見ていられるし、あるいは一緒に試合を見たりするのだけれど。
今日は、少しだけ違う。

「ねぇ、志波くん」
「……なんだ?」
「麦茶、いらなかった?氷、もっと入れた方がよかった?」
「いや、大丈夫だ。…後で飲む」

振り向きもしないでそう言われた。テレビでは、誰かが大声でしゃべっている。どちらも一歩も引かない、名勝負ですね―――。
やっぱり何だかヘン。胸の辺りがすうすうする。すうすう?むかむか?

志波くんの黒いTシャツの裾をちょっと引っ張ってみる。ぴったり横に張り付いて。けれど志波くんは何も反応がない。何度かくいくいと引っ張ったけどダメだった。
次は、腕を組んでみる、勝手に。今度はさすがに、ちょっと驚いたような顔で志波くんが振り向いた。
でもそれもほんの一瞬の事で、志波くんは空いているほうの手で、ぽんぽんと私の頭を撫でる。小さい子にするみたいに。
「もうちょっと待ってろ」って、お父さんが子供にするみたいに。

(…むぅぅ)

違うのに。そんなのじゃないのに。
ああもう。どうしようもなくわがままになって駄々をこねたくなってしまう。頭を撫でてもらうのは好きだけど。
私だって野球は大好きだけど、今だけはなくなっちゃえばいいのにと思う。それか今すぐ甲士園に大雨が降って中止になっちゃえばいい。
瞬間、ぱっとある事を思いつく。バカバカしい事。だけど、考え付いた途端に実行したくなる。
さすがにちょっぴりためらう気持ちもあった。だって、よく考えたらうっとうしいし…すごく恥ずかしい。

でも、今は恥ずかしいとか迷惑かもしれないとか、そんなことよりも私を動かすわがままに乗っ取られている。
そおっと膝立ちになって…後は勢いだ。

「…っ!おい、どうした急に」
「…何でもないです」
「何でもなくて、こんな事するか?」
「だって、志波くんが」
「テレビ、見えない」
「み、見えないように、してるのっ」

それが憮然とした声であったとしても、背中に廻る腕の優しさが許されていることを教えてくれる。
志波くんの首に回していた腕を解いて、私は、自分に出来る精いっぱいの怒った顔を作って志波くんの顔を見つめる。志波くんの正面に飛び込んだ私の背中で、相変わらず高校生たちの名勝負が続いていた。

「きょ、今日はもう、テレビは終わりです」
「…これだけは最後まで観てぇんだけど」
「ぅ…だ、だめ!やだ!」
「やだ?」

志波くんは、試合観戦を妨害されているのに、何だか楽しそうだ。
もう一度、ぎゅっと志波くんに抱きついた。

「…だって、ずっとテレビ見てるんだもん」
「テレビに妬いてたのか?」
「…呆れられても別にいいもん」

向きになってぎゅうっと力を込めたら「別に呆れない」とまたぽんぽんと頭を撫でられる。

「…こ、子供扱いも禁止です」
「へぇ…」
「今からは、わ、わたし以外、見るの禁止」

言葉の勢いのまま、志波くんのほっぺたに口唇を押し付けた。





それからテレビの電源は落とされたので、今年の高校野球の優勝校がどこなのか私たちはまだ知らない。

















思い切って私から