雨がふりやむ、その先で
わたしには、すきな人がいる。
その人は、いつもきづくとそばにいてくれる。大きくて、あたたかくて、やさしいひと。
さんぽをするときもいっしょだし、ごはんを食べるときも、お茶をのむときも、いつもいっしょ。
どうしてかなんてわからない。ただ、わたしはそのひとのそばにいたくて、そしてそのひとはいつもそばにいてくれる。
笑いかけて、手をにぎる。うでの中につつまれる。それだけで、わたしはすごくしあわせになれた。
でもときどき、その人はわたしをおいてよそへいってしまう。そんなとき、わたしはかなしくてさびしくて、いってほしくなくて泣くのだけれど、そんなとき、あの人はこまったようなかおをして、それから、おでこにそっとキスをする。ときどきは、ほっぺたにも。
すごく、ドキドキした。だって、こんなカッコイイ人がどうしてわたしにキスをしてくれるのかわからない。
なまえを、よびたいのだけれど、なんど言われてもわたしはすぐにわすれてしまった。「おしえて」ときけばなんどでもおしえてくれるのに、なんどもわすれてしまう。どうしておぼえていられないんだろう。
……ほんとうは、しっているはずなのに。
だって、すきっていうときはなまえをよびたいんだもの。だから、それまでこの気もちはわたしだけのひみつ。
わたしは…ねぇ、どうしたら、あなたのなまえをおぼえられるだろう。もうなにもおぼえられないなら、わたしはあなたのなまえだけおぼえておきたい。
それと、この気もちだけ。
みんな、わたしをみると必ずなきそうなかおをするの。どうしてかはわからない。かなしそうな、さびしそうなかお。
でも、一ばんかなしいかおを、わたしはしっている。あのひとが、ほんとうにときどきする、さびしそうなえがお。わらっているのに、むねがぎゅうっといたくなる。
ごめんなさい、わたし、ほんとうはわかっているの。あなたがそんなかおをするのは、わたしのせいなんだって。
あたたかな雨みたいなやさしさは、ほんとうはあなたの涙なんだってことを。
まっしろな世界。わたしだけしかいない、わたしもいないかもしれない世界。その中で、あなただけがたしかに存在する。あなたのとなりだから、わたしがいられる。
思い出す。おおきな教会、色とりどりのステンドグラス、まっしろなドレス。誓いの言葉。やめるときもすこやかなるときもあなたは――――。
―――誓います。
しずかな、つよい言葉。はっきりと、頭のなかで響く。
――おまえはな、こんなコトにゼッテェまけるヤツじゃねぇよ!おれはそう信じてんだ!
――たとえ、あかりちゃんが忘れちゃっても、わたしはずっと友だちよ。
――ツライ時は、シバやんがおるよ。がまんばっかりせんでもええから。
――大丈夫だ、お前は独りじゃないから…あいつが、そばにいるから。
――君は、闘っているんだね。彼の為に。
「…大丈夫」
(ああ……私)
ずっとそばにいる。ぜったいまもる。しんじてる。だいじょうぶ。あいしてる。
愛してる。
「俺、お前が好きだ」
どうして忘れていたんだろう。こんなにはっきり聞こえるのに。わかるのに。何時も途切れることなく、私に届けられていたのに。みんなの声も、それと―――。
目をあけると、白い天井がかすんで見えた。握られた手が、あたたかい。それだけで、私は泣きそうになる。知ってる、これは、私の知っている手だ。おおきくてあたたかくて安心できる。
ずっと、ずっとそばにいてくれた大切な人の。
あの時も、そうだった。結婚式の日の夜。こうして手を握ってくれたよね。
「……ちゃんと、おぼえてるよ…」
「…っ、あかり、気が付いたのか?」
――しば…じゃない。か、勝己くん、どうしたの?結婚式、思い出してるの?
――違う。あれは、神に誓ったけど、俺は、お前に誓うんだ。
名前を憶えられるまでは秘密だなんて、ばかみたい。とっくに名前なんて私はおぼえているし、この人は、私の気持ちなんて知っているのに。
…でも、それでも、言ってもいいかな。今更だけど、もう一度。
私の手をつつむ大きな手を、握り返す。私だって、もう絶対はなしたくないよ。
「か、つみくん」
「……あかり、お前」
――ずっと、これから一生傍にいる。絶対、離さない。
「ありがとう。…私も」
哀しくなんてないのに、涙があふれて止まらない。涙で揺らぐ視界に、泣きそうに顔を歪める勝己くんが見える。
お願い、もう泣かないで。もうあなたを独りになんてしないから。
あいている方の手を、必死に伸ばす、これだけは、どうしても言っておかなくちゃ。
「……私も、勝己くんが大好きだよ」
ずっと、そばにいる。
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