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高校、青春真っ盛りな中、俺は手痛い失恋をした。相手は幼馴染だ。再会して、けれどもそいつには既に両思いの男がいた。 
勝ち目なんて初めからない。きっちり玉砕し、今に至る。
  
後味としてはそれほど悪くはなかったし、その失恋のお陰で俺自身成長した(はずだ)と思うのだが、それでも、しばらく恋愛は出来そうにない。いくら爽やかに諦めたとはいえ、傷がないわけではない。そして、その傷は浅いわけではない。
  
まぁ、いいさ。彼女がいなくて差し当たり困った事はないし、友達とバカやって充分楽しい高校生活なのだから急ぐ必要はない。華々しく大学デビューすりゃいいだけだろ。出来る保証はないが。 
そんな風にのんびり構えていたのだが、どうも思惑通りには人生いかないらしい。
 
 
 
 
  
Love asymmmetry〜運命の相手は選べない。
 
 
 
 
  
元々、俺は他人の事なんてどうでもいい。俺でなくとも大半の人間はそうだと思うが、とにかく、見ず知らずの他人の面倒をみてやるようなボランティア精神は持ち合わせていない。 
そう、あれは物の弾みだ。意味なんてなかった。正義感からだなんて笑わせる。見返りすら求めない、ただの疳癪だ。 
あの日、とにかくむしゃくしゃして、虫の居所が悪かった。友達との待ち合わせはドタキャンされるし、どこぞのガキが自分からぶつかっておきながら俺の顔を見て泣くし。その母親は謝りながらも不審者を見るような視線を向けてくるし。何だよ、俺が駅前に立ってたら悪いのかよ。俺を睨む前に、お前が子供の面倒をみろ、てめぇのガキだろが。
  
一発怒鳴ってやりたい気持ちを抑えて苛々しているところへ、そいつはいた。いつもなら気付かずに通り過ぎてしまう風景の一部に、何故か俺は目を止めた。
  
「ね?一度お話だけでも、どうかなぁ?」 
「えぇ〜…でも…」
  
(…なんだ、キャッチかよ)
  
安物くさいスーツを着込んだ胡散臭い男が、懸命に女を口説いている。女っつーか…たぶん同じ高校生くらいだろう。
  
(それにしても)
  
身長は低かったが、そいつは何ていうか…少なくとも「スラっとしている」とか、「華奢な」という表現は全く似合わない容貌だった。…五百歩程譲って、「デブ」という言葉は使わないでやろう。 まぁ、近所のおばさん的言い方をすれば「ぽっちゃりとしてかわいらしい」とでも言えるだろうか。しかし、キャッチなんぞからは真っ先に候補から除外されそうな女だというのに。
  
「でも、友達がそういうのは気を付けないとって…」 
「あぁ〜よくあるよねぇ、わかるよ。でもね、ウチのはそういうんじゃないから、飲むだけで痩せちゃうからね〜」
  
はぁ、なるほど。そういうことね。女というのは、何かと言えば痩せたがる。この体型ならその思いは強いだろう。だからわざわざ狙ったってわけか。 
ていうか、んな簡単に痩せるクスリがあるはずがない。そんなのがあれば、世の中こんなにもダイエット商法が横行するわけない。少し考えれば誰だってわかることだ。 
だが、それがわかればこんな下らない商法が世に溢れるわけもなく。そして、この女はあろうことか、若干キャッチの言う事を信じかけている。おいおいマジかよ。バカにも程があるだろ。
  
「それって飲むだけで本当に痩せちゃうんですか?食べる量を減らさなくても?」 
「そうだよ〜、飲むだけでみるみる痩せちゃうから。…だから、ちょっとそこまで、お話だけでも」
  
にやにやと笑う男の顔が気持ち悪い。どんな邪まな事を考えれば、こんないやらしい笑顔になるんだろうか。…全くの他人事ながら、ちらりと嫌な空想が頭を掠める。お話だけ、って。まぁ、何やかんや丸め込んで、そのアヤシゲなやせ薬を売りつけるのは確実だろうが、本当にそれだけで済むのだろうか。単なるお話だけと見せかけて、実は…みたいな。薄いカーディガンから見える腕は、まぁ中々にリッパなもんだが、その代わり白くてふくふくして…いやいや、何言ってんだよ、俺。これじゃあイヤラシイのは俺の方だろ。
  
「んー、お話だけなら、行ってもいいかなぁ…」 
「そうそう!ほら、オニイサンおごっちゃうし!」 
「えー!ホントですかぁ?」
  
(って、おい!)
  
こんな見え透いた手に引っ掛かるとは、どこまでバカなんだ。あぁあぁ、肩とか抱かれちゃって、何してんだよ!お前ね、奢ってもらったって、どっちが高く払うことになるかっていったらお前なんだよ、金だけで済めばいいけど、それだけじゃない感じアリアリだろ!気付けバカ女!
  
「待てよ」 
「…は?アンタ誰?」
  
気付いたら、俺はそのキャッチ男の前に立ちはだかっていた。後ろ手にゴムマリのような女を庇いつつ。男物の香水の匂いが鼻につく。近くで見てみれば「胡散臭い」の具現化みたいなヤローだ。こんな薄汚い男(というのは俺の勝手な主観だが)がオイシイ思いをするだなんて、そんな腹立たしい事があるだろうか。俺なんて何もしてないのにドタキャンされるわ不審者に見られるわ散々だっていうのに。…あ、すげぇ腹立ってきた。絶対、こいつの思い通りになんてしてやらない。
  
「おいおい。お前いきなり割り込んで来て、一体何なんだよ」 
「…アンタこそ、こいつが合わせてやってるのをいい事に、つまんない押し売りしてんじゃねぇよ。…何売りつけるつもりか知らないけど、事と場合によっちゃケーサツ呼ぶけど?」 
「なっ…」
  
ふん、これくらいで顔色変えやがって。女には調子の良い事言えても、ちょっと言い返したらこんな逃げ腰になるなんて、情けない野郎だ。でも、これならしつこく追いかけてはこないだろう。所詮キャッチなんてやってる奴はそんなもんだ。去る者追わず、なはず。 
ダメ押しとばかりに、まっすぐ睨み据える。
  
「言っておくけど、こいつはこれ以上痩せる必要なんてねーの。わかったら、こいつに二度とちょっかい出すなよ」
  
捨て台詞よろしく吐き捨て、一言も言い返せない男に背を向け、女を引っ張って、その場を離れる。そうでもしなきゃ、こいつもぼさっとその場に立ってそうだったから、仕方なくだ。 
ただ、その腕はやっぱりふくふくと柔らかく、すべすべしていた。
  
「あ…あの…」 
「………」 
「あのぉ、ちょっと、すみません」 
「うるせぇ、もうちょっと歩け」 
「あ、はい…」
  
歩きながら、自分のしでかした事に、今頃になってじわじわと冷や汗が流れる。何ていうか、俺、何してんだ。今更だが物凄く恥ずかしい。何で俺がこんな思いをしなきゃならないんだ、元はと言えば、全部このボケ女のせいじゃねぇか。
  
「…ここまで来れば、大丈夫だろ」 
「…あの、どうしてあんな事したんですか?」 
「はぁ?」
  
てっきり礼の一つでも言われるのかと思いきや、まさか質問されるとは。思わず、女の方を振り返る。 
丸い、ぽっちゃりした、揺るぎない丸顔に、これまた丸い目が、きょとんとした顔で俺を見上げていた。その表情があまりにも不思議そうで、それが尚更俺の羞恥心をあおる。
  
「どうして?だと?あんた、本気で言ってんのか?あのままアイツに付いて行ったら、何買わされたかわかったもんじゃなかったぜ?それを俺は助けてやったんだろうが」 
「え?でも、痩せる薬だって。それに、お話だけだって…」 
「バカか!お話だけで済むわけねーだろ!ついでに言えば、飲むだけで痩せる薬なんて、この世には存在しねーんだよ!よく憶えとけ!」
  
更に言えば、何されたかわかったもんじゃない、と言うのは寸でのところで呑みこむ。そこまで言うのは余りに酷だし、俺の考えすぎかもしれない。この体格を見て、そういった欲は何ら刺激されないことは、この何十秒間かで身を持って知った。こういうのが好きな奴は別だろうが。 
これだけ言えば少しはしゅんとなるかと思ったが、相変わらず、目の前のゴムマリ女は、暢気そうに「そうだったのかぁ」と相槌を打っている。あぁもう、こいつ、頭の中も脳みそじゃなくてゴムマリが詰まってんじゃねぇか?
  
「どっちにしても、あんな胡散臭い男にほいほい付いてくなよ。自分の身がかわいかったらな」 
「あ、あのぉ、ありがとうございました。よくわかんないけど…助けてくれたんですよね?」 
「…じゃぁな。俺はもう行くから」 
「あ、それと」
  
呼びとめられて、俺は足を止めた。…そんなつもり、なかったのに。 
女は、俺に向かってにっこりと笑った。
  
「あのぉ、あれ、嬉しかったです。あんな風に言われたの、初めてだったから」 
「…は?何が」 
「これ以上、痩せる必要ないって」 
「…別に。だって、本当の事だろ」
  
正確に言えば、見ず知らずの女が痩せようが太ろうが、俺には関係ないだけの話だ。けどまぁ、ギスギス痩せているよりはいいかもしれない。俺は別に、デブは揃って怠惰な性格をしているだなんて偏見は持っていないし。健康上問題がなければ、ちょっとくらい太っていてもそれは個性だろう。
  
「痩せ薬になんて頼る必要ねぇよ。あんたは痩せるより、頭を鍛えたほうがいいぜ」
  
そう言って、今度こそ、俺はその場を離れた。全く、妙な事に足を突っ込んでしまったもんだ。けれど、それもこれきりだろう。この女とも、もう二度と会うまい。
 
 
  
…そう、思っていたはずだったのに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
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