ハッピーターン
注意:氷上デイジーですが、学力パラは低いです。
いつだって、言葉にするのは伝えたい事だけ。
だけど、最近気がついた。伝えたくても、言葉に出来ないこともある。
何て言えばいいかわからない?うん、そう。それもある。どういう言葉が一番ぴったりなのか、ちょっとおバカな私には時々わからなくなる。
代わりに胸がドキドキして、何も言えなくなるの。
だから、勇気をください。
今日は、何だかやけに声を掛けられる。
理由は簡単だ。今日は10月6日。僕の誕生日。かけられる言葉もほとんどが「誕生日おめでとう」だ。
疑問はそこではなく、何故こんなにも多くの人が僕の誕生日を知っているかということだ。例えば生徒会で同じの小野田くんや、教師である若王子先生くらいはわからなくもない。学校の全女子生徒の名前を憶えているという驚異の記憶力の持ち主であるウェザーフィールドくんもギリギリ納得できなくはない。
しかし、針谷くんや一年後輩だという天地くんや、果ては佐伯くんなど、とにかく普段ほとんど会話をしないような人達にまで祝福されている。
そして、また一人。
「…あ、氷上」
「やぁ、志波くん」
背の高い彼は、遠くからでもよく目立つ。近くで見れば少しばかり圧倒されるような雰囲気の持ち主だが、実のところ彼は単に口数が少ないというだけで決して周囲に背を向けるような人物でない事を僕は知っていた。
実際、彼からはトレーニング方法について相談を受けたこともあったし、何よりも「聞いていた」からだ。
否、志波くんだけじゃない。「ハリー」も「くーちゃん」も天地くんも佐伯くんも。僕は自身が話さなくとも話はいつも聞いている、彼女から。
あの子の話はいつも論点がずれていて結論もはっきりしない、というかそもそもそういうきちんとした構成があるかどうかは疑問なのだが、それでも僕は彼女からたくさんの話を聞く。
そうやって、僕の知らないことを彼女はいつも教えてくれる。
志波くんは少しの間僕の顔をじっと見て、それからやはり口を開いた。「誕生日、おめでとう」と短いながらも真摯な言葉を、僕はまた贈られる。
「ありがとう。…というか、君もか。一体どうして僕の誕生日の事を知っているんだい?」
「…聞いた。そして、お前を見たら盛大に祝ってくれと言われた。だから、おめでとう」
真顔でもう一度そう言われ、やはり僕ももう一度「ありがとう」と返した。
おおよそ、事情は掴めてきた。僕は呆れるような、けれど嬉しいようなむず痒い気持ちになる。
ふっと、志波くんの表情が緩む。僕を見て笑っているらしい。
「…何かおかしいかい?」
「いや、悪い。そうじゃない。…だけど、お前が喜んでるなら張り切ったかいがあったんじゃないか、アイツ」
「そうなのか…そんなに」
「大変だったみたいだぞ。お前にバレないように誕生日を宣伝するのは」
「そうみたいだね」
知っている。だって皆が言っていた。彼女から今日のことを聞いたんだってこと。(そしてそう言った後、皆何となくニヤニヤして僕を見たがそれだけは居心地があまり良くなかった)
はめている腕時計をちらりと確かめる。昼休みはあと10分ほどだ。この休み時間内に彼女を探すのは難しそうだなと考えていたところ、「ところで」と志波くんの低い声が降ってきた。
「ところで、今日お前何人に声かけられた?」
「何人?おめでとうと言ってくれた人の数のことだろうか」
「ああ」
そんな真面目な顔をして聞くほど重要なことだろうかと疑問に思ったが、何となく彼の雰囲気に押され、僕は朝から言葉を掛けてくれた人たちを思い出す。
「ううむ…概算でしかないが、学校に到着してからだとざっと二十人ほどだろうか…」
「ガイサン?山か」
「いや、そうではなく…いや、この場合概算とは言わないか。失礼」
「…とりあえず、20人クリアか、おめでとう」
「は?それもめでたい事なのだろうか?」
そりゃ、たくさんの人に「おめでとう」と言ってもらえるのは嬉しいことだけれども、この場合意味が違うのではないだろうかと思考に嵌りそうになるところを「そうじゃない」と志波くんは首を振った。
「氷上じゃなくて、いや、お前もめでたいんだが」
「…志波くん、話がよくわからないんだが…」
「これ」
「な、なんだ?これは」
「”特別ボーナス”らしいぞ?」
そう言って、志波くんは僕に一枚の紙を手渡す。
「…アイツ、屋上にいるぜ。5、6限はそこにいるらしい」
「な…!あれほど授業をさぼってはダメだと言っているのに…!」
「じゃあな」
片手をあげて、志波くんはゆったりと廊下を歩いて行った。どう考えても教室に向かっているようではなかったが。
そんな彼の背中を、僕は途方に暮れたまま見つめていた。
昼休みが終わるまで、後5分。
言葉には力があるんだよと、彼は教えてくれた。それは確か討論の仕方が云々という話をしていた時で全体的な内容はあまり憶えていないのだけれど、その言葉だけは今でもはっきりと思いだせる。
(…そうだね)
ばさばさと風が吹く。時々強く吹くそれは、清々しいと思う反面、何故だか寂しくなった。待ち人はまだ、来ない。
確かに、言葉には力がある。だって、氷上くんは私にたくさんの言葉を残しているから。他の人の言葉ではちっとも憶えられないことも、氷上くんの言葉ならきちんと私の心にとどまる。
「…んーっ!遅いなぁ氷上くん。…志波くんちゃんと氷上くんに伝えてくれたかなぁ?」
伸びをして、空を見上げる。すっきりと青い空。今日はお天気が良い。あの空の、ずーっと高い所に宇宙がある。あんな青い空と真っ暗な宇宙が繋がっているだなんていつも思うんだけどすごく変だ。今度氷上くんに聞いてみよう。
秋は元々好きな季節だ。食べ物がおいしいし、台風が時々来て面白い。かと思えば今日みたいにきれいな青空が見える。空気がひんやりと締まっていくのも好き。
だから秋の日の氷上くんの誕生日は私にとってはまるで運命だ。もう、運命的に大切な日だ。…ウンメイテキって、何か変な言葉だけど。
言葉に力があるというのなら。
きっと、私の言葉は氷上くんにはかなわない。何だかそんな気がしていた。
だって、氷上くんの一言は私の心を簡単に動かしてしまうんだもの。嬉しいこともかなしいことも、私はいつも振り回されてばかり。(けれど氷上くんが言うには振り回されるのは氷上くんらしい。とても信じられないけれど)
だから、言葉では伝わり切らない。
がちゃりと、重々しい金属の響く音がした。氷上くんだ!私は反射的にそっちを振り返る。姿を現した氷上くんは何故だか凄く息を切らせていた。いつも完璧にスタイリングされている髪型が、ほんの少しだけ乱れている。
「氷上くーん!こっちこっち…ってあれ?なんでそんな疲れてるの?」
「なっ…なぜ、って…はぁっ、…かい、かいだんを走ってあがれば…息もあがるだろう…っ!」
「そんな急がなくっても大丈夫だよ」
平気そうなフリをしてそう言ったけれど、本当は嬉しかった。氷上くんが、走ってここまで来てくれたこと。
深呼吸を繰り返して少しずつ呼吸を元に戻しながら、けれど氷上くんは私の腕を突然掴んだ。
「きゃっ…、な、何!?いきなり!こんな所でダメだよ、氷上くん!」
「何の話だ?…ともかく、急いで教室に戻るんだ。授業をさぼったりしたら益々君の成績が…」
「わあぁぁ、待って待って、ストップ!!」
「いや、だめだ。話は全ての授業が終わった後、ゆっくり聞こうじゃないか」
「うわーん!一分!一分ですむから!!」
それならば譲歩しよう、と、氷上くんはそっと掴んでいた腕を離した。それから「突然驚かせてすまない」とぽつりと零す。
ああ、ほら。こういうところが好きなんだ。我を通すようで、そうではないところ。
こんなバカみたいなことにも本気で付き合ってくれるところ。
氷上君はふと気づいたようにあのチケットを私に見せた。
「あっ!志波くんからそれもらったんだ!」
「これは…一体何だろうか?彼はボーナスだと言っていたが…」
「そうです!たくさんのお友達におめでとうを言ってもらって良かったね!っていうボーナス。志波くんはラスボスです!」
「…………何だか、喜んでいいのか微妙だな…」
なんて、そんなのは単なるこじつけだ。本当は、皆におめでとうを言ってもらおうがそうでなかろうが私にとってはどっちでもいい事だ。
(皆に氷上くんのお誕生日を宣伝したのは、確かにおめでとうと言ってほしかったのもある。というよりも、嬉しくって言わずにはいられなかっただけなんだけど)
大事なのはそこじゃない。これは、本当は私にとっての決意だから。
メモにサインペンで「特別ぼーなす」と書いただけのそれを、けれど氷上くんは大切そうに両手で持って、笑う。他の人は(きっと)あまり知らない、きれいな笑顔。
ああ、どきどきしてきた。
「まぁでも…君の考えたことだっていうのはすぐにわかったよ。相変わらず君は僕なんかじゃ考えもしない事を思いつくんだな」
「…じゃあ、そのチケットを私に渡してください」
「?ああ、わかった」
「あと、手を貸して?」
「手?…何のために?」
「……勇気をもらうの」
言葉だけではかなわないし、たりないから。
だから、勇気をもらって、そして返したいと思った。…気持ち全部を込めて。
出された手を、きゅっと握る。
「…おたんじょうび、おめでとう」
「えっ…?」
(…あ、しまった)
こういう時は、「目をつぶってね」って言うんだった。この日のために憶えるくらい読んだ漫画はそうだったのに。
繋いでいた手を離した時、タイミング良く授業開始のチャイムが鳴った。
「……え、なっ…、ま、まちたまえ!い、い、今のは…っ!」
「わぁ大変!ほら氷上くん、急がないとお昼の授業間に合わないよー!」
先に走り出す私を、真っ赤な顔した氷上くんが追いかけてくる。でもきっと、今の私に氷上くんは追いつけっこない。
「えっへっへ、だーいせーいこーー!!」
「な、何が大成功だっ…わ、おわぁっ!!」
どがしゃん、と、後ろで氷上くんがこけたであろう派手な音がしたけれど、もちろん私はそのまま走った。
この真っ赤な顔を、見られないように。