人前に出ると緊張してしまうのは、自分自身が満足していないからだと、俺はどこかでわかっている。
自信がないわけじゃない。ただ、もっと良い歌詞、もっと良いメロディが出来たんじゃないかって、常に思うからだ。
これじゃ、ダメなんじゃないかって。
ファンだと言ってくれる子達の賛辞が嬉しくないわけじゃない。ただ、その手放しの誉め言葉が俺の歌を正しく評価しているかと言えば、俺はその辺りは割と冷静に捉えている方だ。
カッコイイって、言われるのは気分が良いけれど、きっと彼女たちは俺の作ったメロディーをあれほどきれいに、そして正しく歌うことは出来ないんじゃないかと思うんだ。
そう、彼女ほど。
初めて見た時、何つー地味な女だ、と思った。少なくとも俺の周りにはいそうにないし、これからも関わりそうにない。こんな奴学校にいたっけかと思ったほどだ。
だからあの声が、こいつの声だと知った時は心底驚いたものだった。人間、見た目ではわからないものだ。
あいつは俺を見てすぐさま「ごめんなさい」と謝った。それはつまり、俺のメロディだと知って歌っていたということだ。
歌われていたメロディは、あまり人前で歌ったことはない。理由は単純に受けが良くなかったからだ。でも、自分では気に入っていたメロディ。どうしてそれをこいつが知っているのかは今でも謎だ。
まぁ、どうやって知ったかなんてのはどうでもいいことだけれど。
「何で謝るんだよ。まぁ、悪くはなかったぜ」
「でも…勝手に歌っちゃって」
「んな事でいちいち怒るような心の狭い俺様じゃねーよ」
持っていたギターを構えて、鳴らす。驚いたような顔をしているあいつに、歌えと俺は目で促した。
悪くない、というのは真実そう思ったからだ。それに、俺以外の声が俺のメロディを歌うというのは不思議だったがやはり「悪くない」。単純に、もっと聞いてみたかった。
彼女は、女子の割には高い背を申し訳なさそうに小さくしながら、それでもおずおずと歌いだす。伸びやかな、透きとおる声。柔らかな、けれど、ぶれることのない真っ直ぐな声が、胸に落ちてくるような感じがした。
と、突然げほげほと咳きこむ音で、それは突如止まる。体を折って咳きこむあいつに、俺は慌てて近寄って背中をさすってやった。手に触れる、薄っぺらな感触。それでもそれはどこか柔らかくて、似ていても自分とは違う生き物だと実感した。
「わりぃ、発声もロクにしてないのに無理させちまった」
「…けほっ。うう、ん、大丈夫。変なところに引っ掛かっただけ。…それに、こんなに歌ったの、久しぶりだったから」
「…やっぱりお前、歌ってたことあんの?」
「昔ね、合唱団に入ってたから、その時。高校受験で忙しくなった時にやめちゃったけど」
「なるほどそういうわけか」
あの癖の無い感じはそれでかと納得したわけだが、それでも、この声を持っていてやめるのは勿体ない気がする。
「続けりゃいいのに、歌。お前、良い声してんじゃん。まぁ俺様には敵わねーけど、さ」
「え?」
目を丸くして俺を見て、それからあいつはすぐに目を伏せた。小さな声で「いいよ、そんなの」と戸惑い気味に呟く。
「良い声、なんて…別に、私くらい歌える子はたくさんいるし…」
「はぁ?何言ってんだよ、他は関係ねーだろが」
「でも…そんな事、言われたことないもん。…ハリーだけだよ」
「あのなぁ!俺は普段はまぁ適当に冗談言ったりするけど、歌に関してはゼッテェ嘘つかねぇよ」
伏せられた目がゆるゆると、もう一度俺を見る。俺は何でか、どうしても嘘じゃないことを伝えたくて必死だった。
「俺は、マジで歌好きなんだ。だから、さっき言った言葉も冗談なんかじゃねぇ」
「………も」
「あ?」
「私も、このメロディ良いと思うよ」
ほんのりと笑みを浮かべて言われ、思わず俺はそれに見入ってしまう。それは単純な言葉だけれど、間違いなく俺の音楽を良いと言ってくれてる。
欲しかった言葉だった。
「…そ、そうかよ。けど、それあんまり受けなかったヤツだぜ?マニアックだなぁ、お前」
「そうなの?……でも、私、このメロディ好きだなぁ」
俺は何も言えなくなって黙り込んだ。でも嬉しかった。嬉しくて、うっかり感動して、涙声にでもなってたらカッコ悪いから黙ってただけだ。
そいつの名前は「蒼井詩穂」と言った。やっぱり全然知らない名前だったけれど、名前の響きはいい感じだと思った。何せ俺は自分の名前が「幸之進」なもんだから、こういう、すんなりした響きの名前にはちょっと憧れる。
いや別に、自分の名前が嫌いってわけじゃねえんだけど。
それから、詩穂とは時々話をした。つってもしゃべるのはほとんど俺で、あいつは聞くばっかりだ。その時作ってる曲の話だとか、考えてる歌詞とか、別にどうってこともない話ばっかりだけど、そういう話をバンド仲間以外でするのは詩穂だけだった。
俺は、たぶん楽しかった。どんな話でもあいつは嫌な顔したことはなかったから、いくらでも話した。
思い出すのは、遠慮がちな、けれど自惚れでなければ、嬉しそうな、笑顔。
けれど、いつからかそれは無くなった。それどころか、あからさまに避けられるようになった。2年になって同じクラスになってからも、詩穂は俺の方を振り返りもしない。
どうしてそんな事になったのか、俺には全然わからなかった。わからないから、イライラがどんどん心に降り積もっていく。
そして、どうしてそんな風にイライラするのかも、正直、俺はわからずにいる。
詩穂は、まぁ話し相手としては悪くはなかった。良い声を持ってたってのもポイントかもしれない。
けれど、それ以外ははっきり言って全然俺の好みじゃない。何せ地味だし、何考えてるかはっきりしねぇし、考え方は溜息が出るほど後ろ向きだ。あの出会いがなかったらきっと一生関わることはなかったろう。
話し相手くらい、俺は別に不自由しない。女友達限定で考えたとしても、だ。
―――…それで、避けられたくないんだな、お前は。
(だから、違うっつーのに!!)
いつだったか志波に言われた言葉を思い出して、俺はがしがしと頭を掻き毟る。
確かに、あいつは俺のメロディを歌っていた。
そしてそれを、好きだと言ってくれた。
でも、それだけだ。別に、それだけのことなのに。俺はどうしてそれをいつまでもぐずぐず思い出すんだろう。
そんな些細な思い出に、俺は今でもしがみついている。自分でも驚くくらい、どうにもならないくらい。
違う。認められない。認めたくない。
でも、だとしたらこの苛立ちは何なのだろう。顔を背けられる度感じる、軋むような胸の痛みは何なのだろう。
行きつく先の答えが、けれど本当はもう見えてしまっている気がして、俺はどうにも動けない。
la solution