「へぇ〜、クリスくんと話したんだ」

楽しげに、弾むようなあかりちゃんの声。まるい、おっきな目がわくわくといった感じでこっちを見ている。
逆に私は、普段の仏頂面よりも更に苦々しい顔をしていた。口に放り込むお弁当だって、ちっとも味がしない。

「いきなりモデルやらないかなんて、あんな失礼な人知らない」
「うーん、まぁクリスくんはいきなりひらめいちゃうんだよね」
「だからって…どうして」

モデルをしないかと言われ、当然私はその場で断った。いきなりすぎるし(そもそも名前も聞いてなかったし)、私みたいなのを捕まえて「モデル」だなんて悪い冗談だとしか思えない。
それとも、あんまりにも地味で物珍しかったのだろうか。どっちにしても乗り気には全くなれなかった。拾った画用紙をそっくり渡して、その日はそのまま彼と別れたのだ。

そうして断ったのだから、話はそこで終わったと思い込んでいた、次の日、教室の前に立つ彼の姿を見るまでは。
それから数日、今日までずっと断り続けているのだが、彼は全く諦める気配はない。いい加減うんざりして、もう溜息も出ない。

「私なんか描いたって、いいことないのに」
「でも、私も詩穂ちゃんがモデルの絵、見てみたいなぁ…」

あかりちゃんの口から何気なく零れた言葉に、私はぎょっとなった。あかりちゃんはすごくすごく優しくてかわいくて尊敬もしている大切な友達だけど、たまに予想を軽がると超えたぶっとんだ事を言うので驚かされる。
驚きすぎて声も出せない私に向って、あかりちゃんはにっこり笑った。

「だって、クリスくんが描いてくれるのならきっといい絵だと思うよ?」
「それは…」
「――いやぁ、そんな誉めてもらえるなんて感激やわぁ」

上から降ってくる声は、嫌になるほど聞き覚えのある間の抜けた声。あかりちゃんは声がした方へ「クリスくん来たんだ」と朗らかに笑いかけ、私はわざと全然違う方を見た。 今日会ったのは、これで3回目だ。

「そんなに固うならんでも。ヌードとかとちゃうよ?今回は」
「今回は、って。クリスくん…」
「いやいや、まぁ冗談は置いといて。そやからそんな顔せんといて、あかりちゃん」
「…何度来られても、モデルなんてやりませんから」

あかりちゃんと彼の間に流れた和やかな空気も、私の一言で凍りついた。だって、迷惑だと伝えるために言ったのだから別に構わない。
しばらく重苦しい沈黙が降りた後、あかりちゃんはそっと息を吐き出すように笑った。こういう気不味い雰囲気を丸くするのは彼女の得意技だ。あかりちゃんは、少し真面目な顔つきで彼に向き合う。

「ええっと…クリスくんも、どうして詩穂ちゃんにモデルを頼むの?たぶん詩穂ちゃんは、そこが引っ掛かってるんだと思うけど」

あかりちゃんが言い終わってからも、彼はしばらく黙っていたけれど、やがて、ふ、と困ったような笑みを浮かべた。

「…どうして、って難しいなぁ…。……でも、詩穂ちゃんを描きたいって気持ちは、冗談なんかとちゃう。真面目な気持ちやねん」



(……あ)



―――俺は、マジで歌好きなんだ。だから、さっき言った言葉も冗談なんかじゃねぇ。



この目を、私は知っている。追いかける人の目。つよく、混じり気の無いきれいなつよさ。



私の、憧れていたもの。



けれど、それも一瞬で、またいつものようにふにゃりと、緩い空気に戻る。だけど、私は何だか居心地が悪くて仕方無かった。あれほど強く突っぱねていた心が、みるみる萎えていくのを感じる。
何故なら、ほんの一瞬でも私は見てしまったから。そして、それが本物だと知ってしまったから。
仕切り直しという様に、彼はまたにっこりと笑う。彼は無理は言わない。けれど決して引くこともない。

もうきっと初めから、結果なんてわかりきってる。

「じゃあ、…少しだけ」
「…え?」
「モデル、なんて、何するかわかんないけど…少し、だけなら」

頼まれているのは私のはずなのに、そう言ってからの彼の反応にどうしてか身構えてしまう。やっぱり冗談だった、なんて言葉が返ってきたら、と心のどこかで怯えてすらいた。
けれど、彼は一瞬ぽかんとし、それから「嬉しそうな顔」の見本みたいな顔して私に笑いかける。

「や…ったーーー!!おおきに詩穂ちゃん!これからよろしゅうな!!」
「良かったねぇ、クリスくん!詩穂ちゃんの絵、楽しみにしてるからねっ!!」
「わ、わかったから、二人ともおっきい声だすの、止めて…!!」

「ほなまた連絡するわー」とぶんぶん手を振って去って行った彼を見送りつつ、私は大きく息を吐きだした。こんなにも疲れた感じって久しぶりだ。
私の横ではあかりちゃんがにこにこ嬉しそうにしてる。

「うん、でも本当に良かった。きっと、良いきっかけになるよ」
「…きっかけって?」
「何て言うか…詩穂ちゃん、元気なかったから」

その言葉に、私は思わず黙ってしまう。私は、あかりちゃんにはハリーのこと、話してはいない。もしかして気付いていたんだろうか。察しのいい彼女だから、もしかしたら気を遣って何も聞かないでいてくれたのかもしれない。
だけど、あかりちゃんの言葉にはうまく答えになる言葉が見つからなくて、私は慌てて話題を逸らした。

「そ、そういえば、あかりちゃん、今日は志波くんとお昼食べないの?今まで気が付かなかったけど」
「今日は詩穂ちゃんと食べたかったらいいの。…それに、ハリーが志波くんに用があるって言ってたから」
「…ハリーが」
「うん。ニガコクなんだって」
「ニガ…?…何それ」
「さぁ?」

ハリーと志波くんって、意外な組み合わせだなと思いつつ、私はクリスくんが出て行った教室の扉の方をもう一度振り返る。





さっきの真剣な眼差しをまた思い出して、胸が痛んだ。







se superposer