夜。
照明は全部落としているのに、部屋の中はぼんやり明るい。今日のような日に限っては、一人暮らし(正確にはお手伝いさんも一緒やけども)で良かったと思う。
完全な暗闇ではない夜は、とても安心できる。守られている事を実感できる優しさ。ひっそりと、傍に寄り添うだけのささやかさ。
だけど、今夜ばかりは無理やりにでも眠らせてくれたらええのに、と思わないでもない。
少し大きめのベッドに寝転がっていた。眠りたいのに、眠たくならない。



女の子は、みんなかわいく笑ってるもんやと思ってた。
それが一番かわいいし、そうあるもんやと思うし、それは今でもそう思ってる。

だから、詩穂ちゃんはちょっと「トクベツ」というか、ちょっと他の女の子たちとは違ってた。
今から思えば、もうそこから始まっていた、と思うんやけど。

去年の、冬の曇った日。中庭に走ってきて、立ち尽くして泣いていた女の子。苦しそうに息を吐いて、それでも涙は止まらないのか、とにかくずっと泣いていた。
声は、よう掛けられへんかった。そんな雰囲気やなかったし、それに、おかしいけど何でかボクはその姿から目を離されへんかったから。
名前もクラスもすぐにわかった。蒼井詩穂ちゃん。かわいい名前やなって思った。
詩穂ちゃんは、それからよく中庭に来てた。でも、来たからといって特に何かするわけじゃない。ただぼんやりと、時には不機嫌そうな顔でそこに立ってるだけ。
かなしそうな、全部アキラメタみたいな顔していつも中庭にいてた。

そう、詩穂ちゃんは笑うことがなかった。ほとんど無表情、って言えるかもしれん。そこだけ時間が止まってるみたいやった。
そこだけ、切り取られたみたいに、むしろ反発するみたいに。

いつも、穴があくかと思うくらい見てた。詩穂ちゃんを見てる時は、他のカワイコちゃんとか、それ以外の景色とか、あんまり憶えてない。
たぶん、初めはただの興味本位。あとは…、少しばかりの同情。笑わせてあげたい、と思ったのはホンマやった。
話をしたいと思ったし、聞きたいとも思った。初めは、本当にそれだけ。

屋上から絵を落としてしまったのはただの偶然やったけど、それは、ラッキーやったと思ってる。そして、このラッキーを逃す手はないなと思った。
絵は描いてみたかった。それは純粋にそう思った。いくらなんでも、単なる口実で絵を描くなんて、ボクは言われへんから。
でも、途中から、絵を描きたいのか、詩穂ちゃんを見ていたいのか、わからなくなってた。
傷ついて、背を向けるばかりの詩穂ちゃんに、変わってほしかったのも本当。変わる、ていうか、笑ってほしかった。きっと、本当の詩穂ちゃんは、笑顔が似合う子やって思うから。
詩穂ちゃんは少しづつやったけど、明るくなってきたと思う。初めの頃は、そらぁもう不機嫌そうか無表情かのどっちかやったけど、それ以外の表情もたくさんみれた。
もちろん、笑顔も。

けれど、今となってはそれも心からの笑顔かどうかは自信がない。

このままではいられないと、詩穂ちゃんは言うた。それは、信じられない言葉だと思いながらもどこかで予想していた言葉とも言えた。
傍にいるけれど、どこか遠くを見ていた彼女。それは、初めて会った時からずっとそうで、僕はそれを気付いていながら知らんふりしてた、ずっと。


(……結局)


結局のところ、ボクは負けたんやな、と苦く笑った。どうしようもない事やったと、言ってしまえばそれまででもある。
詩穂ちゃんが好きで、傍にいたいのはもちろんそうやけど、裏を返せばどうでもそうでないと困るというわけでもなかったんやろう。
……あぁ、違う。そうやなくて。一緒には居たいけど、だけど、詩穂ちゃんが「いられない」というならボクは離れることを選べるという意味で。

つまり、その時点でボクは彼女を引き留める術を無くしたんやと思う。うまく、言えんけど。
つまり、それはどうしようもなかった事なんやと思う。やっぱりうまく、言えんけど。

目を瞑っても、寝がえりをうっても、少しも眠くならんかった。意識ばかりが冴えて、暗い部屋は灯りが無くても何があるかよくわかる。
明るささえ感じる天井を見上げながら、ふとハリーくんの顔を思い出した。詩穂ちゃんよりもハリーくんを思い出す自分が少しだけ嫌になった。


(…詩穂ちゃん)


あの、ハリーくんのまっすぐな瞳を頭の中から無理やり追い出す。それから、大好きだった女の子の事を考えた。
出来る限り、思い浮かべてみる。笑顔も、困ったような顔も、不機嫌な顔も、…最後の泣き顔も。





心は静かだった。けれど、相変わらず眠る事は出来ない。










Nuits blanches