「……ここはC…いややっぱGかな。G7……」
放課後。俺は珍しくひとり教室にいた。一人でというか、たまたま誰もいなかったから教室にいるだけだ。曲を作る時は一人になれないと作れない。
最近、俺はまた曲を作ってる。歌も歌うし、ギターも弾く。夏休み前は、突然止まってしまったみたいに何のメロディも浮かばなかったのが、最近じゃ全くの逆だった。
どんどん色んなメロディが浮かんで、むしろそれを忘れずにいて、まとめることが難しいくらいだった。
やっぱり、音楽は俺の心に直結している。気持ちが募ることと、メロディが思い浮かぶのは正しく比例している。
詩穂を想うからメロディが出来るのか、それともメロディが思い浮かぶ度に彼女を想うのか、どっちが先かはわからない。わからないけれど、どちらも影響しあっていて、切り離せないものになってるのは間違いない。
(………俺も大概しつこい…)
修学旅行も終わり、学校はすっかり文化祭モードだ。かくいう俺もゲリラライブの準備に追われているわけだが。
詩穂との距離は、あれからも別に変わらない。つかず離れず、つうか近づいたのはあいつが熱出してぶっ倒れたあの時だけだ。それ以外はいつも通り何も変わらない。
修学旅行から帰る日、「大丈夫か」って声を掛けようと思っていたけれど、タイミングを考えている間にそれも出来ないままだった。見た感じ元気そうだったからほっとしたけれど。
ギターに落としていた視線を上げて、窓から見える空を見上げた。透きとおった茜色。青いような赤いようなグラデーションを見せるそれは、秋なんだな、と、改めて思わせる。
(ここからじゃ、ちょっと物足りねぇな)
屋上から見ると、何も遮るものがなくて吸い込まれそうなくらい広く感じて、頭の上に何にも無いって感じが好きだ。初めは、ただそれだけで屋上に良くいたんだけどな。
途中から、目的は少し変わっていた。俺自身も気が付かなかったけれど。何となく、去年の今頃の事を思い出した。今の季節は暑くもなく寒くもなく日もそんなに短くはなくて。
おまけに、俺もあいつも部活なんてしてなかったから、会えばいつまでも喋っていた。空が青から橙色に変わった事に気が付くのはいつも詩穂の方で「もう夕方だね」とあいつが言うのがその日のお喋りの終わりの合図だった。
今頃、詩穂は誰とこの空を見ているのか。それは、簡単に想像がついたけど、あまり考えたくはなかった。
「……あーあ!ったく、今は曲作ってんだから、俺はどっちみち一人だっつうの!」
がしがしと頭を掻きつつ、俺はもう一度ギターに向き直る。根拠はないが、何だかすげぇ良い曲が出来そうな事だけは確かだ。ミュージシャンのカン。
さっきまで繰り返していた曲の途中を弾こうとして、けれど、気が変わって、俺は全然別のメロディを弾いた。俺の気に入っているメロディ、詩穂が歌ってたメロディ。
―――私、このメロディ好きだなぁ
言われたあの時も嬉しかったけど、今となってはますますあの時の言葉や笑顔は俺の中で大切なものになっている。大切な、心があったかくなる思い出。
(………会いたいな)
思い出は、あったかくなれるけれど、同時にどうしようもなく切ない。それは大切であればあるほどそうなんだと最近気が付いた。思い出す度、そこには戻れないと何度も知るから。
(やっぱり、今、だよな)
そんな事を考えつつギターを弾いていて、だから、俺は気が付かなかった。遠慮がちに教室の戸が開かれたことに。
「……あの」
「……あ?って、お、おまえ……!?」
驚きで椅子から落ちそうになるのを誤魔化すために俺は慌てて立ち上がった。心臓が、さっきまでの3倍くらいの速さで動いてる。完全にビョーキだ。
俺に、遠慮がちに声をかけてきたのは詩穂だった。さらりと、長い黒髪が揺れる。眼鏡をかけた姿は以前と変わらないが、それでもやっぱり同じじゃない。
綺麗になったんだなと改めて感じて、余計にドキドキした。
「な、なんだ、どうしたんだよ」
「うん、忘れ物思い出して……」
「そうかよ。そ、そりゃ気の毒にな!」
「うん」
「……?何だよ、忘れ物取りにきたんだろ?」
「それは、そうなんだけど」
そう言って、けれど詩穂は、相変わらず突っ立ったまま動かない。だから、俺も詩穂の方を見て動かない、というか動けない。
しばらくそうしてお互い向き合ったままだったが、先に詩穂の方が恐る恐るという風に口を開いた。
「あ、あの、ハリー?」
「な、なんだよ」
「………そこ、私の席、なんだけど」
「……………………あ!!」
(しまった!!)
そうだった、ここは詩穂の席だった。今まで忘れていたけどそうだった。
「ち、ちが!これは、その、ちょっとした偶然でだな……!!」
「うん。それで、少しだけ開けてもらえると助かるんだけど」
「お、おう!!」
大慌てで飛びのいた俺に(正確には自分の席に、だが)、詩穂はつかつかと歩いて近づいてくる。傍まで来て、すい、と彼女がかがんだ時に、ふわりと甘い匂いが鼻先を掠めた。
シャンプーか何かよくわからないけれど、何かすげぇいい匂い。
(ヤバっ………ち、近いってっ!!)
「………あった、コレだ。……ごめんねハリー、邪魔しちゃって」
「べ、別に!気にすんな!」
「………そう?でも、どうして自分の席に座らないの?」
「はぁっ!?」
まぁ、普通に考えればそれは当然の疑問だろう。俺だって、俺以外の奴が俺の席に座っていたら、別に嫌な気持ちとかには全然ならないけど、どうしてかと不思議には思う。
ここに座ったのは、少しでもお前に近づきたいからだよ。どんな些細な事でもいいから距離を縮めたかったんだよ。
(…ってぇ、言えるか、そんなん!!)
「………あーアレだ、ほら。ここ、窓際だろ?だから空キレイに見えるなぁ、と思って、それでさ」
ちょっと苦しいか、と思ったが、詩穂は特に不思議がることもなく「ああそれで」と納得していた。
「そうだね。…屋上ほどではないけれど、私も気に入ってる」
ふと、やわらぐ表情に、俺は言葉のまんま、目を奪われていた。息をするのも忘れるくらい、ただただ詩穂をじっと見てた。
「…あ、そうだ。私、ハリーにお礼、言わなきゃって」
「へ?礼って、何の?」
「修学旅行で、熱出した時、先生を呼んでくれたでしょう?走り回ってもらっちゃって、ごめんね。でも、ありがとう」
「…あ、ああ。あんなん大したことねーよ、気にすんな」
「………あと、お饅頭」
「……え」
思いもしなかった言葉に思わず詩穂の顔を見る。
「あれ、あかりちゃんからって聞いたけど、ホントはハリーは買って来てくれたんだよってあかりちゃんが」
「な!あいつ、黙ってろって言ったのに!!」
「…………やっぱりハリーだったんだ、あれ」
「え?な、お前……!?や、ちが、違うってあれは」
「憶えててくれたんだ」
「あ……」
まっすぐに俺を見る目がふうわりと細められる。そうっと花開くみたいな、こぼれるみたいな笑顔。
「嬉しかった」
ずっとずっと、見たかったもの。
(…やばい、なんか)
時間が止まったようだとは、今、この瞬間のことだと思った。いっそ止まってしまえ、とさえ思う。
もう少し、もう少しだけそうして笑ってほしいんだ。
いや、もう少し、じゃなくて、もっと。傍で、ずっと。
「……ハリー?どうしたの?」
黙り込んだ俺に、詩穂は不思議そうに首を傾げる。俺は、あいつに伸ばしそうになる手を、何とか握り締めて抑え込んだ。
けれど、手は止められても、もう気持ちは止められそうにない。
「………ワリぃ」
「……何が?」
「俺さ、お前を困らせたいとか、思ってるワケじゃねぇんだ、ホントに。それは、ホントにホントなんだ」
「?……うん」
「でも、やっぱダメみたいだ。やっぱり俺は自分勝手で、お前の気持ちなんか考えなしで、どうしようもねぇ」
「……ハリー?」
詩穂は、何もわからなくてきょとんとする、というよりは、俺が、何かおかしな事を言い始めた、みたいな心配そうな、それでいてほんの少し不審そうな顔つきをしていた。
まぁ、そういう反応は当然だろうなと俺は少しだけ苦笑いする。ごめんな、と心の中でもう一度謝った。
これから俺の言う言葉で、お前は決定的に困る事になるだろうけど、けれど、やっぱり俺は言うんだ。
さっき見た笑顔をもう一度思い出す。それから、軽く息を吸い込んだ。
「…好きだ」
眼鏡の奥の瞳が、大きく見開かれたのを見ながら、俺は、もう一度言った。
「俺、お前の事が好きだ」
Les sons et les parfums fournent dans I'air du soir