――『私、お饅頭とか最中とか好きだよ』
――『お前、地味なモンすきだなぁー。まぁ俺も嫌いじゃねーけどさ』


どうしてそんな話になったんだろう。よく憶えていない。ただ、それなら修学旅行は楽しみだな、と言った彼の言葉は憶えている。京都って、和菓子とか漬物とかそういうの美味いらしいって、自分は「ほうじ茶アイス」が食べたいんだって。それを聞いてどうして抹茶アイスじゃないんだろうって、不思議に思ったのを憶えている。

そんな、どうでもいいような事をどうして思い出すんだろう。







あれから。
熱を出してしまった私は保健医の先生に付き添われて皆とは別の部屋で寝る事になった。後から、物凄く心配して泣きそうな顔のあかりちゃんに平気だよと笑ったけれど、うまく伝わったかはわからない。先生を呼びに行ってくれたハリーにも、結局お礼も何も言えてない。
熱が出た原因はたぶん疲れのせいだ。保健医の先生もそう言ったし、自分でもそうだと思った。昔から、疲れがたまると私はすぐに熱を出したから。


薬を飲んで、次の日の朝には熱は下がったけれど、私の最終日の自由行動は布団の上で過ごす事になってしまった。


(あーぁ…せっかく楽しみにしてたのになぁ……悪いことしちゃったな)


何も無い天井と吊るされた和風の笠の電灯を見上げつつ、私は何度目かの溜息をつく。熱はもう下がっていたから気分はすっきりしていたけれど、体は何となくだるい。ご飯を食べて、薬を飲んで、付き添いと言っても先生はほとんどここにいる事はないから(冷たい、とかいうわけじゃなく、他にも用事があるという意味で)一人でうつらうつら、眠いようなそうでないような良く分からない時間を過ごしている。
今日はクリスくんと一緒にお土産を見に行こうと約束していた。倒れてから連絡も出来ないままだったから、もしかしたら心配させてるかもしれない。


(明日…、会ったら謝らなきゃ。……それとハリーにもお礼言わなきゃ)


あまり良く憶えていないのだけれど、ハリーが、私のために走り回ってくれたというのは、何だか不思議な感じがした。きっと、私の世話なんかしたくなかったと思うのだけど。


(夏休みの時と逆だな)


もしかしたら、その時の事をまだ気にしていたのかもしれない。
不意に、コンコンとドアをノックする音が聞こえてから、かちゃりと静かにドアが開いた。眼鏡をかけていないからぼんやりとしか見えないけれど、それでもわかるきれいな金色の髪。


「……クリスくん」
「具合どない?詩穂ちゃん」


聞こえてきた声に、私は何だか安心して笑ってしまう。はっきり見えなくても、彼が心配そうにしているのはよくわかった。それが申し訳なくて、でもほんの少し嬉しくて、私は出来るだけ元気そうな声で答えた。


「うん、もう熱も下がったし大丈夫。ごめんね、今日…一緒に行けなくて」
「そんなんええよ……まぁ残念やったけど。…あ、そうやコレ」


カサリと、クリスくんが小さな紙袋を持ち上げて見せる。


「何?」
「おみやげ。これはあかりちゃんから詩穂ちゃんにって」
「あかりちゃんが?何だろう…これ。お菓子?」
「うん、お饅頭やって。詩穂ちゃん、そういうの好きやったん?」
「え……」


思わずクリスくんを見上げてしまったけれど、彼は特に気にする事もなく笑っている。
クリスくんが枕もとに置いてくれた紙袋は、高校生が持つには少し地味な色遣いの、いかにも「老舗」といった感じの紙袋だった。確かに私は和菓子が好きだ。綺麗で色鮮やかな生菓子だって好きだけれど、お饅頭とか最中とか、素朴なものの方が好きだった。何か、ほっと安心できる感じがして好きなのだ。
けれど、その話をあかりちゃんにした事があっただろうか。どこかで知らないうちに話していたかもしれないけれど、記憶に無い。むしろ、話したのは。


話したのは。


「どうしたん?もしかして気分わるい?」
「あ…ううん違うよ。うん、嬉しい。和菓子、好きだから」
「ふーむ、じゃあ僕のおみやげはモヒトツかなぁ?」


しゃらんと、目の前に出されたのは携帯ストラップ。先には白馬の飾りが付いている。


「わぁ…かわいい。嬉しい、ありがとう」
「えへへ、よかった。実は、ボクとお揃いやったりするんやけど」


そう言って笑うクリスくんがもう一つ取り出したストラップには色違いで黒い馬が付いていた。そう言えばいつか話してくれたっけ。白馬がお姫さまで黒馬がそのお姫さまを守る王子さまか騎士なんだって。思い出して、自然と顔が緩んだ。本当に、どうしてクリスくんはいつもこんなに優しいんだろう。


「さてと。それじゃボクそろそろ行くわ。もうちょっとしたら夜ゴハンやし」
「え?もうそんな時間だったの?」
「楽しい時間はあっという間やね…。と、詩穂ちゃん、ちょっと、そのまま動かんとって?」
「え、な…?」


クリスくんの言葉の意味を理解する間もなく、気付くと彼の顔がすぐ近くにあった。柔らかな金髪が私の頬にかかる。


「え、あ、あの」
「……オヤスミ、お姫さま」


そう言ってから、クリスくんは私の額に口唇を持っていって軽く音を立てた。あんまりにも突然で、一瞬の事だったので、私は思わず起き上がって、けれどただ口をパクパクさせてクリスくんを見ることしか出来なかった。
きっと、顔だって真っ赤になっているに違いない。


「あれ、詩穂ちゃんまた熱上がってきた?」
「…っ、誰のせいだと思ってるのっ!」
「だって〜、今日一日会われへんかって寂しかってんもん〜。でもさすがに病気で寝てる時に口には出来へんし」
「な…、あ、当たり前ですっ」
「まぁそれは次のお楽しみってことで〜」


真っ赤になる私の傍にあるのは、白馬が付いた携帯ストラップとお饅頭の箱の入った紙袋。それをもう一度見つめ直して、私は一人で笑った。
最後は寝込んじゃったけれど、でもやっぱり楽しかった。





こうして私の修学旅行は終わったのだった。







doucement