この気持ちはそんな簡単に消えそうにない。消えるどころか、ますます息衝いて大きくなるばかりで。
何もしない事が一番良いのだとわかっているのに、俺はまだ、出来ることを探してる。



「……つうか、何で俺がここにいるんだよ」
「文句言うな。俺だって本当は嫌だ」

むっつりとしかめっ面する俺と志波を振り返り、あかりは「二人とも先行っちゃうよー!」と少し先ではしゃいだように手を振っている。淡い黄色い生地に金魚の柄の浴衣。それは、のほほんとしたあかりの雰囲気には良く似合っていて、まぁそれなりに可愛かった。
会った時に思わず「なんかガキくせぇ浴衣だなぁ」と言ってしまい、志波に思いっきり頭を殴られたのは、ムカついたけれど仕方が無いか。(つうか、アイツ、グーで殴りやがったよ、俺の頭何だと思ってるんだ)
その志波も今日は黒い浴衣姿だ。俺は別にフツーにTシャツにジーンズ。
わざわざ浴衣を出してくることもないかと思ったのだ。大体、デートじゃあるまいし。
今日は年に一度の花火大会。もちろん俺はそんなものに行く予定はなかった。まぁ気が向いたらダチと観に行ってもいいかと思っていたくらいだ。そんな時に掛かってきた、一本の電話。

「お前を誘うのは全く俺の本意じゃない」とそう前置きした志波からのお誘いを受けて、俺はこうして花火大会に来たのだった。あまりの事に、槍でも降って花火大会中止になるんじゃないかと、俺は本気で思ったものだ。

『何だ、お前、あかりに振られたのか?』
『違う。…海野が、お前も誘えって言うもんだから』

事情を聞いてみれば、あの屋上での出来事を志波はあかりに話してしまったらしい。といっても、さすがの志波も詳しく話すことを躊躇い「針谷が物凄く落ち込んでいる」という風に伝えたんだそうだ。

つまり、俺は屋上で「音楽について悩み」、「今にも飛び降りそうな雰囲気」だったので、志波はそれを見て「ダチとして黙っていられず」俺を「必死に止めに行った」んだと。

その話を聞いたあかりは、人が良い事ことに俺を心配し、今日、志波と二人で来るはずだった花火大会に「ハリーも誘おう」と提案したらしい。無論志波は難色を示したわけだが、あかりは聞かず、 「だって、志波くんだってハリーが心配でしょ?元気づけてあげようよ!」と言い、挙句、「もし私に遠慮してるなら、二人で行ってきていいから」などと言い出したものだから、慌てて3人で行くという妥協案を志波が呑んだというわけらしい。
「下手な嘘をついた俺がバカだった」と、後から志波は苦虫を噛み潰したような顔していた。

「…悪い。ホントはさ、感謝してんだぜ?家にいたってどうせ腐ってたしな」

小さくため息ついてから、俺はわざと明るくそう言った。志波は、何か言いたそうな顔をしたけど、結局「……そうか」と言っただけだった。
そう、本当に俺は笑えないくらい落ち込んで、腐っていた。とりあえずバイトだけは休めないから顔を出すけど、失敗ばっかりするし、ギターを持ってみても何も浮かばないし、何も歌う気になれない。
バンド仲間は、俺がおかしい事に気遣って、少しゆっくりしろと言ってくれた。すごく申し訳なかったけれど、今の俺には正直ありがたい話だ。

「あん時は、悪かったな。俺、どうかしてたわ…お前の言うとおり、らしくなかった」
「……気にするな」

志波は、先を行くあかりから視線を外す事はない。振り返るあかりに、時々笑って返す志波の顔は、驚くほど優しくて、幸せそうだった。夜、出店の灯りに照らされて浮かぶそれは、俺の見たことがない表情だった。

(……そうだよな)

好き、なら、そういう表情になるはずだよな。

「あれ?あそこにいるの、もしかして詩穂ちゃん?」

暢気そうなあかりの声に、けれど、俺はびくりと足が止まった。志波はほんの少しだけ眉をひそめて俺の肩に手を置いてから、足早にあかりに近づく。

「…どうした?」
「ほら、あそこの…紺色の浴衣着てるの、詩穂ちゃんだよね?」
「……あれ、本当に蒼井なのか?」
「絶対、詩穂ちゃんだよ。でも、眼鏡かけてないと詩穂ちゃんすごいキレイだねぇ!声掛けてみよっか」
「いや、やめとけ」

慌てて止める志波に、あかりは不思議そうに首を傾げる。

「どうして?ハリーと四人で花火観ようよ」
「いや……だから、蒼井も誰かと来てるかもしれないだろ?邪魔しちゃ、悪い」
「……あ、それもそっか」

志波は、あかりの手を引っ張ってそこから離れる。俺は、その間中、一歩も動けなかった。

会いたい。でも、会えない。怖くて。

「……ハリー?ハリー大丈夫?」

気が付くと、心配そうに見上げるあかりの顔。俺は、慌てて、その場を取り繕うように調子っぱずれに笑った。

「な、何でもねえって!それよりホラ!花火、もう始まるだろ?行って来いよ」
「え、どうして?ハリー行かないの?」
「ばぁか。そこまで野暮な俺様じゃねぇんだよ……でも、サンキュな。今日誘ってくれて」

そう言って、あかりの頭をぽんと撫でた。どうとも思わないあかりにはこんなに自然に笑えるのに、俺はどうしてアイツにはあんな風にしか出来なかったんだろう。

「…おら、早く行けよ!いい場所、無くなっちまうぞ。じゃあな」
「ま、待ってよ、ハリー!」
「おい、針谷……!」

心配そうに俺を見る二人に、今度こそ、俺はちゃんと笑った。ちゃんと、笑えているはずだ。

「大丈夫だからさ。……心配してくれて、ありがとうな」

そう言って、俺はさっさと二人から離れた。「ハリー!」とあかりの呼んだ声が聞こえたけれど、もちろん振り向かなかった。
本当は、こんな場所からさっさと離れたかった。目に入ってくるのは家族連れじゃなけりゃほとんどがカップルで、それは、やっぱり俺の心を苛立たせることしかしない。
それでも、俺はどんどんと人ごみの中を歩いていた。花火を見にきた人達は、良く見える場所を探して歩いて、俺の方へ流れてくる。その中を、俺はかき分けながらひたすら歩く。

探していた。花火なんかどうでも良くて、探すのは、ただ一人。

(…紺色の浴衣って、言ってたよな)

会えなくても、いいから。それでも、ここにいるなら一目だけでも見たい。見るだけでいい。
紺色の浴衣を着た女なんか、いくらでもいた。それでも、俺は見つけられると思った。それだけは、自信とかじゃなく、確信だった。見つけられる。間違えずに、アイツだけは、絶対。

思わず躓きそうになる足元を、何とか堪えて踏みとどまる。そして一瞬、上げた視線のその先に。



(…………いた)



相変わらずの、人混み。俺とあいつの間には数えきれないくらいの人の数があったけれど、それでも、まるでそこだけスポットライトが当たっているかのように、俺にははっきりとアイツが見えた。

懸命に、無心にただ夜空を見上げる、姿。あかりが言っていたように、確かに紺色の浴衣だった。紺生地に白い花柄の浴衣。それは、シンプルなはずなのに、どこか華やかで、そしてアイツに良く似合っていた。
普段はおろしっぱなしの髪も今日はきれいに結いあげてあって、眼鏡もしていない。確かに、いつもとはまるで別人だった。別人のように、綺麗だった。
だけど、俺が目が離せなかったのは、そんな事が理由じゃない。いや、それだってどうでもいいわけじゃないけど、とにかく、見ていたのはそこじゃなかった。

一瞬、光の華が夜空に煌めく。一拍遅れて、腹の底まで響く轟音。
降りかかる光の中に浮かび上がるように見えたのは、笑顔。
ふわりと、やっぱり遠慮がちな、けれど甘やかな笑顔。
見れなかった、けれど、見たかった、そのカオ。

花火が上がる度、それは浮かび上がって見えて、それは、バカバカしいと思うけれど本当に夢みたいで、俺はうっかり泣きそうになった。みんなが夜空を見上げている中、花火も見ずに突っ立ってるのはきっと俺くらいだろう。
胸は、正直痛かった。俺は、アイツをあんな風に笑顔にはしてやれない。傍でそれを見ることだって叶わない。まさかここに一人で浴衣を着て来ているわけじゃないだろう。誰が横にいるかはわからなかったし、知りたくなかった。知ったところで、これ以上惨めになるだけだ。
それでも、おかしいけれど、矛盾しているけれど、俺は嬉しかった。アイツの笑顔が見れたこと。アイツが、笑っていること。

あんな風に傷つけたけど、それでも、ちゃんと笑えていること。

花火が上がっている間、そしてそれが終わって周りの人たちが動き出すまで、俺はずっと詩穂一人を見てた。まるで、目に焼き付けようとするみたいに、瞬きすら惜しんで。





絶対に、忘れない。そう思った。







feux d'artifice