*ご注意:このお話のデイジーは「少年アイカ」オリジナルのデイジー「蒼井詩穂(あおい しほ)」です。


しずかすぎる部屋で







「…ちぃーっす。て、アレ?何だよ、先生いねーの?」


当然だが、授業時間中の保健室は静かだった。授業をしている先生たちの声が、風に乗って微かに聞こえてくる。そんな音とも言えないようなものですら、妙に響いているように聞こえるんだから不思議だ。
俺は当然ながらサボりなわけだが、それでも保健室でサボるだなんてハンパな事はしない。今日は本当に頭が痛い(ような気がして)から薬をもらいに来ただけだ。


「何だよ…しゃあねぇ、テキトーに薬もらってくか」


備え付けの棚を物色していると、ふと奥の白いカーテンが目に付いた。ベッドの間に巡らされているアレだ。開けられた窓からの風に、音もなくほんの少し揺れている。
ああ、それにしても本当に静かだ。こういう時、デカイ声で叫んだらどうなるかと思うのと同時に、それは決して出来ないと何故か思う。どうしてかはわからないけど。
静かなのは嫌いじゃない。でも、本当に無音の世界なんてないんだと俺は知ってる。何故なら、こういう時は、普段聞こえない音が聞こえてくるからだ。意識すらしない音が。


(……誰が寝てんだろ)


ここに保健の先生がいれば、寝ているビョーニンを覗くだなんて出来ないだろう。俺だってそんな気にはならないだろうし。
それは、単純な興味だった。別に変な事しようってわけじゃない。ただ、誰か寝ているのかそれだけわかれば満足するのだ。
ちらりと、ドアの方を振り返る。誰も帰ってきそうな雰囲気はない。しばらくじっとそこに立って、かなり長い間そうしてから、やっと俺はカーテンの閉まるベッドの方へ近づいた。
ちょっと覗くだけなんだから、別に大したことじゃない。先生に見つかったって、そう言って誤魔化せばいいだけの事だ。
そうわかっているのに、何でか心臓がどきどきと高鳴りだす。ガキの頃、お袋に見つからないように遊びに行こうとした時の感じに似てる(それはもちろん即刻見つかり、二度とそんな気が起きなくなるくらいには痛い目に合わされたのだが)。
こんな事くらいで緊張するなんて、つくづく俺ってナサケナイヤツだなと嫌になったがとりあえずそれは今は置いておこう。

そおっと、カーテンに手をかける。つめたい、ビニールっぽい感触と匂い。
なるべく音をたてないように細心の注意を払いつつ、俺はそれをそっと開けた。


(……なっ)


「……っ!」


思わず声を出しそうになって、慌てて口元を手で押さえた。それこそ、息を止める勢いだ。
そこに寝ていたのは思わぬ人物だった。長い黒髪、枕もとの眼鏡。ゆるく、規則正しく上下する胸元。


出よう。とりあえずここから離れよう。


真っ先にそう思った。けれど、足は張り付いたように動かない。背中に汗が流れるのがわかった。顔が熱い、呼吸するだけで精いっぱいだ。
眠っているのは詩穂だった。いつでも一番会いたい、けれども会いたくないというか会えないというか。とにかく俺はこいつの傍であまり平静でいられる自信がない。つまりは、そういう相手だ。

どれくらいそうして突っ立ってたか(心の中ではもちろん激しい葛藤があったわけだけど)、少し落ち着いてきて、俺は眠る詩穂の顔をまじまじと見る。顔色は悪かった。普段から白っぽいのに、何だかますます白い。牛乳みたいに白い。表情は悪いって程じゃなかったけど、あんまり良い夢を見てそうではなかった。こんな時でも、俺は詩穂のあんまり良い顔は見れないらしい。
それにしてもどこが悪いんだろう。顔色悪いから貧血かなにかだろうか。オンナってのは色々あるらしいから、ちょっとしたことでも具合が悪くなったりするのかもしれない…単なる想像だけど。


(…まさか俺の事でぶっ倒れたとかじゃねーだろうな)


全く自慢にならないが、俺は詩穂に嫌われている。それでなくてもつまらない事でスグに悩みそうなヤツなのだ、可能性は哀しいかな否定出来ない。
ダチなら励ましてやれるし、恋人なら…って、それはまぁ今のところありえねぇから考えるだけ無駄だけど。

元気付けてやれるなら、いくらでもそうしてやるのに。

重たげにかかる前髪をよけてやろうかと手を伸ばしかけて…やめた。そんな事して起こしたら悪いし、更に嫌な顔でもされようものならさすがの俺も凹む。それに、触れてしまったら自分自身がどうなってしまうかわからない。全然、そんな、ヨコシマなことを考えているわけじゃねーけど。


(…ったく、なんだよ)


心臓の音が、耳元でうるさい。静かすぎて、余計に響いて聞こえてくるのが鬱陶しくて仕方がない。

ああ嫌だ。俺はやっぱりお前の事好きなんだ。もうどうしようもないどん底なのに、まだ嫌われたくないってみっともなく足掻くんだ。

本人に触れる代わりに、掛かっていた薄っぺらな掛け布団を肩口まで持っていってやる。「お大事に」と口の中だけで言った。別に、聞こえなくても届かなくてもかまわない。
傍に、いたいけれど。目が覚めるまでいてやりたいけど。
でも詩穂のことを思うなら、俺はここにいない方がいいってことを、俺は知っている。






もう頭痛はおさまっていた。ここにいる理由も、もうない。